キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

ベトナム戦争

2006年03月20日 | Weblog
ベトナムは2回目だが、ホーチミンシティは初めてだ。
首都のハノイが政治の中心ならホーチミンシティは経済の中心。
北京と上海。ロサンジェルスとニューヨークみたいな感じかな。
ホーチミンシティはベトナムの中でも最も発展している都市で、とにかく活気、喧騒、熱気がすごい。
ベトナムの交通の主役はバイクで、その量は圧巻。
信号が変われば、F1も驚くレースのようなスタートが繰り広げられる。

ホーチミンシティは昔、サイゴンといった。
ホーチミンシティという名前はベトナム戦争のあとからだ。
現在のベトナムの歴史はベトナム戦争とともにある。
ホーチミンシティだけで3つの戦争に関する博物館がある。
僕は、二つの博物館を見学したが、そのうちの一つがすごかった。
原爆ドームや、中国の盧溝橋事件の博物館など、戦争に関する博物館の展示はそのメッセージ性の強さから目を覆いたくなるようなものが多い。
その中でも、ここの展示は特別だった。
普段、僕はこういう展示を見ても冷静に納得することが多い。
でも、今回は感情的に、何をやっているんだアメリカ、と思った。
これだけのことをして、まだアフガンやイラクを攻撃することに理解できない。
アメリカ国民はアメリカを世界の警察と思っているのかもしれない。だから、世界の平和の障壁になる国は、アメリカが攻撃して正さないといけないと思っているのだろうか。でも、その考えは、この博物館をみれば変わる。絶対に変わる。世界の平和のためとどれだけ言っても、戦争は平和に暮らしている人々を殺す。
国の政治家の思想が違うというだけで、思想とは別の世界で穏やかに暮らしているものすごいたくさんの人々がアメリカ兵に殺された。そのアメリカ兵も、思想とは別の世界にいるように思う。だから、戦争は本当に悲劇しか生まない。

ホーチミンシティを歩いていると、ベトナム戦争のために足や手を失った人々を多く見る。そして、彼らは寄付を求める。僕は、どの国でも物乞いにお金を渡さないが、街の人々の中には彼らにお金を渡す人もいた。
日本と違い、ベトナムでは戦争がまだまだ近い出来事のように思えた。

カンボジアの人たち

2006年03月20日 | Weblog
カンボジア人は穏和だった。
カンボジアの次にベトナムに行ったせいで余計にそう思った。
ベトナムからラオスに陸路で行ったときにも思ったが、
国境という目に見えない境界を越えるだけでこうも人々の気質が変わるものかと驚く。不思議に思う。
笑い方から、旅行者への接し方まで。

夏にインドへ行ったせいで、今回の旅行の始めはかなりカンボジア人に対しても防備を固めて接した。
だまされんぞ、ぼったくられんぞと意気込んでいた。
でも、そんな肩肘張った緊張は肩透かしで、吹っかけては来るものの乗り物も宿も食事も、ちゃんと言った値段で誠実に対応してくれる。ごねたりはしない。
旅行者相手の商売をしていない人たちはとても親切だ。
そして、笑顔が気持ちいい。
食事をしたとき、乗り物から降りたときはもちろん、すれ違ったり、目が合ったりするだけでにこっと笑いかけてくる。こちらも笑顔になる。
子供達も、こころなしか人懐っこいように思った。

ラオスみたいにのんびりして、昼寝大好きで、がんがん根詰めて働かなさそうで、自分と家族が生活できればいいくらいの稼ぎで満足。そんな僕の勝手なイメージから考えると、経済発展ってなんだろうと思う。
必要なのかな。GDPが低くても、発展が遅くても、彼らの幸せの度合いには全く関係ないように思う。僕らの幸せの定規はずいぶん乾いたもののように思う。

水上の生活

2006年03月20日 | Weblog
シェムリアップの近くには東南アジア最大の湖がある。トレンサップ湖という。
その大きさは琵琶湖の比じゃない。
始めて琵琶湖を見たとき、海だ~と思ったが、トレンサップ湖を見たとき、太平洋だ~と思った。大げさだけど、本当にそう思う。
カンボジアには雨季と乾季があって、乾季の時には湖の面積が雨季に比べて三分の一になるそうだ。僕が行ったときが乾季だから、雨季にはどんなふうになるのか想像もできない。

