うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

アプリケーション設計の基底にあるもの

2012年12月15日 | ソフトいろいろ

ラーメン丼の底の絵は、全部食べきり飲みきらないと見えてきません。

ちょっとひと口、せいぜい半分食べてもうたくさんというアプリケーションは数あります。
食べ慣れたものよりも、同じ種類でも新メニューをすすめられると、それでは早速という人も世の中には多いので、バージョンアップこそが商売を支えてくれるものという、ユーザー泣かせの通念がゆきわたります。

しかし、これが新しいものを好む人には喜ばれます。
買い求めるのは、とにかく新しいものは持っていないと恥ずかしいと思いがちな、ユーザーとはまた別のショッパー界の人たちです。
経済はショッパー界がなければ成り立ちませんから、その人たちはユーザーを助けてくださるありがたい存在でもあるのですが。


さて、昨日は MS Office 2010 でオブジェクト一括選択をしにくくしているのは、描画キャンバスの意義をなんとか知らしめようという底意があるのではないかと思っていましたが、スープを飲みきってみると、かすかにこんな絵柄が浮かんできました。

それは「流れ」です。
部分図形を組み合わせていく過程で、適宜グループ化を繰り返しおこない、できたモジュールは、再び分解して修正を加えることはしないという前提で作り上げていくという流れです。

大量生産に取り入れられているこの方法は、流れを元に戻すことを許しません。
製作途中でも、組み立て完了品でも、不良品は修復せずに跳ね除けます。
直すより捨てたほうが早く片付くからです。

自分の頭に描いたこの世に一つのものを、自分の手で作り上げていく場合には、部分部分に手を加えながら完成させていくこともできます。

オブジェクトの選択を不自由にしてしまったアプリケーションの設計者は、創造の喜び、自分の手を使うことの楽しみに気付かなかったのでしょう。

簡単に手に入って、たくさんの人が使うものはよいもの、そして新しいものはもっとよいもの、買うこと、見聞きすることを増やし広げることが文化的生活と思って育てられた人たちには、気付くことのできない何かがあります。
脳の働きは生活習慣で変わりますから、その何かが欠落してしまっている人たちに、創造型のアプリケーションを設計せよと言っても、無理な注文なのかもしれません。


知識創造企業
梅本 勝博
東洋経済新報社