師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

地の理 人の和 時の環

2009年05月20日 | 天意の実践

「この人は、まだ、前に出る顔になっていないね。

でも、必ず出てくる。トップになるよ。」

今から、10年近く前、師匠がある人物を見て、こう言った。

人の人生は、おおよそ決まっている。例え、瞬間の選択をまちがえる

かに見えても、ちゃんと、行くべきところへたどり着く。

それは、私自身の体感として、私の中にある。

もちろん、達成したいことがあるならば、人は何度でもそれを

やり遂げようとするものだ。

やり遂げなかったり、あきらめるのは、それがその人のすべき

ことではなかったからだ。

それらは自身の体感として、カウンセリングを通して教えられた。

すべきこと、成すべき事象は巡り巡ってやってくるのだ。

それをチャンスと言えば、そうなのかもしれない。

チャンスは何度かやってくる。

しかし、別な何かを求め始めた時、

そのチャンスは潮が引くようにあなたの場から去っていく。

けれども、落胆はしないことだ。

別な何かはもう、準備され、

あなたの場へ満ちてくる。

さあ、前へ出る顔になったあなたの場へは

何が届けられたのだろうか。

 

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

 

感謝  天ト占と臣


 

 

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本職はとりあえず生きていること

2009年05月18日 | 天意の実践

「歌手はパート。俳優はバイト。本職はとりあえず生きていること」

トーク番組で、俳優の水谷豊氏が話していた。

普通に聞いていれば、笑うところかもしれないが、衝撃的で、

なおかつ本質を突いている。

私たちは、時に、子であったり、親であったり、何某かの職業人で

あったり隣人であったりするのだが、それらすべてを

実は「演じている」のだ。

究極は、それらの個である自分を捨てたところにある。

自分があるから苦しむ。と聞くと、自分のことなのになぜ?

では、誰かがこれを解決してくれるのか?と思うだろう。

そうなのだ。

わたしたちは他者(ひと)のことを我がことのように思えと教えられ、

自分のことは自分で解決しろと、現実からは突きつけられる。

しかし、真実はその先に、真理はその奥に存在する。

この世界のすべてはつながっていることにふれ、つながりに出会う。

そこで壁(限界)を自らが設けていたことに気づいたとき、

あなたを取り巻く壁が溶解し始める。それは存在意義をなくす。

あなたは解放されたのだ。

今に在る。それは今を生きること。110_2

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理を抜く

2009年05月15日 | お客さまの感想や報告から

では、連休中、師匠はどうしていたかというと、あまり変わらない

いつもの日常を過ごしていた。

長い休みのせいか、今年は、報告の電話が多く、楽しい時間が

過ごせたようだ。

その中で、昨年末、直会(師匠とのお茶会)の時に、体の不調を

話したひとから、その後の報告があった。

この直会の時、体の不調の原因が職場での人間関係で悩んでいる

ことからきている、と本人はわかっているのだった・・・。

師匠は、あっさり「ならば、辞めればいい。」と一言。

当人は、「いつも、人間関係で転職しているのに、こんなに転職をして

いいものか。」と躊躇したが、師匠は、

「だからと言って、体まで壊していいのか?」と話していた。

そして、今回の報告。

師匠からの言葉に意を決して仕事を辞めたら、どこから聞いたのか、

以前の職場の人から、「うちに来れば?」とのお誘いが来たそうだ。

当時の悩みのタネだった相手は辞めておらず、今は自分が働きやす

い職場で、体の不調もなくなり、毎日、快適だとのことだった。

そんなうまい話があるものか、と思うかもしれないが、

実際、うまい話はあるのだ。

ない人は、あたまから『そんなうまい話はない。』と決めているからだ。

決めているから、その人には起こらない。ただ、それだけのことだ。

幸せでいることは、案外シンプルだ。

大祓詞を唱える。無心に唱えることは、瞑想と同じくらい意味が深い。

理が勝ちすぎると、身動きがとれなくなる。いつも笑っているくらいが

丁度いい。

そうして、師匠と話していて、笑っていると、状況が好転した、

なんてことは、よくあるのだ。

理を抜く。こころから笑っていれば、理は同居できない。

幸せにいることは、理からいけば、そんなところだろう。

すべてが繋がりあっている。そのすべてとのアクセスをしているのが、

神であり、伝えている師匠なのかもしれない。

102 106太陽のすぐ隣に虹を見た。

一部だけしか見えないので、小さな丸の虹に見える。

師匠は面白がって何枚も写真を撮っていた。

こんなことがなぜ起きるのか、

ではなく、自然の美しさに感動していよう。和らいだしなやかさが

今に在ることなのだ。

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自然の恵み(食べられる実になります 本館バージョン・(笑))

2009年05月14日 | 花・華・お花。植物さんのお話

連休の間、何日か実家の農作業の手伝いに帰っていた。

099

今は甘夏かんが最盛期だ。

101_2

花と実が同居している。

子供の頃になじみの香りだと思うのだが、この歳になって、

この香りに敏感になっている。

師匠の周りで時折香るからなのか、それとも、

無意識に刷り込まれているのか、大体、どこかにあると

思われる木々の存在に気がつく。

まるで、師匠が木々から受け取っているメッセージのようだ。

師匠は、この感覚を木々から受け取っているのだろうと、

私は私の体感として、受け取っている。

実家は別に観光農園をしているわけでもないのだが、

農産加工所に問い合わせがあったとかで、みかん狩りを

させて欲しいと、親子連れがやってきた。

あの子供たちも、いつか、感じ入ることがくるのだろうか。

それは、それで、よいことだ。

089 090 早吸日女神社の橘も花盛り。

甘い香りがしていた。

              

追記

農産加工所では、この甘夏かんの皮でマーマレードを作って

販売をしている。

恵みはあますことなく、ありがたくいただくのだ。

師匠宅では、いただきもので、金柑の砂糖煮が作られた。

 

 

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空のうつわ

2009年05月11日 | 天意の実践

このタイトルをどう読むだろう。

「そらのうつわ」「からのうつわ」のどちらになるのか。

師匠と知り合った頃、時折、私のことをこう呼んでいた。

「くうのうつわ」

それで、どんな字を書くのか聞いたら、この字を書いていた。

そして、「神さまがこう言ったのだ。」

       

それ(ひと)は「空のうつわ」なのである。

肉体があるように見えても、それは、肉体が

低い振動(波動)でエネルギーが揺れているから、可視できる。

実体は見えない存在なのだと。

そして、低い振動(波動)まま存在をし続けていると、その低い

振動(波動)から抜け出すことが大変になる。

これが、以前の話にでてきた『ネガティブマインド』に化した、

『自分』というひとになる。『自分』を定義する。

しかし、『自分』を「空のうつわ」と定義すると、それは高い振動

(波動)の状態に戻ることができる。

今こそ、実体としての自分を選ぶ時が来たのだ。

本来の自分を取り戻す時でもある。

「魂の自分」からの呼びかけに応えよう。075

 

追記

『空』は『うつろ』とも読む。

これは概念でもあるのだ。

すべてはこの『空ろ』から始まった。とある。

写真は、二色空木(ニシキウツギ)

空の木でウツギと読む。

白とピンクというか、紅色が一緒に咲いている。紅白の花。

118 なんとも、日本的な感じがする。

120

皇居の花カレンダーによると、

皇居御苑には、同じ仲間の紅空木

がある。

二色空木のピンク(紅)一色の花が、

5月の花に選ばれている。

この時期を彩る花なのだ。

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