旅行、ときどき車弄り

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プロでも失敗するオイル(フィルター)交換

2014年07月31日 | その他(旧マイカー)カスタマイズ履歴
5/21の「みんカラ」の転記と「その後」です。結論から先に。

※ 短時間なので、交換作業を見ていた方が良いです。
※ できれば、ちゃんとしたお店に依頼する方が良いですね。


店舗は、オートバックスA店(埼玉県)です。休憩所から見えるリフトも空いていたのですが、死角なリフトで作業されていました。






1. 作業の失敗:オイルフィルターのボルトを齧ってしまった。
2. 言い分:当店の責任ではない。前回にフィルターを取り付けた店の責任である。すでに齧った状態で装着されていた。当店で脱着の際に表面化しただけである。
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このボルトを三菱ディーラに注文しつつ、フロント&サービスに聞きました。

1. これだけ先端を齧ると、フィルターが固定できない可能性が強い。特にダマになっているので正常にネジ込めない。
2. 真下から装着できるし、作業スペースも広い。手でねじ込めば失敗しない。ここまで潰すにはかなりの力が必要で(以下略)。

3. このボルトは、エンジンから外された状態で渡されたのですか?(以下略)
4. 粗悪なフィルターは、フィルター側のネジ精度が悪い場合もある。
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ところが、A店に作業歴リストを提出して戴いたところ、前回のフィルター交換作業(昨年3月)はスーパーオートバックスB店と判明。ちなみに隣町です。

色々ありまして、B店さんから「A店に代車を返却してあげてください。代わりに当店が車を出します」。とのこと。私の車はA店のリフト上でキーは私が持っています。B店のピット長さんが自宅までいらっしゃって「全て当社の責任ですので、費用も負担します」とのこと。記録もとりました。

今の所は良い対応です。でも・・・B店なのかなー。ちなみに代車は、前回も今回もワゴンRです。レンタカーですね。結構、買い物に便利です。

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失敗は誰でもします。これが「顔の知れた整備工場」や「ディーラ」なら、今後の付き合いもあるので「費用に上載せして修理」「お客に適当に説明して修理」かな、と思います。

それが難しいのが、大手用品店の泣き所なのかも知れません。

あっ、県内のお友達で同系列店でオイル交換している方、(以下略)部分と店舗名をメッセージ可能です。あくまでも三菱の"推測"レベルではありますが。
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「その後」
※ 三菱からボルトが届いたので、A店に持参した。
※ A店では、上手くボルトを捻じ込めないので、私が作業した。前もって油で馴染ませるのがコツです。
※ 締め付けトルクは1.4k。借りたトルクレンチは、不調(2k以上掛かっているのでは?)なので、自分のトルクレンチを使って自分で締めた。

所感:店員は、作業リフトからトルクレンチを取りに行った。常用するのであればリフト毎に置いてあるのでは? トルク設定に手間取っていたので、使い慣れていないのかも知れません。

※ B店のピット長がこの日に自宅へ。部品代と菓子折りを頂戴しました。

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<全体的な感想>

○ 対応姿勢は、問題ないです。礼儀・スピーディーさに不満はありません。ただ、高額修理の責任問題の場合は、違った結果になった可能性も否定できません。

× 技術的には、民間整備業より劣るのかも知れません。「みんカラ」にメッセージ戴いた方のコメントを見ると、引きつる内容でした。経験値の低い方のフォロー体制が大事です。これは作業員に若者が多いことからも伺い知れます。依頼作業を考える必要があると感じました。
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90年 ハワイの旅(簡略版)

2014年07月31日 | 海外旅行(内訳&その他)
社内旅行です。海外は4回でバブルが弾けて終了。これは会社として初回の海外社員旅行でした。中堅社員から選別されました。全員で20名くらいかな。この会社は潰れて吸収されました。その会社も更に吸収されました。

島内観光へ。パンチボール(左)。右はカメハメハ大王像です。右のYさんは自宅の裏山で自殺されてしまいました。優しい方でしたね。人生、楽しめる時に精一杯楽しみましょう。他にはヌアヌパリ(展望台)に真珠湾の観光船が含まれていました。
 

「この木なんの木気になる木~♪」です。新人勧誘パンフの撮影もしました。鉄砲も撃ちに行きましたね。夜はお約束のショー見物とか。
 

あとはフリーなので、有志とレンタカーを借りてハナウマ湾へ。リーフ内は遠浅でイシモチみたいなのが沢山泳いでいました。今でも人気ありますよね。バスなら更に海沿いの景色が堪能できるでしょう(高さがありますから)。私は白い車のドライバーです。
   

