師匠を通じて伝えられる、神さまからの言葉は、
最初の頃は私の知らない言葉ばかりだった。
あまりに話しかけられるので、
「わたしのわかることばで、言ってください。」
と、お願いしたところ、いわゆる現代語となって、
今に至っているが、それでも、伝えられる神託はどれも単純で、
私には理解できないが、伝えられた方にはちゃんと、
意味ある言葉で、不思議とわかるようになっている。
神札に書かれたホツマ文字は、言霊そのもので、音意文字
のようだ。
これも本質のみを表して、本人にはわかるようになっている。
現在、私たちが使っている漢字は意味。ひらがな、カタカナは音
を表し、それぞれ、表意文字、表音文字と呼ばれているが、
こうやって分けることで、今はことばも限界なのかもしれないと
思うことがある。
初期に師匠に神さまから降ってきた言葉に『潔斎』ということば
がある。
これも、ただ『潔斎』とだけ伝えられて、感覚的に
祓い清めることだと直感して知らないなりに行っていたら、
これが正しかった。
こうしてみると、
私たちは、本質的なことにおいては、理解が可能なのだ。
あれこれと理屈や、理由。はたまた言い訳を考えたりするから、
かえって物事を難しくしてしまっている。
私たちは意識なのだとわかれば、理屈なく、日々が
過ごせる。
だれとも戦わずにすむのだ。