5/22-24(水-金)、目的は(重文)岩科学校です。今回は昼食をとるのでコース配分は十分にチェックしました。
通常はオダアツ(小田原厚木道路)で向かいますが、常々「大磯で降りて西湘二宮に乗り換えたら」と考えていたので試してみました。オダアツは覆面の取締りがありますが、西湘では見たことが無いのです。停める場所もありませんしね。西湘は追い越し車線を走りましたが結果は大差ありませんでした。
「徳造丸 金目鯛の駅 伊豆高原」です。
黄色の御飯は何の味もしませんでしたが、金目は美味しかったです。海鮮丼もありました。全て2000円前後です。
しばし休んでからセブン経由で「道の駅 伊豆松崎」へ。名主から実業家となった依田氏が1873年に建てた学校「旧大沢学舎」です。明治末には役所だったそうです。内部はリニューアルされています。小さな校舎でした。
「(重文)岩科学校」です。Web等でも良く取り上げられています。明治6年築(1873年)で初代校長は会津出身だったそうです。
出入口は3つ並びで中央が教員用、左右で女子男子に分かれます。珍しいですね。教員用から入ります。お客は全5名と空いていました。
正面に急な階段がありますが5年間で使用禁止となったそうです。
正面2回のテラス部の天井です。ランプは撤去されていました。
二階は畳張りで、床の間のある座敷もありました。昔の教科書やら農工具が置いてありましたが、よくあるパターンです。
専門家的には珍しいのかも? 素人的には整備された「(国宝)開智学校」と「(国宝)閑谷学校+隣の明治の中学校」が見応えありました。あとは「北海道開拓の村」や「明治村」の学校ですね。同年代の様々な建屋が並ぶと時代を感じ易いのです。当時の服着たマネキンや写真も良いですなー
松崎町見物へ。車を置くに適した「伊豆の長八美術館」へ。お客は他に1名のみでした。地元で1815年生まれの芸術家です。江戸で狩野派に学び漆喰鏝絵(しっくいこてえ)を確立、浅草観音堂、祐天寺やら成田山にもあるそうです。
建屋中央のドーム型の天井に彫ってあるのは、昭和59年の手塚忠四郎氏(1907年生)の作品。大きくて表情も少し怖いです(汗)
蔵の扉の作品。
こちらは天井のランプ受けです。現地で鏝絵するのではなく作った物を現地で貼るのかな。2枚目みたいな立体絵画もありました。
なまこ壁?塀?を歩きます。2枚目は明治43年築の「伊豆分邸」で呉服商でした。
反物を広げるスペースがありまする。
2枚目の小窓は外を除くためのもの。戸締りするとセキュリティの高そうな家屋です。2階の雨戸は板でなく土壁の扉です。今は1階がガラス戸ですが、厚い板戸に鉄板を貼った雨戸があればプチ要塞です。”夜這い”とか”強盗”が多かったのかな?
こちらは蔵です。
「明治商家中瀬邸」道の駅の学校を建てた依田氏の呉服商家。”中瀬”は屋号だそうです。時計塔がありますが、この搭と主屋&蔵を繋ぐなまこ塀があったら”監視搭付の砦”です。
こちらの呉服商は畳でなく板張りです。
なかなか広いお家でした。
宿は「堂ヶ島温泉ホテル」タイムセール@16,800円-じゃらんクーポン@2,250=@14,550円 建屋は色褪せて古かったです。
一応、温泉だそうですが無味無臭で肌感も水道っぽいすね。2枚目は露天ですが海沿いにあるので少し歩きます。
大浴場は広いです。2枚目は源泉だそうで僅かにツルツルしましたが触れんほど熱かったです。
海岸にはゴミが多かったな。
食事処からは海&島が見えます。曇りでしたが晴れなら夕日が良く見えそうです。
宿泊客が少ないのでプチバイキングとなりました。これらは勝手に配られるのですが・・・不味い。海老とか生臭いし。アジの干物じゃ駄目なのかな。刺身は1種除いて全滅です(近所のスーパーの398円の海鮮丼の方が旨いな)
ただ、バイキングには鶏肉・焼売・カレーとかもあって良かった。
@1.5万と考えれば設備的には悪くないのです。大浴場は24hですし。
朝には引き潮で島まで歩けるようになっていましたが、歩き難そうなので断念しました。当初予定では堂ヶ島の遊覧船を予定していましたが、曇天なので諦めました。まあ、妻とは一度乗っていますし。
後編へ続く