仲良し3人組で行動しました。これは陸軍博物館です。大砲やヘリとかもありました。館内は銃とか軍服などなど。

ピンクズボンが私。黄色シャツは同期で退社後、なんと将来の吸収合併した会社に入社。吸収時には昔の先輩達が部下に。

白シャツのE先輩には可愛がって貰いました。でも、2003年に49歳で他界されました。食道がんでした。自分は先が無いのに「なにも会社を辞めなくても良いじゃないか」と慰留されました。思い出すと辛いです。私は、他界後に結局退社してしまいました。

この時から僅か13年後の話です。人生何が起こるか分かりません。時間を大切に! 今回の旅行記は湿っぽいですが、今後の紀行ブログは大丈夫ですので御勘弁を。
  

ワイキキビーチ、アラモアナショッピングセンターetcにも勿論行きました。ビジネス街(ちょっと海沿いより奥)や、中華街も覗いてみました。気候・日本語・治安・ホテルの設備なども安心です。反面、外国っぽくないと感じることも。日本人が多いからかも知れませんね。

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2003年 ドイツ&オーストリアの旅

2014年07月30日 | 海外旅行(内訳&その他)

2003年11月22日~8日間 ルートヴィヒ2世の3城と、ザルツブルク・ザンクトヴォルフガング・ウィーンを巡りました。

フランクフルトからハイデルベルクへ。ここは元学園都市で今は観光都市です。前回は日曜の訪問で賑わっていましたが、平日の午前なので閑散としていました。お店も閉まっています。




山の上に見えるのが、ハイデルべルク城です。


ハイデルベルク城です。内部の見学もありました。大きなワイン樽もありましたね。


ヒルシュホルン(左)、ホルンベルク(右)で休憩しながらローテンブルクを目指します。ネッカー川(ライン川の支流)沿いのドライブは快適です。古城とかもあるし景観も綺麗なのでお勧めです。日本では"古城街道"と呼ばれたりもしますね。


ローテンブルクには夜到着です。翌朝の観光もないし城外の宿でした。これはないなー。「97年ドイツツアー」を次に作成します。詳しくはそちらでご覧ください。一応、お店は開いていました。
 

ツアーでは、この公園を案内し、フリータイムです。昼なら公園からの景色が見所なのですが・・・。城壁は登って歩けますので散策しました。夜でも観光客が多数、散策していました。流石はローテンブルク。


ノイシュバンシュタイン城です。内部は撮影禁止です。2度目の訪問なのですが5年前より城門付近が増築されていました。




夜にフュッセン到着。丘の上の城まで散歩です。ショッピングストリートも広くて賑やかでした。このツアーは3つの城以外のドイツ観光は軽視されています。コース内容を吟味しないと後悔しますね。ドイツに限定するなら97年版のコースがお勧めとなります。
 



リンダーホーフ城です。正面は修復中でシートが掛かっていました。これは横からです。




内部も一部修復中でした。城じゃなくて宮殿ですね。








3つ目の城は、ヘレンキームゼー城です。これも宮殿ですね。キーム湖の島にあるので船で渡ります。夕刻となってしまいました。

未完のままルートヴィヒ2世が亡くなりました。"暗殺"という噂もあるようです。時代は1800年後半で、このような城も宮殿も時代遅れでした。税金で趣味に奔ったようなものです。















伝説によると、弟のオットー1世は起床すると農民を銃で撃つのが習慣であったとか。今でこそ宮殿や城は観光の目玉ですが、当時の民衆から見れば搾取の象徴であり、憎悪の対象でした。オビドスみたいに街全体を城壁で囲むものとは全く意味が違いますものね。


オーストリアのザルツブルク。ミラベル宮殿です。季節が良ければ庭園の花が綺麗なので有名です。この街はドイツに近いのです。事前に「サウンド・オブ・ミュージック」を見ておきましょうね。ロケ地だらけですから。"絶対音感"の持ち主と謂われる「ジュリー・アンドリュース」の歌も上手いですし。


ラインの支流、ザルツァハ川は水が綺麗でした。


ゲトライデ通りです。個性的な看板が有名です。昔、字を読めない人の為だったとか。突き当たりにある聖プライス教会は地味ですが渋いですよ。


岩肌にあるサンクト・ペーター教会も、映画のシーンを思い出させてくれます。




丘に見えるザルツブルク城へ寄る暇はありませんでした。


大聖堂は、あんまり大きくないです。私的には"中聖堂"くらいかな。
 

クリスマスの屋台ですが、まだ11月25日です。


ザンクト・ヴォルフガングです。実際には「おっ!」と云うほど綺麗でした。記憶より暗く写っていますねー。






ザンクト・ヴォルフガング巡礼教会。ゴシック祭壇なのですが、何となくロココっぽい匂いもするかも。


モントゼー教会。ここも映画に出たぞ。
 

ウィーンへ。シェーンブルン宮殿です。内部は撮影禁止です。


王宮です(ホーフブルク)。
99年(今後、作成します)に1度訪問しています。今回は宝物館も見学できたのが良かったです。マリア・テレジアのお宝どっさりです。王冠・宝石etc・・・




