例えば、こうなりたいと望む。
そのことへ向かって、なれるように選択をする。
そうなれるように選択をし続ける。
けれども、ひとの時間はそれぞれの進み方で進んでいて、
外空間時間が、同じ速さに見えているだけで、内空間時間は
違う。
同じ年齢のひとの容姿が、過ごし方で、違うように、
早い、遅いがある。
思いなど、感情は決して、計れるものではない。
これも、目には見えないものなのだ。
つながりもそう。目には見えない。
ひとは思う。
いろいろなことを思う。
その思いにもまた、いろいろな思いを乗せる。添える。
そして、軽やかな思いは、やがてエネルギーを持ち、
計りしれない重量を持つ。
こころが沈む。
そう、まさに、思いは、その時、質量を感じさせる。
そして、その重さから逃れようと、その思いを放つ。
思いは、空間に漂う。
思いは漂いながら、さすらいながら、まわる。
空間の中をさすらう。
放たれた数々の思いが留まり、沈む場所を増やしている。
増殖していく。
自分を持たないものはこれに触れ、これに囚われる。
囚われるものを増やす。
そんな気分がふさぐようなものから、自分の周囲を守るには
どうしたらいいのかー
その一番の方法は、在るがままでいることだ。
気分が高揚しても、それに乗らず、ここちよさだけに吹かれ、
気分が沈んでも、そのことに逆らわない。
ことに対して、過剰に期待したりせず、在りのままを捉える。
在りのままに受け取る。
なぜなら、
世界にあなたを不幸にしたいなんて望むものなど、
いはしないのだから。
風に吹かれるようにいれば、あなたは、ただ、風に吹かれて
いるだけで、そのことに気がつく。
自分でいることに気がつく。