作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

年の終わりに

2024年12月31日 | 日記・紀行

20240407

年の終わりに

 

時の過ぎるのは早いもので、今日で2024年令和6年も終わります。今年最後の私の日記ブログ「作雨作晴」を見てみると、「このブログの人気記事」のトップに、「戦争はなぜ起きるか」 - 作雨作晴 https://is.gd/vnqanA
が上がっていました。見ると投稿日が2008年07月25日となっていましたから、それからすでに16年以上も経過していることになります。

2008年頃といえば、当時は福田康夫内閣で、自民党内閣も麻生太郎内閣へとコロコロと入れ替わり、よく言われる「失われた20年」とかが始まって間もなくの頃でした。その間に日本国が「失った時間」は、G7といわれる欧米先進国と比べても、今となっては取り返しのつかないものです。日本の政治家たちや日本銀行など、政治と経済政策に的を得ていなかったからだと思います。

しかし、いずれにせよ、戦争についても、その頃アメリカとの長期化した戦争で泥沼化していたイラクでは、アメリカはこの年に就任したオバマ大統領によって撤退の姿勢を示し始めていました。

パレスチナでは、イスラエルとガザ地区を実効支配するハマスとの対立がすでに激化していました。すでにほぼ20年前の2006年にも、イスラエルはヒズボラーに反撃するために、レバノンのカナに攻撃を仕掛けていました。その時の感想も記事にして投稿してあります。「カナの婚礼(ヨハネ書第二章)」 - 作雨作晴 https://is.gd/l17Odi

戦争については、人類の歴史と切って切り離せるものではありません。年末の今この時もなお悲惨な戦争は止むことはありません。そして、戦争の当事者たちは、相手方、敵方の非道、悪行をいずれも声高に批判します。

しかし、戦争については、その論考の中でも論じたように、それぞれの敵、味方双方にいずれにも言い分があり、そのどちらの言い分にも、それなりの「根拠」はあるものです。それは、先の第二次世界大戦における日中戦争、日米戦争における日本や中国、アメリカの立場も同じことだと思います。

この年末にもシリアのアサド政権が崩壊するなど、争いの絶えない一年でしたが、その時間ももう残り少なくなりました。幸いにGOOブログには、記事一覧で索引できる機能があるので、一年の終わりに調べてみました。振り返ってみて、一年間の仕事量としては、あまりにも貧弱で涙が出そうなほどですが、これが今の私のできる能力ということかもしれません。

振り返ってみても、今年に入ってからとくに、日記と紀行の投稿があまりにも少ないですが、それは私の連れ合いが体調を悪くして、外出する機会が少なくなってしまったこともあります。そうでなければ、花の季節や紅葉の季節には、名所、観光地、寺社仏閣などももっとたくさん訪れて、そこで撮り溜めた写真などと共に、この日記ブログに記事としてあげることができただろうと思います。ふだんから出不精の私は、一人では自ら進んで外出することも少ないからです。連れ合いの体調が回復すれば、紀行文などももっと書けることになるかもしれません。

そのために「日記ブログ」を自称しているにもかかわらず、日記や紀行文は少なく、ヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解の記事ばかりが目立ちました。それにしても、あまりにも仕事量が少ないです。この調子だと、最後までたどり着くのにどれくらい時間がかかることやら。

ただ、「ヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解」の仕事の目的についてですが、これまでそれを明確には述べてこなかったと思います。もちろん、それはヘーゲル哲学を日本国民に紹介することを目的としていることは言うまでもありません。

それでは、なぜヘーゲル哲学なのか。それには、個人的な理由と社会的な、あるいは公的な理由と目的があります。後者の目的としては、より直接的には、ヘーゲル哲学の「絶対的国家観」を日本国民に明らかにすることです。ヘーゲルの「絶対的国家観」とは、要するに「立憲君主国家体制」のことですが、我が国の現行の日本国憲法は、かならずしも必要にして十分な国家哲学の上に構築されたものではないと思い、この哲学の紹介が、その改善に役立つと考えているからです。

また、現在の日本国民と日本国は、事実上マルクス主義の「階級国家観」に深く影響されていると思います。そのために、社会と人間にとって根本的に重要である「自由」が往々にして深刻に損なわれているという私なりの現実認識もあります。

このヘーゲルの「絶対的国家観」を、─── それは「自由にして民主的な独立した立憲君主国家、日本」として私なりに定式化していますが、⎯⎯ この国家理念(イデー)を一般日本国民はいうまでもなく、政治家たちも自覚することもなければ、まして、それを追求することもありません。このことが日本国の「国家概念」の歪みとして、政治や経済、文化、教育など多くの側面に現象することになっているのではないでしょうか。

今年一年ももうまもなく終わります。この一年の質量ともに貧弱に終わった仕事の内容を反省するとともに、私の立場からするヘーゲル哲学の紹介が、少しでも日本国民と国家に役立ち貢献することを願いつつ、来たる年も引き続き微力を尽くしていきたいと考えています。
今年の一年のご愛読ありがとうございました。
皆様の来たる年のより良き一年と平安とをお祈り申し上げます。

 

 


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