前回は、井上鑑さんとの出会いをお話ししました。
さて、私が軽音楽サークルに加入してから1年後に、尊敬する井上鑑さんが高校を卒業されました。
その時に初めて大学進学を身近な問題として感じることに。
当時、早稲田出身の増尾好秋さん(ギター)、鈴木良雄さん(ベース)が、渡辺貞夫さんに抜擢されて、日本のジャズ界の若手ホープでした。
そんなこともあって『私立に行くなら早稲田かな』と思い始めました。
※別の機会にお話ししますが、それまでは、どちらかといえば慶応志向でした。
さて、更に1年後、一年上の先輩方四人、ドラムスのSさん(卒業後、早大に進学)、ギターのSさん(宮崎の航空大学校へ)、フルートのHさん(早大へ)、アルトサックスのYさん(東工大へ)の実力派の各奏者がゴッソリ卒業されてしまいました。
私たちが高校三年生となった時点で、軽音楽サークルのジャズ班に残っていたのは、キーボード奏者のSくん(後に早大。今もフリーのピアノ奏者)、そしてアルトとクラリネットを吹くNくん(後に東大-阪大院、現在は某国立大数学科の教授)、そしてベースの私という3人だけ。
それでも、引き続き3人で練習を続けました。
ジャズを演奏された経験のある方には分かっていただけると思いますが、ドラム・レス、あるいはピアノ・レスの編成は、それはそれで新たな緊迫感を生んで楽しいものなのです。
そうは言っても、秋の文化祭季節が近づいてくると「ドラム・レスだと、ステージがイマイチ盛り上がらないよね・・・」などと三人で思案していました。
そんな時に、「某都立高校に上手いドラマーがいるらしい」という情報が。
そこで、早速そのドラマーMくんを友人を介して紹介してもらい、自分たちが卒業するまでの数ヶ月間、高校は違うけれど一緒に演ろうということになったのです。
実際に練習を始めると、そのMくんは確かに上手い。
トニー・ウィリアムスのような正確で速いシンバル・ワークと強烈なバスドラのキックが実にステージ映えする、高校生離れした技術の持ち主でした。
聞けばプロドラマーに何年も個人教授を受けてきたとのこと。しかし、「本当はサックスを本格的に勉強したいんだよねえ」とも話す多才なMくん。
練習の合間にMくんがサックスを遊びで吹いていると、サックス担当のNくんが「なかなか上手いなあ。こちらが自信を失くしちゃうよ」と苦笑いする場面も。
ともあれ、Mくんの加入で私たちのバンドも一気に元気を取り戻し、自校や他校の文化祭を舞台に四人でガンガン演奏しまくりました。
いや、楽しかった!
例えば、その年、1973年にリリースされたばかりのチック・コリアの『ラ・フィエスタ』のような曲をレパートリーに加えているグループは、高校生では見当たりませんでした。
振り返ると、とてもトンガッたバンドだったと思います。
そして、私たちが大学に進学した後、風の便りで「ドラマーのMくんが、サックスを学ぶために米国のバークリー音楽院に留学したらしい」と。
もっとも、サックス志望とは聞いていたので、さほど驚きませんでした。
そして、何年かが経過し、ピアノのSくんと話していたら、「あのドラマーだったMくんが、プロのサックス奏者として、メジャー・デビューしたこと、知ってる?」というではありませんか。
そのMくんとは、「熱帯ジャズ楽団」という日本のトップ・ジャズ・バンドの一つに所属し、バリトン・サックスなどのリード楽器を吹きまくる宮本大路くんです。
テレビなどにも頻繁に登場する宮本くんですが、かつて彼のドラムを背中に聴きながらプレーした私は、心の中で「彼のドラムも聴いてみたいな」なんて思ったりしています。
なお、再来週の週末に、一年先輩のドラマーSさん、フルートのHさん、そしてピアノのSくんの早稲田進学組が久しぶりに集まって、ジャズのCDを聴きながら飲むことになっています。
今は、1950年代半ばまでののスイングジャズやハードバップが、お酒を飲むには一番心地よく感じられますね。
