作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

現象と本質

2007年05月25日 | 歴史

現象と本質

pfaelzerweinさんからイラク戦争の評価をめぐってコメントをいただきました。イラク戦争の詳細な分析についてはここでは展開できませんが、イラク戦争についての私の基本的な認識だけを明らかにして、pfaelzerweinさんのコメントにとりあえず答えたいと思います。

イラク戦争については、アメリカの対テロ戦争の一環として捉える必要があると思います。アメリカは、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を受けて、対テロ戦争の宣言を開始し、テロを計画したとされるビン・ラーディンをかくまっているとされるアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し崩壊させました。続いて、ブッシュ大統領は、2002年の一般教書演説で、イラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国の三カ国を「悪の枢軸」のテロ支援国家として規定しました。


アメリカが、ビン・ラーディンらのテロの対象になるのは、それは直接的にはアメリカ軍がサウディアラビアなどに駐留して、現在のサウディアラビア体制を支えて、ビン・ラーディンらイスラム原理主義反体制勢力にとって障害になっているからです。また、その駐留が、イスラム教徒の、とくに過激なイスラム原理主義者の、アメリカ軍に対する反キリスト教敵対意識を助長させています。こうした問題には、かってベトナムでアメリカが「専制政府」の後ろ盾となってベトナム民衆の反感を買った経験が忘れられています。こうした点はアメリカも猛省すべきであると思います。しかし、これは現在の問題の本質ではないと思います。


タリバン政権やビン・ラーディンらが目指すイスラム原理主義国家としての宗教的独裁国家は、自由と民主主義の立場からは容認できないと思います。かってのタリバン政権が行った、バーミヤーン遺跡の破壊や女性抑圧も忘れてはならないと思います。おそらく、シリア・レバノン・サウジアラビアなどの中東諸国の民主化が実現され、これらの諸国でのイスラム原理主義勢力が弱体化するまでは、アメリカはテロの恐怖からは解放されないだろうと思います。また、これに因みますが民主主義国家イスラエルの存在は、中東の独裁国家群にとっては、喉に痞えた骨のように不愉快なものです。ただ、パレスチナ問題について、イスラエルの政策には多くの問題があるとは思いますが。


それはとにかく、イラクについては、1991年の湾岸戦争の終結以来も、アメリカとイラクとの矛盾は根本的には解消してはおらず、それが、2001年の同時多発テロ事件を受けて、イラクの対テロ支援国家としての疑惑がさらに深まりました。それにフセイン政権の査察ボイコットを受けて、父ブッシュ時代の湾岸戦争のフセイン政権との軋轢の最終解決にむけて、現ブッシュ大統領は、武力行使によるフセイン政権打倒とそれに代わる民主政権の樹立に踏み切ったものです。実際にそれによって多くのイラク国民は自由へと解放されるはずでした。


こうした歴史の背景には、アフガニスタンにおける前のタリバン政権のようなイスラム原理主義勢力とフセイン政権のような世俗化された独裁政権の存在があります。自由と民主主義を原理とする政権と、これらの独裁政権は原理的には両立できません。もちろん、それぞれの国家における「自由と民主主義」は、その国民と民族の責任において実現されるべきものであり、他国がどのような名目であれ干渉することは本来的に内政干渉に当たります。イラク戦争の場合には、その後大量破壊兵器を保有を証明することができなかったわけですが、しかし、大量破壊兵器の拡散とフセイン政権の独裁的な抑圧政治を懸念したアメリカが、事実上イラク国民の解放に向けて武力行使に踏み切ったことに対しては理解と支持を示すことができるものです。


ブッシュ政権の不手際は、はっきり言って、その「失敗」は、フセイン政権の打倒後の「占領統治政策」にあるので、このアメリカの「失策の尻拭い」は、その後エジプトでイラク安定化会議が開かれたように、イラク民主政府の樹立支援のために、改めて独自に各国の国際支援の方策が模索されるべきであると思います。ラムズフェルド前国防長官の対イラク軍事政策に対する批判もありますが、結果論にすぎないでしょう。


