(その4)より
終章となります。「えさし藤原の郷」と同様、新たに造った「会津藩校 日新館」です。しかし平安時代と違って図面が残っていますので復元が可能です。
実際には会津若松城に隣接していたとか。
やたらと白虎隊と結び付けていましたが、この学校自体が江戸後期に創設されたものでした。僅か60年で戊辰戦争で焼けました。
今回の東北行では方々でツツジを見かけました。多いのかな。
「新宮熊野神社」は以前より拝観したかったのです。場所が喜多方なので機会がありませんでした。
「長床(ながとこ)(重文)」は拝殿で平安末期築(1089年頃)でしたが慶長地震(1611年)で崩れて旧材を用いて一回り小さく再建したものです。
平安っぽい!拝殿として使われていた頃は色々と飾られていたのでしょうね。防火設備が無い気がするのだが大丈夫なのかな。
本殿は江戸後期の再建です。
打ち捨てられた手水には「慶応」の年号が。なんと若い親子連れの少年が1300年代の鐘を撞いちゃいました、ゴーーン♪ 福島では最も古い銅鍾とか。
宝物殿には「銅鉢(1341年)(重文)」がありましたが、他も鎌倉~南北朝時代なのに重文ではありません。たぶん江戸期の修復が原因です。勿体無いです。
会津に南下して「立木千手観音(鎌倉 重文)」へ。正式には「恵隆寺(えりゅうじ)」で本殿も鎌倉の重文となります。参拝者も多かったです。
画像はHPからですが、台座含めて8.5mと大きく二十八部衆も左右に揃って壮観・・・だと思います。長谷寺と同じで幕が張ってあるので真下からしか拝観できないのです。しかも一方通行ですので押し出されます。
東日本はどこへ行ってもじっくり拝観するには今一歩な環境が多いのです。かえって博物館の方が良いくらいです。
「伊佐須美神社」は会津で一番の参拝客数とか。
楼門は平成20年築。
イザナギ神? 2枚目は、「玉に名前を入れて」から、「息を吹きかけて厄を移し」て「岩で割ります」
本殿も拝殿も平成20年に焼失して再建中です。現在は仮の拝殿だけでした。帰りに馬刺しを買って夕飯としました。
全走行 約1,770km 東北温泉行も今後は福島以南となります。北海道へ渡る際に一度だけ通りますが。