(その1)より
「越前大野」です。福井県の観光ランキング上位で行っていないのは、敦賀の気比神宮と越前大野、勝山、福井市中心部位なのです。まずは湧き水「御清水」へ。当分、飲めそうもないので10秒で終了です。駐車場(5-6台)もありました。
「旧田村家」江戸末期の武家屋敷です。綺麗に修復されています。駐車場(10台位)も完備です。
流し台とかも新品です。蔵は見れませんし庭も狭かったですね。
「旧内山家」武家屋敷です。こちらも駐車場あり。蔵が三つもあります。家老宅で藩営商店「大野屋」に銅山も経営していました。広い庭が冬支度でした。
おおっ!「松平 春嶽」の掛け軸です。ここは福井藩だものね。
壁に棚が埋め込みです。シャレています。急階段には手すりがありません。
かまぼこ型の天井です。細かい所にお金が掛かっています。壁は当時の漆喰ですね。
蔵も見れます。蔵の入り口にあったコレは、下々用のトイレだそうです(受付で聞きました)。この深さだと撥ねそうですね~
旧内山家は楽しめました。
「越前大野城」です。鉄筋コンクリの「復興天守(史実に基づいた復元再建でない)」です。大阪城、小田原城、行田の忍城と同じです。麓からの階段が長いのですが、迂回坂もありました。
復興天守(城はあったが、天守の様は想像)でも模擬天守(城の実績自体がでっちあげ)でも一応、撮影は致します。左側が越前大野駅周辺です、たぶん。
越前大野観光があっさり終わって、時間が余りました。翌日の勝山観光を繰り上げることにしました。
勝山市に移動します。「県立恐竜博物館」が有名ですが、3年前に越前大仏と一緒に訪問済です。まずは「平泉寺白山神社」へ。戦国時代に一向一揆に攻められるまでは6,000坊8,000名の僧兵を抱える大寺院でした。三十三間拝殿もあったそうです。全て焼失しました。
長い参道でした。HPを見るとこれが拝殿だそうですが、賽銭箱も有りません。雨戸に囲まれています。
奥のこちらが本殿なのかな。ここで拝観します。上部には龍の彫り物がありました。たぶん江戸時代かな。
苔寺と呼ばれるだけあって凄いです。大木が多く陽が差さないからですね。これで晴天ですので。江戸期と思われる芭蕉の句碑があったのでスマホで調べましたが、句は金沢で詠んだものでした。参拝客も少なく静かで良い所でした。
「勝山城」です。正式には「勝山城博物館」です。「越前大仏」を建てた多田氏が1992年に完成させました。階段とか大理石で立派です。エレベーターもあるし。
棚田が見事。重文の鎧や、紀州徳川家だっけ?の小袖も金銀で超豪華でした。
宿は「勝山ニューホテル」 越前大仏の徒歩圏内です(50mmで撮影)。とにかく部屋が暗かったのです。ソファの背もたれが両面テープなので、後ろにそっくり返りました。危険です。昔のキーなのにセキュリティBOXがありません。フロントに預けに行ったら無人でした。本当にココは東急系なの?
外湯も兼ねていましたが塩素臭でした。ユニットバスも広めなので部屋で入る方が好きかも。
wi-fiも紙芝居でした。駐車場はホテルの真下で便利でしたが。この価格でも地域クーポンが1,000円付きます。8,300円は無いですが、実質4,415円ならお得です。
翌日は、福井市の「養浩館庭園」へ。藩主松平の別邸です。ナビがボンクラで福井城跡(今は県庁)を周回してしまいましたが、少し離れています。屋敷は雨戸が閉まって入れません。10分で終了です。
予定はこれで終了、帰宅です。しかし今回の越前大野と勝山では"見足りない感"が。恐竜博物館・一乗谷・永平寺・東尋坊などの大所を既に見てしまっていますのでね。取り敢えず、3回目となりますが「丸岡城」へ。現存12天守の一つです。
瓦は石で全100トンとか。一度、崩れて元の木材で再建しています。
中学生が階段に苦しんでいました。階段の板の奥行きが短いので、つま先が出てしまうのです。
小さな城ですが、太い梁なども見事です。
時間も早いので「千里浜なぎさドライブウェイ」へ寄ることにしました。高速道路直結の「道の駅 高松」です。歩いて砂浜に降りられます。ここも車が走っていますね~
太平洋側では見ないハングル文字です。
昼過ぎに到着。「学時代にバイクで」→「18年程前に先輩の車で」→「4年前に自分の車で」と今回は4回目です。気持ち良いですー♪
今迄に無いほど硬く締まっていました。ブレーキングの轍まで出来ていました。
4年前の画像です。少し砂浜が狭いですね。写真で気が付きましたが、旧スイフトってリヤに反射鏡がありません。現行型のスイフトには装着されています。ギャランにもイグニスにもあります。
なぎさドライブウェイを抜けたところの「道の駅 のと千里浜」は休日(水曜)でした。地域クーポンは「道の駅 高松」で使えば良かった。
3日目の午後に続きます。次は羽咋観光です。