フラッシュの反射なのか、それとも、これが『奇跡のりんご』の木村
さんの著書『すべては宇宙の采配』に写真掲載された「オーブ」
なるものなのか。
つい、分析したくなる。がここではやめよう。
真偽したからといって、どうこうという話がしたいわけではないのだ。
柞原八幡へお参りへ行って帰り、車に乗って、しばらくしたら、
木に止まっていた山鳩が、地面に降りてきた。
師匠がカメラを構えてシャッターを切ると、小さく「あれ?」つぶやいた。
「なんか、降ってきたみたいなんだけど、なんだ?」
この後、同じ状態や、同じアングルで撮影したが、写っていたのは、
最初の一枚だけ。
師匠「思い出したけど、熊本のМ社長は、念じたらこれ(白い光の玉)
が降ってくる、って、何枚も写真を見せてくれたよね。
もちろん、特別な場所で、特別な思いでの話だったけれど。」
私たちが以前撮れたのは、緑色の光だった。(師匠撮影)
このように、何かか写る場合もあるが、何も写っていないが、
その写真に触れると、もの凄いエネルギーが感じられる場合もある。
この場合は、もともと、何かのエネルギーを感じたので撮影をしたら、
そこの風景とともに、そこのエネルギーも封じ込められていたの
だった。
そういうことがあると、写っていても、写っていなくてもどうでもよいこと
なのだ、と言われているような気がする。
師匠「香りがして、「ここにおるぞ。」と語りかけられたり、
このように写ったりして、楽しんでおられるのだよ。きっと。」
神遊びということばがある。これは、現代の神遊びなのかもしれない。