作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

山家集 866 心性定まらずといふことを

2020年03月03日 | 日記・紀行

ヒメユリの花と蕾/癒し憩い画像データベース(111158) https://is.gd/NjohNZ

山家集 心性定まらずといふことを 866〜


    心性定まらずといふことを題にて、人々詠みけるに

866
雲雀たつ  荒野に生ふる  ひめゆりの
    何につくとも  なき心かな

仏道を志す心根が定まらずということを題にして、人々が歌を詠んだときに
866
雲雀の飛び立つ  荒野に生えている ひめゆりの花の 
    風に吹かれるまま揺られているように  頼りなげで定めなき心よ

 

西行の心の中には「心性定まりて」という仏の教えの境地に対する憧れはあるけれども、自らの心を省みていまだそこに遥かに及ばないでいることを悟っている。そのような我が心の有りさま見て、昔どこかの荒野に風に吹かれるまま揺れながら咲いていたひめゆりの花を見たことを思い出して歌う。

空に天翔る雲雀の自由と比べて、荒野に生えるひめゆりの花の依るべのなさ。何につくともなく揺れるその頼りなげな心は私とおなじ。西行のこの心も彼の生きた時代を映している。

「定まる」「揺れる」「心」「荒野のひめゆりの花」の連想から、私はこの和歌を上のように詠みました。(いまさらあらためて言うまでもありませんが、これは私的な註解の記録にすぎません。)

西行は萬葉集の第8巻1500番歌、大伴坂上郎女の和歌を踏まえて詠んでいたのかもしれない。


大伴坂上郎女歌一首

夏野<之> 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽
なつののの しげみにさける ひめゆりの しらえぬこひは くるしきものぞ

夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ

なお、後世においては、芭蕉が次の句を詠んでいる。

芭蕉

原中やものにもつかず啼く雲雀かな

今日は、雛祭りの日。上賀茂神社でも流し雛の行事があったが行かなかった。

 

 

コメント
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