花のたより☆山のふみ~青森県立名久井農業高等学校~

農業と環境の研究グループ「チームフローラフォトニクス」と弟分である「ハンターズ」の取組みを紹介します!

花の東京へ

2021年11月21日 | 研究
先週から大会に向けての練習に取り組んできたFlora Hunters。
いつもは身内だけで練習してきましたが、
早いもので、もう大会直前。
最後は先生方を招いて発表を聞いていただきました。
いわば壮行会。でも声が緊張しています。
またいつもと違う視点からの質問に言葉が詰まる時もありました。
今までいろいろな大会に出場してきましたが、みんなオンライン。
ディスプレイと本当の人前とではやはり緊張感が違うようです。
でも戦う研究集団に変わってきた彼ら。
以前のように、へこんでばかりではありません。
放課後にまた集まって、答えられなかった質問への
回答を作っていました。練習会場となったのは土肥実験室。
2009年から活動を始めたTEAM FLORA PHOTONICS、
2019年のBubble BoysとTreasure Huntersと
歴代の先輩方も放課後、この実験室で
まったく同じような取り組みをしていました。
今年で結成13年目。大先輩のTreasure Huntersの卒業後に
結成されたFlora Huntersなので、
直接先輩から指導を受けたことはありませんが
フローラの心意気は新生環境班にちゃんと引き継がれていました。
大会は本日。寒い北国から花の東京を目指します。
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園芸科学科の思い出

2021年11月21日 | 学校
最も名久井農業高校らしい学科「園芸科学科」が今年度をもって閉科となります。
実は明日、全校生徒と園芸科学科の関係者によって閉科式が執り行われる予定です。
学校再編により、このところ青森県の新聞は閉科式の話題ばかり。
子供が少ないので仕方がないとは思いますが、なんだか寂しくなります。
さて現在、環境システム科に在籍する環境班フローラハンターズですが
前身は2009年に園芸科学科の草花班として結成されたチームフローラフォトニクス。
フローラの独特な研究スタイルや習慣はすべて園芸科学科時代のメンバーによって
確立されたものです。明日閉科式ということなので、少し当時の活動を振り返ってみます。
これは結成から3年後の2011年5月。そうです、あの東日本大震災から
まだ2ヶ月しか経っていない八戸市の種差海岸です。
津波に飲み込まれたサクラソウを救出しようと、青森県に直接かけ合い
フローラの3年生が2年生とともにレスキュー活動を開始しました。
いつもは学校の温室で園芸種の草花を扱っていた園芸科学科が
震災をきっかけに社会に目を向け、
野生植物の保護に立ち上がったとても印象的な活動でした。
この救出活動は青森県や全国のニュースで取り上げられたのはもちろん、
彼女たちの取り組みが番組になったり、国際放送で世界に発信されるなど
大反響を呼びました。チームのところにはダンボール1つになるほどの手紙や
物資、支援金が届いたのを覚えています。
この活動に参加したメンバーは間違いなく机上では学べない
とても大切なものを感じたに違いありません。
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初の国際大会

2021年11月21日 | 園芸科学科
種差海岸のサクラソウ救出に立ち上がった3年生が卒業した後、
その意思は後輩に引き継がれていきました。
そしてサクラソウ救出やマイクロバブルでの除塩活動が認められ
2年生たちが3年生になった2012年、ストックホルムで開催された
青少年水大賞に出場することになります。これはその時の様子。
ヴィクトリア王女様にご挨拶をしているのは当時のメンバーです。
フローラには希望する1年生に研究機会を与えるJr.制度がありますが
この彼女たちはその第1回生。好奇心が旺盛なメンバーで
1年生ながら秋には学会主催の発表会に参加。
さらに国立局地研究所と連携して「白夜のひまわりはどこを向くか」という
テーマでなんと北極を舞台に研究もしました。
またストックホルムでの国際大会とまったく同じ時に開催された
農業クラブの東北大会にも青森県代表として出場。
園芸科学科ここにありと、日本や世界で大暴れしました。
実は彼女たちが入学した時の園芸科学科の入試倍率はなんと2倍以上。
新聞でも高い倍率の学科として取り上げられました。
みんなが花を学びたい、花に関する仕事がしたいとやる気満々。
そんなとんでもない倍率の入試を突破したメンバーでした。
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園芸科学科最後のメンバー

2021年11月21日 | 園芸科学科
フローラは2015年から環境システム科に移籍することになります。
ここで発表しているのは園芸科学科最後のメンバー。
2011年に活動を始めたサクラソウの救出活動は、
その後、自生地の保全活動へと舵を切っていました。
彼女たちは保全生態学の権威である当時東大の鷲谷先生や
筑波大学の先生方からアドバイスをいただき精力的に活動を推進。
その活動が青森県に認められ、日本で初めて開催されたアジア国立公園会議での
発表を依頼されます。もちろん唯一の高校生発表者。それも英語での発表です。
さらに農業クラブでは、この活動をプロジェクト発表と意見発表の2つで披露。
いずれも青森県大会で最優秀。大活躍しました。
確か東北大会の会場となった仙台にフローラは
2〜3年生全員12名ぐらいの大所帯で乗り込んだのを覚えています。
これには理由があります。翌年、環境システム科に完全移籍することになっていたチームは
3年生は園芸科学科、2年生は環境システム科という不思議なメンバー構成。
そのため園芸科学科時代に作り上げた「やるなら楽しく精一杯」という流儀を
この大会を通してバトンタッチしたいという願いがあり
学科こそ違いますが、春から同じ目標に向かって一緒に活動してきたからです。
園芸科学科最後のフローラにとって有終の美を飾るにふさわしい活動でした。
なおここで説明している園芸科学科最後の女子メンバーは筑波大学に進学。
フローラ2人目の筑波大生誕生となりました。
このように園芸科学科時代は頼もしいお姉さんが多く、
グイグイ引っ張ってくれたものです。
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