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日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

八月の読書

2019年08月17日 | 書評
 
八月の読書

今月の一冊として、ハミルトン・フィッシュの『FDR:THE OTHER SIDE OF THE COIN How We Were Tricked into Word War Ⅱ』の邦訳 『ルーズベルトの開戦責任』(渡辺 惣樹訳 草思社  2014年9月)を図書館から借りて読んでいます。

本書を読もうと思った動機は、先の日米戦争の終戦から七四年を経過した今日においても、現代の日本という国家社会を深く根底から決定的に規定している歴史的事件として、この日米戦争の影響は深刻で、私たちの現在もこの戦争の存在抜きにしては考えられないからです。それで本書がこの戦争の真実を少しでも深く知ることの一助にもなればと思いました。

実際に300万にのぼると言われる戦死者が、時代が時代なら幸福に生き永らえることもできたはずなのに、戦争のために生を断絶させられることになりました。また、そうした戦没者の方々のみならず、私たち戦後生まれの世代も、母親たちの胎内から幼少期へと、さらに老年期から死に至るまで、私たちの心身にはこの戦争の影響を深く刻み込まれてそれぞれの生涯を生きることになります。だから私たちは自己の存在をより客観的に把握するためにも、先の日米戦争の歴史的な真実を知る必要があると思います。また、それなくして日本という国家社会の正しい未来像も描けないからです。

特に、この日米戦争を「勝利」によってではなく「敗戦」で迎えなければならなかったために、戦後の日本社会にもたらされた断絶と混乱による悲喜劇は、今日の日本国民の精神により深刻に投影されています。その深刻さの度合いは、アメリカやイギリスなどの「戦勝国」の国民、国家社会とは比較になりません。いわゆる「慰安婦問題」や「靖国問題」に見られる国論の分裂もその例だと思います。

裁判事件などでもそうですが、多くの事件の真実を知るためには、その事件の現象に関わる事実をより全面的に客観的に探索してゆく必要があると思います。このことは歴史な事件としての先の日米戦争について言えます。裁判官は被告と原告の両者の主張を公平に聞く必要があります。

また、日米戦争について回顧し評価するとしても、そこには様々な見方があります。もちろん、先の日米戦争に対する歴史観の国家国民の間でもっとも支配的なものは、いわゆる戦勝国GHQの手によって行われた「東京裁判」の過程で明らかになった、戦勝国の歴史観、価値観に基づいたいわゆる「東京裁判史観」と言われるものです。それが戦後日本の国家国民の基本的な歴史観となったのは、敗戦国の宿命ともいうべきものでやむを得なかったと思います。

それはある意味でやむを得ないものですが、戦後半世紀を過ぎて七四年を経過しようとする今日、あらためてこの「東京裁判史観」を検証する必要があると思います。特に敗戦国として顧みられることのなかった「大日本帝国政府」の立場を、彼らの論理を検証する必要があると思います。そうでなければ、先の日米戦争の公平な評価はできないでしょう。

何れにしても、戦後半世紀以上を経過した今日こそ、様々な利害によって隠されていた事実が現れて来ることによって、さらに歴史的な真実の追求は可能になると思います。日米戦争の当事者中の当事者であるルーズベルト大統領に対する批判者としての、このアメリカの政治家による証言もその一つです。同じアメリカ人の政治家が当時の日米戦争を、あるいは当時の日米関係をどのように観察していたかを知る上で参考になるかもしれないと考えたからです。それは、あの日米戦争をより客観的に認識することになるはずです。


「私は二十五年間、共和党の下院議員であった。一九三三年から四十三年まで外交問題委員会、一九四〇年から四五年までは議員運営委員会の主要メンバー であった。・・・・・・・・
私は今では、あのルーズベルトの演説は間違いだったとはっきり言える。あの演説のあとに起きた歴史をみればそれは自明である。アメリカ国民だけでなく本当のことを知りたいと願う全ての人々に、隠し事のない真実が語られなければならない時に来ていると思う。あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあったのである。彼は日本に最後通牒を突きつけていた。それは秘密裏に行われたものであった。真珠湾攻撃の十日前には、議会もアメリカ国民をも欺き、合衆国憲法にも違反する最後通牒が発せられていた。
 今現在においても、十二月七日になると、新聞メディアは必ず日本を非難する。和平交渉が継続してる最中に、日本はアメリカを攻撃し、戦争を引き起こした。そういう論説が新聞紙面に踊る。しかしこの主張は史実とは全く異なる。クラレ・ブース・ルース女史(元下院議員、コネチカット州)も主張してるように、ルーズベルト大統領はわれわれを欺いて、(日本を利用して)裏口から対ドイツ戦争を始めたのである。」
(本書18ページ)

「英国チャーチル政権の戦時生産大臣(Minister  of  Production)であったオリバー・リトルトンは、ロンドンを訪れた米国商工会議所のメンバーに次のように語っている。(一九四四年)。「日本は挑発され真珠湾攻撃に追い込まれた。アメリカが戦争に追い込まれたなどという主張は歴史の茶番(a  travesty  on  history)である」
 天皇裕仁に対して戦争責任があると非難するのは全く間違っている。天皇は外交交渉による解決を望んでいた。中国及びベトナムからの撤退という、それまで考えられなかった妥協案まで提示していた。

米日の戦いは誰も望んでいなかったし、両国は戦う必要がなかった。その事実を隠す権利は誰にもない。特に歴史家がそのようなことをしてはならない。両国の兵士は勇敢に戦った。彼らは祖国のために命を犠牲にするという崇高な戦いで命を落としたのである。しかし歴史の真実が語られなければ、そうした犠牲は無為になってしまう。これからの世代が二度と同じような落とし穴に嵌るようなことはなんとしても避けなければならない。」(19ページ)

「ルーズベルトとチャーチルの二人がアメリカをこの戦争に巻き込んだ張本人である。チャーチルはのちにこの戦争は不必要な戦争であったとも言っている。これには驚くばかりである。チャーチルが喜んでいるのは、軍事力だけではなくアメリカの巨大な資金援助がイギリスになされたからだ。」

「私は、この書の発表を、フランクリン・ルーズベルト大統領、ウェストン・チャーチル首相、ヘンリー・モーゲンソー財務長官、ダグラス・マッカーサー将軍の死後にすることに決めていた。彼らを個人的にも知っているし、この書の発表は政治的な影響も少なくないからである。彼らは先の大戦の重要人物であり、かつ賛否両論のある人々だからである。
私はこのような人物の評判を貶めようとする意図は持っていない。私は歴史は真実に立脚すべきだとの信条に立っているだけである。それは、言ってみれば、表側だけしか見せていないコインの裏側もしっかり見なければならない、 と主張することなのである。 コインの裏側を見ることは、先の大戦中あるいは戦後すぐの時点では不可能であった。戦争プロパガンダの余韻が充満していた。そうした時代には真実を知ることは心地よいものではない。しかし、今は違う。長きにわたって隠されていた事実が政府資料の中からしみ出してきている。これまで国民の目に触れることのなかった資料が発表されはじめたのである。」(23ページ)

 

 

 

 
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