師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

情報断食のすすめ 附

2009年06月06日 | 天意の実践

ひとには感情というものがあるが、この感情がとても厄介なのだ。

だから、いやなもの、いやだなと思う、思わせるものは見ない。

少し前なら、いやなことも体験するのが人生では当たり前だと

教えられてきたが、今の状況は違ってきている。

いいことよりも、いやだと思うようなことが、あまりに多すぎる。

ひとは生活も、思考も、ありとあらゆるものを求め、手にいれ、

在り様を多様化して来た結果、自分という存在を理解できないまま

ひとにいやな思いをさせていることにも無関心となり、自分ではない

ネガティブボディのまま、走り続けている。

自分が起こしたムーブメントは、ネガティブポイントを増殖させて、その

ネガティブボディは肥大化し続けている。

これは以前の記事にも書いたが、自分の意識に関わりなく、相手の

感情を暴走にスイッチを入れてしまうことがある。

それにより、相手が発したネガティブの影響を受ける。

一種の呪である。

そして、逆に、いやな思いを暴走させ、歯止めが利かなくなって

いるのだ。

感情が暴走することによっても、ネガティブポイントが増殖する。

このことは、多くのひと、先人たちが繰り返し言っている。

言い方を変えるなら、おだやかなこころでいること。

瞑想や、癒しが求められているが、すべては、無に帰依すること

にほかならない。

この世界にある、『ねばならない』事象や、『常識』といわれて

いたことは崩壊している。

否、常識と呼ばれるものは、常に変化するものなのだ。

そとの世界は変わり続ける。なかの世界の『在る』という自分は

変わらない。

変わるものの中に在って、変わるものを越えたところに、

答えが在るのだ。

コメント (2)
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