師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

理を抜く

2009年05月15日 | お客さまの感想や報告から

では、連休中、師匠はどうしていたかというと、あまり変わらない

いつもの日常を過ごしていた。

長い休みのせいか、今年は、報告の電話が多く、楽しい時間が

過ごせたようだ。

その中で、昨年末、直会(師匠とのお茶会)の時に、体の不調を

話したひとから、その後の報告があった。

この直会の時、体の不調の原因が職場での人間関係で悩んでいる

ことからきている、と本人はわかっているのだった・・・。

師匠は、あっさり「ならば、辞めればいい。」と一言。

当人は、「いつも、人間関係で転職しているのに、こんなに転職をして

いいものか。」と躊躇したが、師匠は、

「だからと言って、体まで壊していいのか?」と話していた。

そして、今回の報告。

師匠からの言葉に意を決して仕事を辞めたら、どこから聞いたのか、

以前の職場の人から、「うちに来れば?」とのお誘いが来たそうだ。

当時の悩みのタネだった相手は辞めておらず、今は自分が働きやす

い職場で、体の不調もなくなり、毎日、快適だとのことだった。

そんなうまい話があるものか、と思うかもしれないが、

実際、うまい話はあるのだ。

ない人は、あたまから『そんなうまい話はない。』と決めているからだ。

決めているから、その人には起こらない。ただ、それだけのことだ。

幸せでいることは、案外シンプルだ。

大祓詞を唱える。無心に唱えることは、瞑想と同じくらい意味が深い。

理が勝ちすぎると、身動きがとれなくなる。いつも笑っているくらいが

丁度いい。

そうして、師匠と話していて、笑っていると、状況が好転した、

なんてことは、よくあるのだ。

理を抜く。こころから笑っていれば、理は同居できない。

幸せにいることは、理からいけば、そんなところだろう。

すべてが繋がりあっている。そのすべてとのアクセスをしているのが、

神であり、伝えている師匠なのかもしれない。

102 106太陽のすぐ隣に虹を見た。

一部だけしか見えないので、小さな丸の虹に見える。

師匠は面白がって何枚も写真を撮っていた。

こんなことがなぜ起きるのか、

ではなく、自然の美しさに感動していよう。和らいだしなやかさが

今に在ることなのだ。

コメント
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