撰集抄 巻五 第六 西行と待賢門院中納言の局が対面したこと
待賢門院に、中納言の局という女房がおられました。待賢門院がお亡くなりになられて後、出家剃髪して小倉山の麓に、仏道に帰依してお暮らしになっているとお聞き申し上げたので、長月のはじめの頃、かの御室に参上し申し上げました。草深く繁っていて、行き交う道も跡絶えたように、尾花や葛の花が露に濡れて、軒にも間垣にも秋の月が澄み渡り、屋敷の前は野辺が広がり、軒の端には山路が通っていましたので、虫の音もしみじみとして、猿の鳴き声もまことに心に寒々と響きます。荻の上を吹渡る風は枕元にも差し込み、松の梢を吹き抜ける嵐は閨にも吹き込んで、まことに恐ろしい感じの住処でございました。
そうして、かの局と対面申し上げたときのはじめの言葉に、
「 浮き世を離れ出家し申しはじめた折りは、亡き女院のことがつねに心にかかって、ああ、どんな世界に去って行かれたのでしょうと悲しく思われ、あの人この人のことも恋しく思われましたけれど、今はまったくに思い忘れて、つゆほども嘆く心もございません。やはり精進の甲斐がございましたのでしょうか、悲しみも喜びも心に忘れてしまったようでございます。愚かな女の心でさえもそうですから、長年のあいだ世間を離れ、仏の道に思い立って月日を経なさったそなた様の心の内は、どれほどに澄んでいらっしゃることでしょうね。」 とおおせられる。めったにないお気立てです。
まことに、憂きも喜びも心に忘れてしまうのは、そのまま禅定の境地であるとは、昔の智者の言葉ですから、何とかして私も憂きも喜びも忘れてしまおうと思いましたけれど、心に思うようにもならず止めることもできません。それなのにこの中納言の局は、喜びも悲しみも忘れ去ってし舞われたのでしょう、本当にこの世に一つの前世の善根を積まれただけでは決してないはずです。二三四五の仏様の前に多くの功徳をお植えなさったのが、ささやかな縁によって、生え出て来たにちがいありません。私は天性劣っているといっても、世間を離れたことも、かの局よりもはるか先のことです。また、決して名利を思うことなく、ひとえに仏の道をとこそ思いますけれど、すでにあの中納言の局のお気立てにも劣る気恥ずかしさよと思うと、帰る道すがらに、また考えることには、気臆れするように思うことこそ、悲しみ喜びの思いを断ち切れないことであると思って、また心を振り返ました。さてまたどのようにしたものかと考えあぐねて、小倉山を去り申しました。
その後、三年ほど経って、この局が重篤の病にあることをお聞きしまたので、お見舞い申し上げようとお訪ねしましたところ、すでに息絶えなさっていた。西に向かって掌を合わせ、威儀を正しくしてお亡くなりになっていました。憂きも喜びも心に忘れてしまったと申されたのは、真のことだったと心に刻みながら、泣く泣く帰ったことでした。
<巻五第六 中納言局発心>http://goo.gl/0LVKD
待賢門院に、中納言の局と云ふ女房をはしましき。女院におくれまいらせて後、さまをかへ、小倉の山の麓におこなひすましておはし侍りき。うけたまはりしかは、長月の始つかた、かの御室たとり/\罷にき。草深く茂りあひて、ゆきから道も跡たえ、尾華くす花露繁くて、のきもまかきも秋の月すみわたり、前は野へ、つまは山路なれは、虫の音哀に、あい猿のこゑ殊に心すこし。荻の上風枕にかよひ、松の嵐閨に音信て、心すこきすみかに侍り。扨、かの局に対面申たりしに始の詞に、浮世を出侍<り>し始つ方は、女院の御事の常には心にかけて、あわれいかなる所にか、いまそかるらんと悲く覚、誰/\の人も恋しく覚侍りしか共、いまはふつに思忘れて、露はかり歎く心の侍らぬ也。さすか、行<ふ>かひ侍れはや、憂喜のこゝろに忘られぬるなるへし。。をろかなる女の心たにもしか也。年久く世を背、実の道に思立て、月日重給そこの御心の中、いかにすみて侍らむとその給はせし。有難かりける心はせかな。誠に、憂喜心に忘れぬ<れ>は則是禅也と、昔智者の詞なれは、いかにも是を忘れはやと思ひ侍れと、やゝ心と心に叶はてとめやらぬに、此局のわすられけん、けに此世一の宿善をうへ給へるか、聊の縁によりて、おい出ぬる成へし。我はつたなしといゑ共、世をそむく事も、彼局よりは遥のさき也。又都名利をおもはす、偏仏の道にとこそ思ひ侍れ共、はや、彼局の心はせにもおとり侍りぬるはつかしさよと思ひ、帰る道すから、又案するやうは、はつかしさ思ふこそ、憂喜の忘れぬなれと思ひとりぬ。帰て心を<物>たつれは、さては又いかゝせむと思ひかねて、小倉山を出侍り。又其後、三とせ経て後、此局おもく煩ふよし承り侍りしかは、訪も聞えんとて罷たりしかは、はやいき終にけり。西に向き掌を会<合>、威儀を乱すして終にけり。憂喜の心に忘れたりと侍りしは、実にて侍りけりと思定て、泣/\かへりにき。