PURPLE DOT(別館)

超個人的備忘ログです。
不定期更新、記憶曖昧、自分にしかわからない記述多々。
ただの参考記録です、ご寛恕ください。

映画の感想:風が吹くとき

2024-08-26 20:15:51 | movie
いつだったか忘れたけど観ました。
8月中だったはず。(日付はたぶんこのくらいの日って日)

絵本かなんかがあるんですよねこれ。
大雑把な話しか知らなかったけれど、あるとき映画館でやっているのを見つけて、じゃ観てみるか〜と思って赴きましたわ。



観てない人へ向けてのあらすじ。
イギリスのとある片田舎に2人で暮らす老夫婦。
隠居暮らしを謳歌している夫のジムは、街へ出かけるのが日課。
ある日街で見かけた新聞に「戦争が始まる」「核爆弾が落とされるかも知れない」との記事を見つけ、家の中にシェルターを作る。シェルターができたら食糧や水の用意など、政府が発行したパンフレットを手にあれこれ画策する。
妻のヒルダは半ば呆れながらもそれを許容する。なぜなら彼女の中で戦争は「楽しい思い出」だったからだ。
ジムはロンドンに住む息子のサムに電話を掛け、自分達もシェルターを作るよう呼び掛けるが取り合わない様子。
そしてラジオが緊急放送を始めるーー

といったところで。



では感想。
好き勝手に書いてるのでご了承のほどなにとぞ。



いろんな意味で、ひどく『哀しい』お話だった。

あんまり予備知識なしで行ったけど(ストーリーざっくりとしか知らなかった)時代設定的には1980〜90年代とかなんだね……

広島(長崎もだけど)に原爆が落ちた世界線ではあるのに、戦勝国っていうのかな、なんかそこからの目線が思ってた以上に冷たくて悲しかった。
「あいつらは自分達より劣っているから負けたんだ」
「あいつらの判断が間違いだったんだから原爆落とされても仕方がないんだ」
「極東の国の黄色人種なんだから酷く傷付いて当然なんだ」
みたいな。
そりゃ大日本帝国はめちゃくちゃ判断間違えまくってたと思う。特攻隊ひとつとってもそう。インパールひとつとってもそう。一億総玉砕だなんて、実際やったら国民がいなくなって国が存続できなくなるじゃんって思わなかったのかな。
ほかにもいろいろ間違えてきたんだろう。
なんだけど、だからといって「無差別にそこにいる生き物を全て殲滅してもいい」なんて理屈は違うと思う。
少なくとも赤ん坊は「戦争してくれ」なんて頼んだりしない。
少なくとも動物達は、自分達が住む予定のない遠く離れた土地のことを攻撃したいだなんて考えたりしない。
戦争はそれらを、いやそれら以上のものを踏み躙る行為だと思う。

なのに、ヒルダが「戦争してる時は楽しかった」みたいなことを平気で言っていて恐ろしかった。
その人達にとって戦争は、ただの『非日常の娯楽』でしかなかったのだ。
同じように考える人が世界中に沢山いるのかもしれないと思うと、心の中に真っ暗な穴が空いて、その穴がどんどん広がっていくような心地がした。

ジムが繰り返し告げる「お上の言うことさえ聞いていれば大丈夫さ」という言葉。
実際に『その場の』命は助かったけれど。
むしろ「生き残ってしまった」人ほどそのあと苦しむ事になってしまったという皮肉。
しかし、一瞬であんなに世界が一変してしまったのに「お掃除しなくちゃ」とか「牛乳配達が来ない」とか呑気に言ってるのもぞっとした。水が出なくても、ラジオが一切聴けなくなっていても。
これがバイアスというやつなのだろうか。
とはいえ【お上の言うことを信じない人】なら助かったのかっていったらそんなことないと思うけど、「じゃあどうしたらよかったのか」「どこでどうやり直せばこんな事にならなかったのか」って考えても考えても何も思い浮かばなくて。

落とした側が誰かは明確にされないけれど、誰かが後から調査に来たとしたら『勝った』奴等はそれを見て嘲笑うんだろうか。
日本に原爆を落とした側の人間も、日本人を嘲笑っていたんだろうか。
日本に住んでいる限り一度は見たことがあるであろう、巨大なキノコ雲の写真だったり映像だったり。
わたしはそれを見るたびに「この雲の下でどれほどの命が苦しい想いを、つらい想いをしただろう」と考えてしまうのに、同じ生き物なのに、生まれた環境が違うだけでまるで正反対のことを考える人間がいるというのか。
そんな人間が目の前にいたら心底軽蔑する。
だからといって、その人達が同じ目に、またはそれよりも酷い目に遭ってもいいのか。

しかし作中でどれくらいの規模のものが落とされたか明確にはわからないままだけど、あれくらいの規模だと下手したら地球そのものが危険に晒されてしまうのでは?などと思ってしまった。
そうしたら人類どころか地球そのものが滅亡しかねないが、お互い追い詰められたら何するかわからないギリギリを保ちながら冷戦をやっていたのか。
と書くと良く聞こえてしまうが、そこにも犠牲はあったので冷戦といえど負の歴史だとしか思えない。
ともかく今も「何するかわからない」人達がいるし、というかもう世界のあちこちで……と考えると、心の底から暗い気持ちになる。



なにを勘違いしてこの世の全ては自分のものみたいに思ってるんだろう、人間ってやつは。
思い上がるのもいい加減にしろよ。
『たかが人間』だよ。
じゃなかったら気候問題やらスペースデブリやら廃炉やら、どれもこれもとっくの昔に解決できてたはずなんじゃないの?
現実そうじゃないなら、人間が出来ることなんてたかが知れてるんだよ。

怒りに任せて叫びたくなる。

人間は他の生き物よりも知能が発達しているから優れた生き物、なんていうけど、住んでいるところをまるごとめちゃくちゃにしながら殺し合いする生き物のどこが優れているんだろう。
そんなことに使う知能があるなら、もっとお互いを讃えあうために、より良い未来のために使ってほしいよ。
暴力に訴えるなんて、知能の発達した生き物のやることじゃなくない?
手を取り合って、お互いが笑顔になれる未来を一緒に築くためにお互い知恵を絞ろうよってならない?
そうならない世界に、未来なんてあると思わないで。
じゃなかったら、『たかが人間』なんて滅びの道を辿っていく一方なんだよ。

ああ、この作者はそんな風に考えてこの作品を作ったのかもな。
というのはわたしの想像でしかないけれど。


ところで終盤、ネズミが1匹生き残っていたのだった。
そういえば恐竜が絶滅した後も、ネズミのような小さい哺乳類は生き残っていたのではなかったか。
それが進化して、やがて人間が生まれたのではなかったか。

もしもこの話が現実になったとして、やはり小さな哺乳類が生き残るのだとしても、そこから人間のような生き物は生まれないでほしいと願ってしまう。
こんなことを、嬉々として繰り返そうとしてしまうのなら。
コメント
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