デキタン ドシタン

赤松の吹筒花火のはやし言葉です。こんな調子で日和佐(美波町)の出来事やマイライフを公開します。

あゝ傍示峠

2016-11-16 | 日和佐

これが「あゝ野麦峠」の映画のストリーです。

これを観てから「あゝ傍示峠」か「あゝ赤松峠」または「あゝ深瀬峠」のストリーが浮かびました。

先に画像で現場風景を確認して下さい。

 

画像の左側斜面に昔の峠道があります。(峠の尾根と深瀬の登り口に碑を建立

昔は、この峠を越えて赤河内村高等尋常小学校に通ったり、行商人などが日和佐と赤松を結ぶ要所であった。

映画のような工女として子供が山越えするほど厳しくはなかったが、当時の者にとっては大変な坂道であっただろう。

私も映画のような雪山ではなかったが、小学生の頃(S38年?)大雪で車がスリップして動けないのを

仲間と一緒に峠まで押してあげた思い出があります。

<現在の峠の碑>

<ナカガワノギク>

<旧道の溜池と地蔵さん>

<地蔵さんを拝み 直ぐ近くの無線中継局の上にある 本来の峠道を超えて歩きました>

<あかんたれ水鉢> 峠より日和佐方200mひやこ谷にあり

 


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4 コメント

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こんにちは (夢見る)
2016-11-16 12:44:07
今日はいい天気、春のようですよ!
昔の人は赤松から、もっと奥の相生からも歩いて日和佐まで来ていたのですね。
私なら生活できない。
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丹生谷より (デキタン)
2016-11-16 12:55:53
夢見る様

ある知人の嫁ぎ話です。
峠まで来たとき、嫁入り道具か何か忘れたのに気付いたらしいのですが、引き返すわけにもいかず・・?
このお嫁さん、峠より見る遠山に・・
まさか、夢見る様のご出身も丹生谷ではなかったでしょうか・・?
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Unknown (さんりんしゃ)
2016-11-16 23:00:13
傍示の坂、子供の頃は砂利道で今のようなきれいな道でもなく
父のオートバイの後ろに乗り、恵比須浦に貝採りに行った事覚えています。が
写真で見る山を歩いての峠越えは今の時代では想像もつかないですね。

あかんたれ鉢の鯉は付かず離れずって、永遠の恋ですね
帰った時は、水鉢のお掃除でもして永遠の鯉にあやかりたいと思います。
 ※色ボケじゃないですよ。それ位の若い気持ちもっていないとねエ(笑)
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地道砂利道 (デキタン)
2016-11-17 04:02:27
さんりんしゃ様

そうなんです、高校生の時に駅までバイク通学してましてよく転倒しました。(学生ズボン三本アウト)
恵比須浦に貝やヒジキを採りによく行きましたが、小学校の時の遠足で山越えで行ったことがあります。

あかんたれ水の滝水は枯れても、恋の心は枯らさずに永遠でいましょう!
老いらくの恋はあっても、鯉池の鯉は若者のように光り輝いていました。
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