詩篇第五十四篇
指揮者たちの調べに乗せて。ダビデの教訓詩。
ジフの人々が来て、サウルに「ダビデが私たちのところに身を隠しているのではないか」と告げた。
神よ、あなたの御名によって私を救ってください。
そして、あなたの力によって、私を裁かれよ。
神よ、私の祈りを聴いてください。
私の語る言葉に耳を傾けてください。
私の見知らぬ者たちが、私に立ち向かい、
凶暴な者たちが私の命を求めています。
彼らには自分の前に神はない。
見よ。神は私を救う者。
主は私の魂を支えられる。
私を狙う者たちに災いを返し、
あなたの真実によって、彼らを滅ぼしてください。
よろこんで私はあなたに生けにえを捧げ、
あなたの御名に私は感謝します。
主よ、それは良いことですから。
主はすべての苦難から私を救い出し、
私のこの眼に敵の滅亡を見せたからです。
詩篇第五十四篇注解
ダビデのこの詩の生まれた背景は、旧約聖書サムエル前書第二十三章第十五節以下に書かれてある。
ダビデの名声が高まるにつれて、ダビデの主人サウルは自分の地位に不安を抱くようになり、ついにはダビデの命さえ付け狙うようになった。そのため、ダビデは荒野に逃れ、その要害の地にひそみ、ついにはジフの森に身を隠さなければならなかった。そのとき、ダビデを励ましたのが、サウルの長子ヨナタンだった。
そのときジフの人々は、サウルの許に来て、ダビデが自分たちの所に身を隠していることを告げた。それで、サウルは従者を引き連れ、ダビデの命を求めてジフの森の要塞にまで来た。そうした絶体絶命のときに、ダビデが主なる神に救いを求めて祈ったときの詩である。敵との戦いや苦難のときに救いを求める時の祈りとして読むことが出来る。
「教訓詩」と訳した「マスキール」の意味はもともと教えとか賢明なという意味らしく、そうした意義のある詩をマスキールと呼んだと思われる。
「御名によって私を救ってください。」
名は体を表すというが、神の御名は、神そのものでもある。だからユダヤ人は神の御名をみだりに唱えなかった。神みずから、ご自身で救ってくださるようにとダビデは祈る。
「力によって裁き」
裁きとは、力の行使に他ならない。歴史とは神による力の行使であり、また裁きでもある。ダビデは祈りと言葉によって、神の裁きを願う。
ダビデにとって異邦の民ジフの人々は、ダビデに抗って立ち、いまやダビデの敵サウルを案内してやってくる。ジフの人々は神を知らず、神を前にして祈ることもない凶暴な人々である。
しかし、祈りに応えて、神がダビデを助けられる。それは言葉ではなく確かな事実である。その恵みは現実である。だから、その事実を「見よ」(ヒネー)という。
「あなたの真実によって、彼らを滅ぼしてください。」
主は誠実な方、だから、真実にしたがって報いられる。これはダビデの変わらぬ確信だった。このときも、使者が来てペリシテ人が侵入してきたことをサウルに告げたために、サウルはダビデを追跡することを中止して急きょ引き返さなければならなかった。
救われたダビデは、喜んで神に感謝の犠牲を捧げる。感謝の祈りといけにえとを捧げられるのは素晴らしいことである。なぜなら恵み深い主は、すべての苦しみと悩みからダビデを救い出し、敵の敗北をダビデの眼に見せたからである。
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