フランスの戦争反対は、事実として問題の根本的な解決にならず、問題を将来に先送りしてさらに深刻化し拡大させるだけの無力で口先だけの無責任なものです。その「戦争反対」の非難の矛先は、アメリカに対して以上に、むしろタリバンやイランなどにおけるイスラム原理主義勢力の暴力と専制にこそ向けられるべきものです。そうでなければ、それは単なる偽善か、批判に許容的な自由アメリカに対する甘えでしかないでしょう。

イギリスのブレア政権がブッシュ援護で「手を汚した」とするものではありませんし、もし英国世論でブレア政権が「英国を米国の番犬化」したとするなら、その世論にも同意できません。むしろ、ブレア政権は国内外において、自由と民主主義の擁護に相当の責任を果たしたと考えています。またpfaelzerweinさんがおっしゃられるように、米国の「政治文化社会の未熟」や「精神文化の崩壊」という判断にも賛成できません。むしろ、わが日本のそれにこそ懸念を持つもので、日本のそれと比較しても、アメリカの「自由と民主主義」の精神や「政治文化社会の成熟度」は強靭で復元力も高いと思います。

世論についての考え方や、イスラム教国家国民の民主化の難しさについての私の考えには、下のような論考があります。よろしければ、ご参考までに。

タイ国のクーデタ事件に思う
http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20060921

公明党の民主主義
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20061017

女系天皇と男系天皇──いわゆる世論なるもの
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060227

イラク戦争の新局面
http://anowl.exblog.jp/759348

         ウィキペディア「イラク戦争

 


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2 コメント

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「自由と民主主義」の本質 (pfaelzerwein)
2007-05-26 16:18:45
ご意見の主旨は理解出来ました。また、多くの点で議論可能の問題が提示されていると思われます。但し、イデオロギー的な議論は埒が明きませんので、目線を変えてみましょう。

例えば、米国流「自由と民主主義」のイデオロギーと実践は、本質と現象なのか?この大義名分は、既に安物の鍍金の如く剥げ落ちてしまっているのではないか。

過去現在、米国の覇権の及ぶ多くの地域やその市民はそれを米帝と罵り、今回の一連のブッシュ政権のごり押しのイラク介入や人権無視の非道行為、また再び冷戦を望むその巨大軍需産業は、西欧の「自由と民主主義」の価値観に反するものとしてEUで断罪されています。

つまり「自由と民主主義」の名の下に米国は否定されるとするパラドックスが起きています。さらに米国が巨大メディアを以って広告する消費社会を望む者は西欧を中心に減少傾向にあり、環境問題として大きな抵抗に遭っているのはご存知の通りです。

米国文化の未成熟は、外交面に表れる牛刀で鶏を捌く風だけでなく、その内政においても民主主義システムへの過確信にも表れていて、その衆愚政治やポピュリズム政治を改正し難くしているのではないでしょうか。しかし、ネットなどの発達により、米国市民の意識もここ三十年ほどで大分「国際化」していることは感じており、その古めかしいイデオロギーを捨てて現実に即した社会つくりへの兆候が現れているようにも思われます。

それはまたグローバリズムと呼びかえられて、その先進工業国でも大きな反対への潮流は絶えません。G8を前に先日ベルリン国会でメルケル首相は語りました。世界のために目指すのは「人間味をもったグローバリズム」、そして「平和的な抗議行動は、合法のみならず、それに耳を傾けさせるもの」であるとして、現在のホワイトハウスの政策やイデオロギーのための手段を選ばない政治姿勢を強く牽制しています。

こうした発言の背景には、精神文化の荒廃を喰い止め、自由な個人の信条が現実世界へと投影され、またその反対の投影がなされるような世界観の提示があるのでしょう。
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あらためて人それぞれ (そら)
2007-05-27 01:16:46
pfaelzerweinさん、丁寧なご返事ありがとうございました。とりわけアメリカの意義と限界についての考え方に違いが大きいようです。それでも、お互いの考えの違いを確認できただけでもよかったと思います。別に一致できるまで議論する必要もないでしょう。

 それにしても、ドイツでも香道を楽しむ機会があるのですね。古い日本の良さはむしろ海外でこそ評価されるのかも知れません。それに、アメリカの「精神文化の未熟や荒廃」よりも、私にはむしろ現代の日本が絶望的に映じます。

また、興味のあるテーマがあれば、意見の交換などしましょう。
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