詩篇第六十七篇
指揮者たちは、賛美の歌を奏でる。
神が私たちを憐れんでくださるように。
また、私たちを祝福してくださるように。
どうか御顔を私たちの上に輝かせてください。
あなたの道が世界に知られ、すべての異邦の民があなたに救われますように。
神よ、すべての人々があなたに感謝しますように。
人々が皆、あなたに感謝しますように。
すべての国民は喜び、歓びに歌え。
あなたはすべての国民を公平に裁き、
地上のすべての国民を導かれるから。
神よ、すべての人々があなたに感謝しますように。
人々が皆、あなたに感謝しますように。セラ (強調の音符)
大地は豊かに作物を実らせ、
神が、私たちの神が、私たちを祝福してくださる。
神が私たちを祝福してくださる。
地の果てにいたるまで、すべてのものが神を畏れるように。
第六十七篇註解
神は私たちを憐れみ祝福してくださる方であるが、また、怒り裁く方であることも知っている。だから、私たちは怒りや裁きではなく憐れみと祝福を求める。神は愛する方であるから。
父である神の御顔は、イエスの顔にもっともその輪郭をあらわしている。その御顔の輝きに私たちが照らされ、父なる神の意思とイエスの御心が世界中に知られるとき、そのときこそはユダヤ人だけでなく異邦人も救われるときである。
詩人は、すべての諸国民が神に感謝を捧げることを勧める。神は諸国民を偏り見られることなく公平に裁かれ、また地上のすべての国民を教え導かれるから。
また、神は豊かな実りと産物で私たちを祝福してくださる。
この地球はどんなに豊かなことだろう。稲や麦、果実などの大地の収穫と、大海原を覆い尽くすような魚の大群によって、日々の糧を恵んでくださる。
それゆえに詩人は、この慈しみ深い神をすべての人が敬い畏れるように勧める。
勤労感謝の日や感謝祭などに歌われ祈られるべき感謝の詩である。
ただ、その前提は白ー黒、悪ー善、と言う個人の持っている価値観、とのぶつかり合いになりませんか?拙はこの世の中に、否定するもの、なにもない、と思っています。その討論によって、なにを作るのかに慣らされてきた拙でしたので。あ、ヨブ記、詩篇、箴言、好きです。あくまで、新約と旧約比べれば「相対的に」新約の方が好き、てな訳です。
話変わりますが、マタイー1の系図、一人足らないって事、最近知りました。
それにしても、あなたのコメントの文脈からは、詩篇を始めとする、旧約聖書は、「エロ」「グロ」の類のように見えるのですね。
しかし、これは、あなただけではなく、日本国民の多数意見なのではないでしょうか。
ただ、残念ながらここでは、あなたがなぜそのような判断をされたのか、その根拠や理由が説明されていないので、「ああ、そうですか」と言うしかないですね。議論にはならないと思います。
議論とは、根拠や理由の論理的な整合性を争うものですから、そのように判断された論理が明らかにされていない「議論」ではまともな論争の対象にはならないのではないでしょうか。あなたのブログでその論拠を展開していただければうれしいです。
そら
拙、新約しか興味ありません。御免なさい。エロ・グロはあまり好きではありませんので。