キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

山屋と走り屋

2011年08月09日 | Weblog
トライアスロンに一緒に出た会社のおじさんに、山登りが好きないわゆる「山屋」がいた。
そのおじさんがトライアスロンの帰り道にこんなことを言っていた。

「マラソンが好きな走り屋はトライアスロンでもタイムを意識する。だけど山屋は、やり切ることを意識する。だから、タイムが速かろうが遅かろうが気にならない」

一見、タイムで負けた事への言い訳にも思えるが、実は一緒に出た仲間の中では彼が一番速かった。だからといって謙遜のようにも思えない。なんというか、自然に出てきた言葉のように感じた。

確かに、登山はタイムどころか勝ち負けすら通常意識しない、なんだか変わったスポーツだ。
そこにタイムと勝負を持ち込んだのが登山競走でありトレイルランであるが、そう考えればこれら新参のスポーツが少なくない山屋に煙たがられているのにも頷ける。
そもそも同じスポーツとは言えないくらい発想が違うのだ。

では、山屋とはのんびりでもとにかく目標とした山に登ればいい、ただそれだけのスポーツか。

そう考えていたら、たまたま同じ日に難関で知られる剣岳に登ったという会社の先輩の言葉に新しい発見があった。

「一つのミスが簡単に死につながるような山だった」

そうだ、山というのは常に死と隣り合わせだった。
タイムや勝負がない代わりに、死から逃げている、生にしがみついている、そんな競技だ。

勿論、走っていて、熱射病や披露で倒れ、そのまま死んでしまうこともある。でも、多くの場合僕らは走るときに死と隣り合わせだという前提は考えない。
それは野球もサッカーも同じだ。

そう考えると、目的もコンセプトも大きく異なる二つのスポーツ。山屋と走り屋では性格も、人生観まで違ってくるのではないだろうか。