作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

アトムの肖像

2005年11月13日 | 日記・紀行

昨日、久しぶりにJR京都駅ビルの屋上にのぼった。大階段の前に来てみると、すでに大きなクリスマスツリーのイルミネーションが飾られていた。いつから飾られているのか知らない。ただクリスマスまでには、まだ一ヶ月以上ある。老若男女、ツリーに向けて携帯電話を振りかざして写真を撮っていた。

週末で、レストラン街の人出は多かった。専門店街のキューブもすこしうろついたが、みやげ物店もにぎわっていた。拉麺小路にも人が多い。黒袈裟に白足袋を履いたお坊さんが、五六人の子供を連れてレストランに入ろうとしているのが見えた。屋上の広場では、女性がきらびやかな衣装をまとって写真をとっていた。はじめは新婚旅行のカップルかと思ったが、どうやらモデル撮影らしい。彼女は中国語を話していた。

屋上では南側と北側から市街を展望できるが、下京区、南区、伏見区のある南側のほうがネオンサインなどの夜景はきらびやかで、それに比べると金閣寺や銀閣寺など観光地のある北側は、闇に沈んでいた。新幹線構内のホームの上にいる人が蟻ほどの大きさに見下ろせる。何か自分がガリバーよりも大きい巨人になったような気がする。京都駅周辺にはよく来るが、駅ビルの屋上にのぼることはめったにない。


京都駅ビルは巨大な建築である。それなりに立派であるとは思うが、京都の町にふさわしいかどうか。まあしかし、それは趣味の問題だから、なんとも言えない。多数決で決まったなら仕方がないと思う。
しかし、以前、鴨川の三条か五条かに架ける橋にフランスかどこかの橋をモデルにしようという企画があったくらいだから、京都の識者には、漫画好きの趣味の持ち主が多いのかも知れない。

京都劇場の横にアトム記念館ができているとは知らなかった。中には入らなかったが、入り口に手塚治虫氏の年譜がプレートにして張られてあったのを見た。氏が亡くなられたのは六十歳だという。意外に若かったのだ。何分、私が小学生の頃からアトム以前からの漫画を読んでいたから、もっと高齢で亡くなられたと思っていた。どういう因縁で京都にこういう施設があるのかよくわからなかった。ただ、手塚治虫氏が大きな足跡を残してゆかれたことだけは明らかだ。漫画を通して私の潜在意識にも強い力を持っているかも知れない。赤胴鈴之助、レッドマスク、鉄人二八号、とにかく漫画好きの子供だったから。

 

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