作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

過ぎゆく時は

2008年09月17日 | 日記・紀行

 

九月に入ったとはいえまだ月半ばである。残暑も強い。それでも道々のいたるところに秋の兆しが見て取れるようになった。すでに曼珠沙華の蕾や花をいくつか見た。コスモスの咲き始めているのも見た。ふたたびめぐり来る、時。去りゆく、時。

                                           最後のトマト

時間そのものは無限であるかもしれないが、私たちに与えられた時間には絶対的に初めと終わりがある。人類史上いまだ誰一人として例外はない。いや、おそらくただ一人あったかもしれないがわからない。

人間の時間の単位は、おそらく60年。しかし、バッタや蛙にはそれぞれ時間の尺度が異なるだろう。それは相対的なもので、どちらが長いとか短いということもできない。

初夏あれほど耳をざわめかせた蝉やカゲロウの寿命も短いけれど、かといって人間の寿命も、天体の寿命に比べれば、まばたきの一瞬にすぎない。

                                         

見事に成長した稲田を見る。背に子を負った小さなバッタの母子を見て憐れみを感じる。

                                    背丈より大きくなったイチジクの木                         もう、主がいなくてもひとりで育ってゆける。

685     今日ぞ知る    思い出でよと     ちぎりしは  

                      忘れんとての    情けなりけり   

西行もまた別れの恋のつらさを深く知った人であったことがわかる。

                                                  

ニュースで、歌手の日野てる子さんが肺がんで9日に亡くなられていたことを知った。63歳。高校でフォークダンスを踊った同級生に似ていた。忘れえぬ時の記憶のために。

日野てる子 - 道

                -1965 夏の日の思い出

 


 


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