作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

府立総合資料館の閉館と新しい京都学・歴彩館

2017年09月12日 | 日記・紀行

 

府立総合資料館の閉館と新しい京都学・歴彩館

京都府立総合資料館が昨年の平成二十八年の秋九月に閉館になった。この資料館には昔からよくお世話になったから、懐しい建物がまた一つなくなると思うと残念だった。

卒業して勤めはじめた東京の生命保険会社も結局やめて、学生時代を過ごした京都に戻ってきた。新しい勤め先が見つかるまで時間もあったので、その時にこの資料館にもよく来た。その頃は結婚してまだ間もなく、妻に弁当を用意してもらって通った。長女が生まれた時には、ここで名前を考えたりした。資料館の前にあった洒落た喫茶店も疾くの昔になくなり、今はそこにファミレスが建って、その近辺にも新しい店が増えている。個人的な好みとしては、旧資料館前の交差点も昔の古い町並みの方が風情もあって懐かしい。

この旧資料館には、私の大学のゼミで指導教授であった脇圭平先生もしばしば来ていて、出会った折には立ち話をしたり誘われて先生の研究室へ話に行った。どんな話をしたのか今はもうその記憶はない。脇圭平先生は、大学では西洋政治思想史を担当されていた。東大で丸山真男について学ばれたそうである。司法試験の試験委員などもされていた。

先生の研究室を訪れた時、書棚にキッシンジャーの核戦略に関する原書などが並んでいたのを覚えている。机の向こうで話されていた先生の背広の袖口からラクダの肌着が覗いて見えたのもなぜか印象深く記憶に残っている。未だその頃は先生も若かった。いずれまた機会があれば、脇圭平先生についてもう少し詳しく論じてみたいと思う。

脇先生の本で読んだ記憶があるのは、岩波新書から出ていた『知識人と政治』、ドイツ文学者の柴田治三郎氏とともに訳されたカール・レビット著『ウェーバーとマルクス』、それにウェーバーの著作を訳されて岩波文庫から出された『職業としての政治』と『職業としての学問』くらいしかない。その他に著作があるのかどうかわからない。

新しい資料館について書こうと思っていて、つい昔の総合資料館とともに古い記憶が蘇ってきたので思い出すままに書いた。

新しい資料館の名称は「京都府立京都学・歴彩館」というのだそうだ。今年の春には開館していたが、私が初めて訪れたのは夏の終わりも近い先月八月の下旬ころだった。

できたばかりで全てが真新しく、きれいで広々としたゆったりとした現代的な建築だった。建築会社の社員らしい人が館内の壁面や空調などさまざまな箇所を調整していた。

閉館した昔の資料館に比べると、明るく広くゆったりとして読書や調べ物ができる。前の資料館では、ただテーブルが並べられてあるだけで、利用者がそれぞれ座席に適当な距離をとりながら作業をしていた。

それに、以前は午後の四時半には閉館になって追い出されたのに、新しい歴彩館は平日なら午後の八時から九時頃まで利用できる。終館までいたことはないけれど時間に余裕をもって利用できるのはうれしい。中世の平安時代の蔵書や資料も豊富で、この間訪れた時には書棚に『昭和天皇実録』なども並んでいた。先日訪れた時少し拾い読みした。渡月橋あたりをなぜ大堰川と呼ぶのか、また、和気清麻呂の歴史的な役割もあらためて知った。平安時代に発達した荘園制度に関する研究文献も豊富で興味深かった。

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 8月31日(木)のTW:#ならず者、... | トップ | 9月22日(金)のTW:坂村健の目... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・紀行」カテゴリの最新記事