かへる朝の時雨
589 ことづけて 今朝の別れを やすらはん
時雨をさへや 袖にかくべき
帰るべき朝のしぐれ
朝帰ろうとすると時雨が降っていた。いっそのこと時雨に託つけて帰らずに、このまま憩らって行こう。別れの涙の上にさらに時雨に袖を濡らすことがあろうか。帰るべき朝とはいうまでもなく後朝こと。
何となく昔から西行に惹かれるところがあって、折に触れて西行の 『山家集』などをひもとくにつれて、次第次第に西行の内面世界に更に深くひかれるようになった。今日読んだのは、石川雅一氏の『平清盛の盟友、西行の世界をたどる』という本。著者の石川氏はジャーナリスト。NHKなどで記者や報道カメラマンをしてたらしい。そのせいかプロのカメラマンらしく、本書の中にも多くの写真が掲載されている。時代祭や葵祭に撮られた写真があって、平安時代の風俗を想像させる。以前から私も趣味にしようとせっかくカメラを手に入れたのに、ほとんど使うこともなく机の中に眠らしているのももったいなく、京都を「ふるさと」と呼んだ西行の生きた平安時代の名残を見つけて、できれば機会を見つけて写真に記録しておきたいと思う。
それにしても、西行のような著名な人物とその時代は、すでに多くの優れた歴史家、文学者たちによって、研究しつくされているらしいことも分かった。それでも特に私が興味を抱いたのは、西行においては、その一身において、真言仏教と神道との、外来宗教と民族宗教との統一と調和が、西行の精神世界に実現されているらしいことだった。それは月と桜によって象徴されている。そこには明治維新期における「廃仏毀釈」のような狂信的で悟性的な愚行はみられない。日本の伝統としての「神仏冥合」の思想的な背景にも興味が持てる。そうしたこともあって、とにかく時間の合間を見て少しずつ西行に関する文献も読み始めている。昨日は岩波文庫の『西行全歌集』を手に入れることが出来た。新潮社版の『山家集』は昔から持っていたけれども、西行の詠んだ和歌が網羅されていないという点で物足りなかった。西行が生涯にわたって詠んだ和歌2300首がこの『西行全歌集』には収められているらしい。その中のいくつかの拾い読みして、珠玉ともいえる美しい西行の精神世界の一端を改めて垣間見る思いがした。この小さな文庫本も貴重な座右の書になるような気がする。