作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

11月9日(水)のTW:武田邦彦氏の反核武装論

2011年11月10日 | ツイツター

21:54 from gooBlog production
日本に原爆は必要か? http://t.co/HwgM4Wto
22:38 from excite blog
[exblog] 日本に原爆は必要か? http://t.co/SxBOyeie
22:47 from excite blog
[exblog] ミラーブログ http://t.co/V3M2Egx8
23:19 from Tweet Button
桶は桶屋に。数学者の藤原正彦氏の新書『国家の品格』の場合もそうだったが、理数科系の学者が、国家や民主主義など人文科学に属する専門外のテーマを論じる時、往々にしてトンチンカンな結論や認識しか示せない場合がある。
23:21 from web
餅は餅屋に。舟は船頭に任せよ。武田邦彦氏にもそのことが言えるのではないか。
>> 日本に原爆は必要か? #blogos @ld_blogos http://t.co/IgXHGM0D
<<
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日本に原爆は必要か?

2011年11月09日 | ニュース・現実評論

日本に原爆は必要か?

武田邦彦教授がご自身のブログで「日本に原爆は必要か?」と問うておられる。そして、ご自身の論考によれば武田教授は「①原発廃止に賛成であるゆえに②核武装に反対」と結論されておられるようだ。

■日本に原爆は必要か?
http://takedanet.com/2011/11/post_0158.html

武田邦彦教授の働きについては、今年の三月十一日の東北大地震と大津波による福島第一原子力発電所事故以来の東北地方の放射能汚染に対して、良心的なその警告と啓蒙活動に対して一定の評価もし、このブログでもリンクさせていただいたりしていた。

しかし、放射能汚染とはまた異なった日本の原子力発電に関する政策問題や核武装といった軍事問題に対する武田教授のこれらの結論に本当に問題はないのだろうか。

武田氏はご自身の論考のなかで、「原子力発電」と「核武装」を論理的に直結させておられるようであるが、これは必ずしも正しくないのではないか。というのは、西尾幹二氏などがブログなどで主張されているように、「脱原発には賛成であるが、核武装は必要である」という立場もあるからである。その一方に今の武田邦彦氏のように「脱原発と同時に核武装にも反対」という「平和主義的脱原発」という立場もある。

いわゆる「右派」に属すると思われている西尾幹二氏らの認識によれば、現実はむしろ日本は「原子力発電」ゆえに核武装ができないでいるのである。

WiLL8月号「平和主義ではない脱原発」(六)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1098

原発と核武装は論理的に必ずしも直結するものではない。国内に必ずしも原子力発電所がなくても、強固な意志さえあれば、インドやパキスタン、イスラエル、さらには北朝鮮からだって核兵器を輸入することは論理的には可能であり、それによって核武装はできる。もちろん、原子力発電とは無関係に、核武装のためだけに原子力核科学技術を開発育成することもできる。

だから、「日本は原爆を持たなければならないから、原発は必要」と考えているいわゆる右派を、原発不要派に転向させるための論理として、武田氏が「1、地震国日本は原発に耐えられないから、脱原発に進むべきだ。2、「日本兵ほど世界で強い兵士はいない」から「日本に核武装は要らない」という持論を保持しているのであれば、問題は大きい。

その理由の一つとして、第二次世界大戦で日本のヒロシマとナガサキに原爆が投下されたのは、当時の日本にはまだ原子爆弾を開発出来ておらず、アメリカに対して核報復攻撃を行う能力がなかったからであると考えられること。

それに、もし武田氏が「日本兵ほど世界で強い兵士はいない」から「日本に核武装は要らない」と考えておられるとすれば、本当にそうであるなら、諸外国の核兵器に向かって、戦前の武士道日本軍のお得意の万歳突撃をさせてみればいい。そうすれば、現実によって「日本兵ほど世界で強い兵士はいない」が本当かどうかが教えられるだろう。

私の立場は基本的には櫻井よしこ氏のそれとほぼ同じである。ついでにいえば、最近に問題になっている、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加問題についてもそうである。

国家基本問題研究所(国基研・JINF)
http://jinf.jp/

またさらに、私自身としては、「1、自衛隊と防衛省をそれぞれ新日本国軍(国防軍)と国防省に発展改組すること。2、核弾頭を搭載した原子力潜水艦を15隻を、日本全国の秘密基地に配備、常時巡回させること」それ以外に日本の自由と独立を現実に担保する方法はないと考えている。

参考
10月21日(金)のつぶやき
http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20111022

 

 

 

 
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11月7日(月)のつぶやき

2011年11月08日 | ツイツター
15:15 from Tweet Button
元経済産業省官僚の古賀茂明さんが、経産省を退職するに当たって手記を公表されておられる。遅まきながら引用しておく。>> <<霞ヶ関を去る改革派官僚の特別手記・古賀茂明「『改革への新たな一歩』ーー日本再生のため、さらなる戦いに挑みます」 http://t.co/bPo8A2um
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11月4日(金)のTW:歴史における理性

2011年11月05日 | ツイツター

08:48 from Saezuri
ちょうど歴史のいわゆる実用主義的な取り扱いにおいて起きているように、人間知が、世界史的な個人の実質的な性格を誤解し、そして、偉大なものはただ偉大な人格を通してのみ成し遂げられることを洞察せず、歴史上の最大の事件を、彼の英雄たち偶然的な個性から、a
08:49 from Saezuri
その小さな思いつきから、その性癖や情熱から、才気あふれる意図的な試みから導き出そうとする。そうした振る舞いは、神的な摂理によって支配された歴史を、単なる空疎な行為へ、そして偶然的な出来事へと貶めるものである。 b (§377 zs)
08:49 from Saezuri
すでに周知になっていることであるが、ここでヘーゲルは単なる実証的な歴史に対して、歴史のうちに目的や摂理を洞察する弁証法的な歴史観を対置している。非哲学的な意識は、見る眼を持たぬために「歴史における理性」を洞察できない。c
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11月1日(火)のつぶやき

2011年11月02日 | ツイツター
11:47 from Saezuri
先月末から、山崎純『神と国家 ヘーゲル宗教哲学』を読み始めている。ヘーゲルの思想形成の軌跡を確認するためでもある。
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