臣さん 「師匠。今日の話は少し難しくないですか?」
師匠 「難しいかあ?」
臣さん「なんとなくは、わかるのですが、難しいな、と。」
師匠 「そうかなあ。・・・(略)・・・って、ことだなあ。」
臣さん「そう、言われれば、私も理解できます。
どうして、わかりやすく書かないのですか?」
師匠 「うーん。言われるまま、投稿している場合が多いからねえ。
今回の話は、そうだなあ~
ひとりで不幸になることはない。
ひとりぼっちで不幸になるなど、ありえない。
なぜなら、わたしたちは誰もがつながりあっていて、
幸せ、不幸せ、この世のすべてを体感できるのだから。
ということから感じられたことを伝えたかったんだな。」
臣さん「体感ですねえ。」
師匠 「こうだから、幸せっていうわけじゃないよね。本当はさ。
ものすごく簡単なことだと思うよ。自分がほんわかあたたかい
ものを体感していたことが、幸せなんだよ。
『自分が幸せなのは、自分が幸せだからです。』
っていうのは、確かにそうだよ。
その『幸せ感』を知っている人が、真に幸せな人だってことさ。
物や、他者の価値観に左右されない。確固とした自己を確立
しているから、自分を傷つけるようなことにも、囚われない。
断固として、拒否し、受け入れない。
逆に、自分の『幸せ感』を体感できていない人ほど、幸せ、
不幸せに対して、鈍感だよね。
愛されていることが理解できていない。
理解できていないことは、わからないわけだから、
自分を愛せないことになる。」
臣さん「なぜ、こだわるんですか?」
師匠 「眼には見えないけれど、私たちは誰でもがつながっている
わけだから、この世界の法則をよくわかっていない人
のおこす情動的な行動に巻き込まれることがあるんだ。
まあ、自動車事故をイメージするとわかりやすいかな。
そんなことがおこりえるってことを、知っているからだよ。
昔、何かの本で読んだんだけど、
職場で気の利かない人が一人いるだけで、
巨大な爆弾をかかえているようなものだ、
という一文を読んだことがあるんだよ。
その時、確かにそうだな、って、思ったよ。
ひとつの仕事を多角的にとらえられる人は、次の行動が
容易に予測ができるけど、
わからない人の取る行動は、刹那的で、
まったく、予想が不可能だ。
となると、ミスひとつですら、防げない。
つながってることを理解していると、いないのも、同じだ。
自分勝手に不幸でいても、誰にも迷惑をかけていない、
と、思っているのだろうけど、人間は誰でも、自分一人で
存在しているわけじゃあない。
誰かの夫婦であったり、誰かと親子であったり、兄弟、姉妹
友人、職場の仲間、近所の人たち、道々ですれ違う知らない
人たち。
顔も知らないけれども、名前は知っているよ、あなたの存在
を知っているよ、というすべての存在が引き合い、結び合い
この世界は動いてる。
ひとりが存在しているだけで、この世界は動く。
生老病死 による 喜怒哀楽の感情のエネルギーにより
世界は動く。
愛すること、愛されること。そして、それ以外もね。
深い部分でも深くない部分のふれあいでも、
わたしたちはつながりあい響きあい、この世界を広げている。
このことを知り、実践することが、大切なんだと思う。」
臣さん「師匠の願う先ですね。」
師匠「うん。そして、高次の目に見えない存在である神々もね。」