§18
Wenn der Wille nicht ein allgemeiner wäre, so würden keine eigentlichen *Gesetze* statt finden, nichts, was *Alle* wahrhaft verpflichten könnte. Jeder könnte nach seinem Belieben handeln und würde die Willkür eines Andern nicht respektieren. Dass der Wille ein allgemeiner ist, fließt aus dem Begriff seiner Freiheit.
十八〔意志の普遍性について〕
もし、意志が一つの普遍的なものでなければ、そこでは言葉の正しい意味において法律は成り立たないし、全ての者に真実に義務づけることのできるものは存在しえないことになる。各人は勝手気ままに行為できるし、他人の意志は尊重されないだろう。意志が普遍的なものであるということ、このことは自由の概念から出てくる。
Die Menschen, nach ihrer *Erscheinung* betrachtet, zeigen sich als sehr verschieden Rücksicht des Willens überhaupt, nach Charakter, Sitte, Neigung, besondern Anlagen. Sie sind insofern *besondere* Individuen und unterscheiden sich durch die Natur von einander. Jedes hat Anlagen und Bestimmungen sich, die dem andern fehlen. Diese Unterschiede der Individuen gehen den Willen an und für sich sich nichts an und für sich, weil er frei ist. Die Freiheit besteht eben der Unbestimmtheit des Willens oder dass er keine Naturbestimmtheit sich hat. Der Wille an und für sich sich ist also ein allgemeiner Wille. Die Besonderheit oder Einzelheit des Menschen steht der Allgemeinheit des Willens nicht im Wege, sondern ist ihr untergeordnet.
人間はその/外見/から観察すれば、性格、習慣、癖、特殊な才能などにしたがって、意志一般の面としても実にさまざまな違いを示している。この点において、人間は/特殊な/個人であり、互いに本質的に異なっている。それぞれには、他にはない能力と性格がある。個人のこれらのちがいは、意志そのものには本来的に関係がない。というのも意志は自由だからである。自由とはまさに、意志の不確定性のうちに、あるいは、意志それ自体は何らの自然規定も持たないことにある。意志は本来的にそのものとしてはそれゆえに普遍的な意志である。人間の特殊性や個別性は意志の普遍性を妨げるものではなく、むしろ、それに従属するものである。
Eine Handlung, die rechtlich oder moralisch oder sonst vortrefflich ist, wird zwar von einem Einzelnen getan, alle aber stimmen ihr bei. Sie erkennen also sich selbst oder ihren eigenen Willen darinnen. — Es ist hier derselbe Fall, wie bei *Kunstwerken.* Auch diejenigen, die kein solches Werk hätten zu Stande bringen können, finden ihr eigenes Wesen darin ausgedrückt. Ein solches Werk zeigt sich also als wahrhaft allgemeines. Es erhält um so größeren Beifall, je mehr das Besondere des Urhebers daraus verschwunden ist.
一つの行為、たとえば法律的な行為とか、あるいは道徳的な行為とか、あるいはそのほかの気高い行為は、確かに一人の個人によって行われるが、しかし、全ての人がそれに賛同するのである。そうして、彼らはその行いのうちに自分自身を、あるいはそこに彼自身の意志を認識するのである。⎯ このことは/芸術作品/のような場合においても同じである。優れた芸術作品を何一つ制作することのできなかった人たちも、彼ら自身の本質がその作品のうちに表現されているのを見出す。かかる芸術作品はしたがって真に普遍的なものとしての自身を示し現している。作品から創作家の特殊性が消えていればいるほど、それだけ大きな称賛を受け取ることになる。
Es kann der Fall sein, dass man sich seines allgemeinen Willens nicht bewusst ist. (※1)Der Mensch kann glauben, es gehe etwas vollkommen gegen seinen Willen, ob es gleich doch sein Wille ist. Der Verbrecher, der bestraft wird, kann allerdings wünschen, dass die Strafe von ihm abgewendet werde: aber der allgemeine Wille bringt es mit sich, dass das Verbrechen bestraft wird. Es muss also angenommen werden, dass es im absoluten Willen des Verbrechers selbst liegt, dass er bestraft werde.
人が己れの普遍的な意志を自ら自覚していないということはありうる。人間は、何かあるものが彼の意志であるにもかかわらず、それがまったく彼自身の意志に反して成りゆくかのように思い込むことができる。処罰された犯罪者は、もちろん刑罰の彼に課せられないことを願うかもしれない。:しかし、普遍的な意志は自ずからにして犯罪者は罰せられるものであることを示すものである。したがって、犯罪者が罰せられることは犯罪者自身の絶対的な意志のうちにあることが認められなければならない。
Insofern er bestraft wird, ist die Forderung vorhanden, dass er auch einsehe, er werde gerecht bestraft, und wenn er es einsieht, kann er zwar wünschen, dass er von der Strafe als einem äußerlichen Leiden befreit sei, aber insofern er zugibt, dass er gerecht bestraft werde, stimmt sein allgemeiner Wille der Strafe bei.
犯罪者が罰せられる限り、また 彼は正当に罰せれられるのだということ、そのことを彼がまた納得することが求められる。そして、もし彼がそのことを納得するのなら、確かに彼は外的な苦痛としての刑罰から解き放たれることを願うことはできるが、しかし、彼が正当に処罰されることを受け入れるかぎり、彼の普遍的な意志はその刑罰に同意するのである。
※1
唯名論者と実在論者などの間で行われた「普遍論争」などでも問題にされたように、「普遍は客観的に実在するのか」、また、価値相対論者たちの「価値判断の客観性に対する懐疑」に対して、ここでもヘーゲルは一つの立場、回答を示している。
意志における普遍が存在せず、価値判断に客観性がないとすれば、人間は虚無主義者となってアナーキーの世界に陥らざるをえない。
しかし、世界に法は客観的に実在して、普遍的な意志として日々執行されている。
法の概念が国家へと進展するその論理の詳細は、彼の「法の哲学 ⎯自然法と国家学」を見なければならない。