今、美波町(旧の日和佐町赤松)の義民伝説「要左ヱ門」について調べている者がいる。
義民とは”正義のために一身を犠牲にする人々”をいうらしいが、ここ赤松の伝説なのか浄瑠璃の戯話あるいは史実なのか調査しています。
天明八年(1788年)頃に年貢米の上納に際し無理難題を押し付けられ、要左ヱ門という人物が赤松の村人を救う話である。
地元お寺の過去帳にも要左ヱ門の記載があるらしい・・?
私の地区も関係があるらしく、とても興味が湧いてきたので今後連載していきたいと思います。
義民とは”正義のために一身を犠牲にする人々”をいうらしいが、ここ赤松の伝説なのか浄瑠璃の戯話あるいは史実なのか調査しています。
天明八年(1788年)頃に年貢米の上納に際し無理難題を押し付けられ、要左ヱ門という人物が赤松の村人を救う話である。
地元お寺の過去帳にも要左ヱ門の記載があるらしい・・?
私の地区も関係があるらしく、とても興味が湧いてきたので今後連載していきたいと思います。
昔の歴史を探っていくのはとっても面白いことですね。ぜひ調べて教えてほしいと思います。
水のみ百姓だったかもね?
要左ヱ門のご先祖は赤松の村名となった武将”赤松則村”と資料には書いてあります。
要左ヱ門の時代は後の世、天明・寛政の時代背景です。
ただ、我が家あたりは土佐街道の枝街道の一つであったので案外歴史はあります。