師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

目に見えるもの 目に見えないもの

2009年09月23日 | 天意の実践

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フラッシュの反射なのか、それとも、これが『奇跡のりんご』の木村

さんの著書『すべては宇宙の采配』に写真掲載された「オーブ」

なるものなのか。

      つい、分析したくなる。がここではやめよう。

真偽したからといって、どうこうという話がしたいわけではないのだ。

     

柞原八幡へお参りへ行って帰り、車に乗って、しばらくしたら、

木に止まっていた山鳩が、地面に降りてきた。

師匠がカメラを構えてシャッターを切ると、小さく「あれ?」つぶやいた。

「なんか、降ってきたみたいなんだけど、なんだ?」

この後、同じ状態や、同じアングルで撮影したが、写っていたのは、

最初の一枚だけ。

師匠「思い出したけど、熊本のМ社長は、念じたらこれ(白い光の玉)

   が降ってくる、って、何枚も写真を見せてくれたよね。

   もちろん、特別な場所で、特別な思いでの話だったけれど。」

私たちが以前撮れたのは、緑色の光だった。(師匠撮影)

このように、何かか写る場合もあるが、何も写っていないが、

その写真に触れると、もの凄いエネルギーが感じられる場合もある。

この場合は、もともと、何かのエネルギーを感じたので撮影をしたら、

そこの風景とともに、そこのエネルギーも封じ込められていたの

だった。

そういうことがあると、写っていても、写っていなくてもどうでもよいこと

なのだ、と言われているような気がする。

師匠「香りがして、「ここにおるぞ。」と語りかけられたり、 

    このように写ったりして、楽しんでおられるのだよ。きっと。」

神遊びということばがある。これは、現代の神遊びなのかもしれない。

コメント
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