作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

リコちゃんの一日

2021年03月20日 | 日記・紀行

2021年令和3年3月20日(土)春分の日、晴。

リコちゃんの一日

人間であれイヌやネコたち動物であれ、地球上の生命である限りそれぞれの生命がもつ寿命は限られているし、その一日も24時間と限られています。また社会の中で一定の部署を占め、さまざまの職業を通して市民生活に参加し、国民生活の生業の一端を責任をもって担ってそれぞれに社会人となった大多数の人々にとっても、その日々の生活のルーティンはおおよそ決まっているのが普通のことでしょう。

冒険家であることを職業とする人や大震災に遭遇したりするとかがなければ、大抵の普通の人たちは朝はほぼ決まった時間に起床し、通い慣れた道をたどっていつもの駅に行き、定刻に来る電車に乗って職場に向かうなど、人それぞれさまざまでしょう。夜にもなれば仕事上の困難や軋轢などを思い出しながら家路をたどります。

小学生たちなら母親から眠い朝寝を急かされて寝床から引き離され、いつも通い慣れた通学路を歩いて小学校に行き、教室や校庭で担任の先生や校長先生の話を聞いたりし、昼休みには運動場で遊んだりして一日を過ごします。時には喧嘩やいじめなどもあって小学生なりに大変なことや小さな変化は日々あるのはいうまでもないけれど、一日24時間の生活の大枠には日々大きな変化もないのが普通でしょう。ともあれ赤ん坊から老人に至るまで世間には人それぞれの一日があります。

イヌにも当然に24時間の一日があります。しかし言葉ももたず記録も残せないイヌのリコちゃんに代わって、彼女の一日を記録しておきます。

さすがに春分の日を迎えた今日ここしばらくはずいぶん暖かくもなり、桜の咲き初めのニュースも珍しくはなくなりました。コロナ騒ぎのあった寒い冬の間にはストーブのある暖かい部屋で過ごしていました。8時頃には小用を兼ねて朝の散歩に連れて行ってもらいます。そして、昼ごろまで家の中をウロウロしたり、おやつをもらったり、見知らぬ人影が戸口に現れたりすれば大きな声で吠えて番犬の役目も果たします。

お昼過ぎになって2時か3時頃にはまた散歩に連れて行ってもらいます。近所の賀茂川ベリでは知り合いのイヌたちと出会ったり、その飼い主さんからおやつのお裾分けをいただいたりして帰ります。

そして、やがてお昼を過ぎて夕方が近づいてくると、暖かい部屋から廊下に出て玄関のガラス戸を眺めながらある人の帰りを待ちます。その人の人影が見えると、時には大きな声で吠えながら、廊下の床を爪でかき鳴らしては全身でそのうれしさをあらわします。

毛が伸びて汚れたり見苦しくなったときにはイヌの美容院にも連れて行ってもらいます。毛がよく抜け落ちるので掃除にはめんどうもかけています。また、ときどきお漏らしをして叱られたりもします。

リコちゃんの日々はどちらかと言えば単調で大きな変化もありません。一日の生活時間もだいたいこんなものです。去年の夏にはバテて食欲もなくしたこともありましたが、今のところ年齢のわりには病気もなく元気に毎日を過ごしています。

 


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