京都市内を歩いていて何度となくお目にかかるのがこの通り名。
市内の地図を調べると各所で分断しながら京都市博物館付近から堀川通近くまで川を渡り東西の本願寺に分断され続いています。
(ウィキペディア) で調べてみると
正面通(しょうめんどおり)は京都市の東西の通りの一つ。大和大路通の方広寺から千本通まで。渉成園(枳殻邸)、東本願寺、西本願寺などで中断する。渉成園と不明門通(この付近では烏丸通と一体)の間では中珠数屋町通とも呼ばれる。
正面通の名称は、方広寺の大仏の正面につながる通りであることに由来する。
大和大路通から本町通までの間は歩道と中央分離帯の整備された広い通りだが、それ以外の区間で対面通行は可能であるが道幅は狭い。
方広寺は秀吉が威信をかけて作った寺で現在の博物館から三十三間堂付近までの広大な敷地でした。
道路も当時としては半端のない長さで途中の川には橋もかけられました。
すべてに広大な想いが詰まっています。
それを打ち砕いたのが徳川家康。
方広寺を縮小させ、道路の途中に本願寺や大小の寺を置き分断させたようです。
このように市内には時の政権の思惑が垣間見られます。