最近、心や体にやさしそうな本をよく手に取る。
それはヨガの本だったり、健康に関する本だったり、部屋の整理本だったり、誰かの語録だったり。
なんだかジジくさい趣味になったかなとも思うけど、昔よりもこの手の本に抵抗がなくなっているのは、本当にジジィに少しずつでも着実に近づいてきている証拠か。
別にいやな気持ではないけど。
話がそれた。
その、最近よく手にする、その類の本によく書かれていること。
「一日、数秒でも、空をみること」
つまり、どんなに忙しくても、あくせくしていても、一日のうちほんの少しでもほっと息をつく余裕を持ちなさいということ。
それを読むたびに、そうか、それはいいなと納得していた。
ところが、昨日走っていて、ふっと、自分が空を見ていたことに気付いた。
ああ、走っているとき、僕は空を見て走っていたんだと、妙な驚きがあった。
長い距離を走っているときばかりではない。
短い距離のとき、特に練習で200mから300mを走っているときなんかは、僕はよくすっと空を見て、すっとお腹の辺りの力を抜いて、もしかしたら少し笑っていたりしているかもしれない。
試合で400mを走るときも、100mを過ぎたバックストレートで、僕はよく空を見て走っていたように思う(顎が上がっているだろ!という突っ込みもごもっとも)。
それは、現実逃避だったかもしれない。
体の苦しさをごまかすために、遠い空に気持ちを乗せていたのかもしれない。
でも、いずれにせよ、僕は空を見て走っていた、ということは驚きであり、うれしいような気もする。
好きな言葉。
「夢は大空に、努力は足元に」
へんなこじつけかもしれないけど、あのころ、足元で努力しながら、夢を大空に見ることができた。
今、足元で努力しているだろうか。
大空に夢を見られているか。
それはヨガの本だったり、健康に関する本だったり、部屋の整理本だったり、誰かの語録だったり。
なんだかジジくさい趣味になったかなとも思うけど、昔よりもこの手の本に抵抗がなくなっているのは、本当にジジィに少しずつでも着実に近づいてきている証拠か。
別にいやな気持ではないけど。
話がそれた。
その、最近よく手にする、その類の本によく書かれていること。
「一日、数秒でも、空をみること」
つまり、どんなに忙しくても、あくせくしていても、一日のうちほんの少しでもほっと息をつく余裕を持ちなさいということ。
それを読むたびに、そうか、それはいいなと納得していた。
ところが、昨日走っていて、ふっと、自分が空を見ていたことに気付いた。
ああ、走っているとき、僕は空を見て走っていたんだと、妙な驚きがあった。
長い距離を走っているときばかりではない。
短い距離のとき、特に練習で200mから300mを走っているときなんかは、僕はよくすっと空を見て、すっとお腹の辺りの力を抜いて、もしかしたら少し笑っていたりしているかもしれない。
試合で400mを走るときも、100mを過ぎたバックストレートで、僕はよく空を見て走っていたように思う(顎が上がっているだろ!という突っ込みもごもっとも)。
それは、現実逃避だったかもしれない。
体の苦しさをごまかすために、遠い空に気持ちを乗せていたのかもしれない。
でも、いずれにせよ、僕は空を見て走っていた、ということは驚きであり、うれしいような気もする。
好きな言葉。
「夢は大空に、努力は足元に」
へんなこじつけかもしれないけど、あのころ、足元で努力しながら、夢を大空に見ることができた。
今、足元で努力しているだろうか。
大空に夢を見られているか。