さて、私が軽音楽サークルに加入してから1年後に、尊敬する井上鑑さんが高校を卒業されました。
その時に初めて大学進学を身近な問題として感じることに。
当時、早稲田出身の増尾好秋さん(ギター)、鈴木良雄さん(ベース)が、渡辺貞夫さんに抜擢されて、日本のジャズ界の若手ホープでした。
そんなこともあって『私立に行くなら早稲田かな』と思い始めました。
※別の機会にお話ししますが、それまでは、どちらかといえば慶応志向でした。
さて、更に1年後、一年上の先輩方四人、ドラムスのSさん(卒業後、早大に進学)、ギターのSさん(宮崎の航空大学校へ)、フルートのHさん(早大へ)、アルトサックスのYさん(東工大へ)の実力派の各奏者がゴッソリ卒業されてしまいました。
私たちが高校三年生となった時点で、軽音楽サークルのジャズ班に残っていたのは、キーボード奏者のSくん(後に早大。今もフリーのピアノ奏者)、そしてアルトとクラリネットを吹くNくん(後に東大-阪大院、現在は某国立大数学科の教授)、そしてベースの私という3人だけ。
それでも、引き続き3人で練習を続けました。
ジャズを演奏された経験のある方には分かっていただけると思いますが、ドラム・レス、あるいはピアノ・レスの編成は、それはそれで新たな緊迫感を生んで楽しいものなのです。
そうは言っても、秋の文化祭季節が近づいてくると「ドラム・レスだと、ステージがイマイチ盛り上がらないよね・・・」などと三人で思案していました。
そんな時に、「某都立高校に上手いドラマーがいるらしい」という情報が。
そこで、早速そのドラマーMくんを友人を介して紹介してもらい、自分たちが卒業するまでの数ヶ月間、高校は違うけれど一緒に演ろうということになったのです。
実際に練習を始めると、そのMくんは確かに上手い。
トニー・ウィリアムスのような正確で速いシンバル・ワークと強烈なバスドラのキックが実にステージ映えする、高校生離れした技術の持ち主でした。
聞けばプロドラマーに何年も個人教授を受けてきたとのこと。しかし、「本当はサックスを本格的に勉強したいんだよねえ」とも話す多才なMくん。
練習の合間にMくんがサックスを遊びで吹いていると、サックス担当のNくんが「なかなか上手いなあ。こちらが自信を失くしちゃうよ」と苦笑いする場面も。
ともあれ、Mくんの加入で私たちのバンドも一気に元気を取り戻し、自校や他校の文化祭を舞台に四人でガンガン演奏しまくりました。
いや、楽しかった!
例えば、その年、1973年にリリースされたばかりのチック・コリアの『ラ・フィエスタ』のような曲をレパートリーに加えているグループは、高校生では見当たりませんでした。
振り返ると、とてもトンガッたバンドだったと思います。
そして、私たちが大学に進学した後、風の便りで「ドラマーのMくんが、サックスを学ぶために米国のバークリー音楽院に留学したらしい」と。
もっとも、サックス志望とは聞いていたので、さほど驚きませんでした。
そして、何年かが経過し、ピアノのSくんと話していたら、「あのドラマーだったMくんが、プロのサックス奏者として、メジャー・デビューしたこと、知ってる?」というではありませんか。
そのMくんとは、「熱帯ジャズ楽団」という日本のトップ・ジャズ・バンドの一つに所属し、バリトン・サックスなどのリード楽器を吹きまくる宮本大路くんです。
テレビなどにも頻繁に登場する宮本くんですが、かつて彼のドラムを背中に聴きながらプレーした私は、心の中で「彼のドラムも聴いてみたいな」なんて思ったりしています。
なお、再来週の週末に、一年先輩のドラマーSさん、フルートのHさん、そしてピアノのSくんの早稲田進学組が久しぶりに集まって、ジャズのCDを聴きながら飲むことになっています。
今は、1950年代半ばまでののスイングジャズやハードバップが、お酒を飲むには一番心地よく感じられますね。