作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

第六十七篇註解

2006年07月21日 | 宗教・文化

詩篇第六十七篇

指揮者たちは、賛美の歌を奏でる。

神が私たちを憐れんでくださるように。
また、私たちを祝福してくださるように。
どうか御顔を私たちの上に輝かせてください。
あなたの道が世界に知られ、すべての異邦の民があなたに救われますように。
神よ、すべての人々があなたに感謝しますように。
人々が皆、あなたに感謝しますように。

すべての国民は喜び、歓びに歌え。
あなたはすべての国民を公平に裁き、
地上のすべての国民を導かれるから。

神よ、すべての人々があなたに感謝しますように。
人々が皆、あなたに感謝しますように。セラ (強調の音符) 

大地は豊かに作物を実らせ、
神が、私たちの神が、私たちを祝福してくださる。

神が私たちを祝福してくださる。
地の果てにいたるまで、すべてのものが神を畏れるように。

第六十七篇註解

神は私たちを憐れみ祝福してくださる方であるが、また、怒り裁く方であることも知っている。だから、私たちは怒りや裁きではなく憐れみと祝福を求める。神は愛する方であるから。

父である神の御顔は、イエスの顔にもっともその輪郭をあらわしている。その御顔の輝きに私たちが照らされ、父なる神の意思とイエスの御心が世界中に知られるとき、そのときこそはユダヤ人だけでなく異邦人も救われるときである。

詩人は、すべての諸国民が神に感謝を捧げることを勧める。神は諸国民を偏り見られることなく公平に裁かれ、また地上のすべての国民を教え導かれるから。

また、神は豊かな実りと産物で私たちを祝福してくださる。
この地球はどんなに豊かなことだろう。稲や麦、果実などの大地の収穫と、大海原を覆い尽くすような魚の大群によって、日々の糧を恵んでくださる。
それゆえに詩人は、この慈しみ深い神をすべての人が敬い畏れるように勧める。

勤労感謝の日や感謝祭などに歌われ祈られるべき感謝の詩である。

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋田連続児童殺害事件 | トップ | 福田康夫氏の総裁選不出馬──... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どうでもいいけど (Q)
2006-08-05 13:10:50
洛南院、キチンと答えている。「そら」さん、意識的か、で、ないか、逃げている。この歳になれば、逃げているのか、その他かは解る。自分(そらさんの)のブログだ。すっきりさせるのも、しないのも、あなたのの勝手です。
返信する
Unknown (洛南院大法螺噴大居士)
2006-07-26 11:13:25
そうですね

ただ、その前提は白ー黒、悪ー善、と言う個人の持っている価値観、とのぶつかり合いになりませんか?拙はこの世の中に、否定するもの、なにもない、と思っています。その討論によって、なにを作るのかに慣らされてきた拙でしたので。あ、ヨブ記、詩篇、箴言、好きです。あくまで、新約と旧約比べれば「相対的に」新約の方が好き、てな訳です。

話変わりますが、マタイー1の系図、一人足らないって事、最近知りました。
返信する
洛南院大法螺噴大居士さま (SORA)
2006-07-25 22:12:26
そうですか。新約にしか興味をお持ちではないのですね。



それにしても、あなたのコメントの文脈からは、詩篇を始めとする、旧約聖書は、「エロ」「グロ」の類のように見えるのですね。

しかし、これは、あなただけではなく、日本国民の多数意見なのではないでしょうか。



ただ、残念ながらここでは、あなたがなぜそのような判断をされたのか、その根拠や理由が説明されていないので、「ああ、そうですか」と言うしかないですね。議論にはならないと思います。





議論とは、根拠や理由の論理的な整合性を争うものですから、そのように判断された論理が明らかにされていない「議論」ではまともな論争の対象にはならないのではないでしょうか。あなたのブログでその論拠を展開していただければうれしいです。



         そら
返信する
無題 (洛南院大法螺噴大居士)
2006-07-24 20:38:27
旧約ですか

拙、新約しか興味ありません。御免なさい。エロ・グロはあまり好きではありませんので。

返信する

コメントを投稿

宗教・文化」カテゴリの最新記事