その湖には、多くの人が水上生活をしていた。
巨大な湖の上に、店も学校も病院もある。
皆立派なものから簡単なものまで、それぞれの家を構えている。
ただ、田舎にある地上の民家よりも豊かに見えた。それが水上に住む理由なのだろうか。
僕が、その湖をボートで訪れたのは昼時だったが、みんなのんびりと昼寝をしたり、水を浴びたり、料理を手伝ったりして、穏やかにすごしていた。
その湖にも、区分けがあるそうで、カンボジア系、イスラム系、ベトナム系で別れているそうだ。住所はあるんだろうか。ないだろうな。すぐに移動してしまうから。

ボートが乾季のせいで少し狭いところへ入り、他のボート同士が渋滞になってしまったときのこと。
そこには学校があった。
驚いたことに、周りの若者たちが水上に浮かぶ学校を力をあわせて動かし始めた。
それで渋滞を解消しようというのだ。小さな子供から青年まで協力して水上の建物を動かす様は、僕の世界の外にあった。

写真は水上に浮かぶ協会。

自由と夏の遺跡

2006年03月20日 | Weblog
シェムリアップの遺跡群は2日かけて見学した。
1日目はアンコールワットとアンコールトムという、最も有名な遺跡を見学。
2日目は自転車を借りて、これらの周りに点在する遺跡群を見学した。

この中で思ったことは、どこまでも自由だな、ということ。
遺跡の見学に順路がない。
ただ遺跡がある。あとは自由に見てください、というスタンス。
一つ一つの遺跡が巨大で、中は迷路状態。
崩れ落ちた建物や、大木に飲み込まれた廊下、どこまでも続く部屋の数々。
どこにでも、自分の足で、自分の頭で探索ができた。
もし、これに順路があったらインパクトはずいぶん変わってきたと思う。
例えば、1000年後に廃墟になった三越や名古屋城を青空の下、自由に探索する、そんな雰囲気。

あと、蝉の声が本当に似合う遺跡だなと思った。
カンボジアは暑い。湿度もものすごい。
汗をがんがんかいて、干からびるくらいの太陽の光を受ける。
その中で、密林の中の遺跡では、蝉がいつも大きな声で鳴いていた。
その風景と、音が強く残った。
そして、陽が沈む頃、涼しくなり始め、薄い青色がかった景色になると、なぜか夏祭りを思った。
僕の中では、カンボジアは夏の思い出になりそうだ。

すごい

2006年03月20日 | Weblog
旅行から今朝帰ってきた。
今回はカンボジアのシェムリアップとベトナムのホーチミンシティに行った。

トーベ・ヤンソンのムーミンに登場するスナフキン。
彼は本の中で、
「自分の旅について話したくない。話せばその旅を思い出すとき、話した言葉を思い出すようになってしまうから。」
というようなことを言っていた。
最近、その気持ちがちょっと分かる。
「何々がすごい」などと表現していると、それを思い出したときにそのときの細かな気持ちではなく、ただ「すごい」という大雑把な言葉だけが浮かんでくるようになる。
だから、カンボジアで見たアンコールワットをはじめとするシェムリアップ遺跡群を「すごい」という言葉で表現したくない。

なんでこんなにだらだらと書くかというと、結局「すごい」という言葉でしか表現できないから。
インドのタージマハルは世界的に見ても美しい、巨大建造物だ。
そのタージマハルとは全く違う、圧倒的なインパクトがシェムリアップ遺跡群にはあった。
密林の中で、ただ朽ちて、巨大な木に飲み込まれていく、大遺跡群。
少し前まで、地元民しか知らなかった、これらの遺跡をフランス人が発見したときの様子を想像すると、うわぁと思う。
石造の巨大な建造物がところどころに点在し、見捨てられ、滅んでいく様子は、すごい。