市立公園もツアーの市内観光に含まれていました。白はシューベルト像、金色のヴァイオリンを弾いているのはヨハンシュトラウス像です。
 

シュテファン大聖堂(1359年)へ。ステンドグラスとかも驚く程ではなく、屋根瓦が特徴でしょうか。でも、古さはありますね。そのままケルントナー通りで解散。我々は買い物しつつ教会巡りへ。


  

次はペーター教会。元は9世紀ですが、18世紀に改築。9世紀の面影は感じませんでした。
 

ヴォティーフ教会(1879年)ステンドグラスが有名と書いてあったのですが・・・
 





 

夜は、ツアー添付のシェーンブルン宮殿のオランジュリー館でミニオペラ見物へ。会場が平場で狭いし、前列はスーツや制服組が占領していましたね。声は良く聞こえました。


翌日は、マリア・テレジア広場を徘徊してからカールス教会(1713年)へ。ペスト撲滅を祈願して作られました。1600年代後半にヨーロッパで大流行しました。


   

最終日は、市庁舎前広場のクリスマス屋台を覗き歩きました。


このツアーの申し込みは、19年間勤めた会社の退社1ヶ月前で、出発は退社5日後でした。要するに内容を充分に検討していませんでした。しかしながら、ヘレンキームゼー城に寄れたのは良かったかな。

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細かい病は叩いておけ

2014年07月28日 | 病気
今回の循環器の緊急オペ、そしてフォロー、心療内科のケア、今月には腸の内視鏡にポリープ切除(1.5cm)、肝臓腫瘍観察(3.5cm)までを消化しました。

今月は、胃の内視鏡を再度かけるそうです。何でかな。不安だなー。胃の腫瘍の生検結果も未だですし・・・。前立腺もPSAの結果から25-30%くらいは悪性腫瘍とか。昨年の9月から放置やしね。頑張って調べなきゃ。

元々、色々有り過ぎて「もういいや」って半ば諦めて北海道の夫婦旅行を計画したところが、その前に循環器がパンクして結局手術することになりました。これ、ICUです。
  

死に損ねた感想は、「とにかく怖かった」。今までは、なんだかんだで"時間"があるから"何とかなる"って甘い考えもあった訳ですよ。本当は、"待った無し"なのにね。目を背けていただけです。

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さて、そんな検査や治療の毎日な訳ですが、「細かい病は叩いておけ」の事例をば。

これ、"内痔核"と書いてあるでしょう。菊座の内側が痔なのです。んで、悪化すると外部にも飛び出して痛いです。さて、この痔を放置していたために「大腸の潜血テスト」が無効になってしましました。何しろ痔が出血しているので判断できないのです。

その後、たまたま食中毒で、腸の造影CTでポリープが見つかった訳ですが、簡単に切除できるギリギリでした。


次。これは眼科で調べたら緑内障でした。これはちゃんと治しました。治ってなければ心療科の薬が使えない所でした。


抗血栓薬や拡張剤を使えない処置ってのも多いのです。3-7日前から投薬を中断とか。できうる範囲内で病は潰しておかないと駄目なのです、と実感しました。
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88年 オーストラリアの旅

2014年07月27日 | 海外旅行(内訳&その他)

オーストラリアは私初めての海外旅行で、新婚旅行でもありました。妻はハワイやアメリカへ行っていましたから3回目となります。ブリスベーン・ゴールドコースト・メルボルン・フィリップ島・シドニーを巡るコースで@約50万弱と非常に割高でした。当時1オーストラリアドル=170円くらいでした。

ブリスベーンでは、ローンパイン保護区でコアラと一緒に写真を撮ったり、MT・クーサ展望台や植物園へ行きました。

ゴールドコーストです。引き波が強く、泳ぎを堪能するようなビーチではありませんでしたね。泳いでいる人も僅かでした。私も妻も身体が締まっていて別人みたい。
 
Grundy'sというゲーセンです。昔ながらのままでした。今ではレージングカーの(おもちゃ)のトラックになっているようです。


シーワールドで遊覧ヘリに乗ってみました。これは楽しかったですね。
 



メルボルンへ飛行機で移動、市内観光です。教会は外観見物だけだったな。宝石店に寄ったのですが、現地日本人に新聞を渡したら喜ばれました。当時は1週間遅れでしか手に入らないとのこと。Webもありませんしね。
  
キャプテンクックの生家や、コモハウス(2-3枚目画像 1847年上流階級の邸宅)へ行きました。
  
公園にはポサムもいました。


フィリップ島へペンギンを見に行きました。夕刻に海からペンギンが戻ってくるのを見物するのです。決められた木道からの見物となりますので、目の前って訳ではありませんでした。同じバスに乗っていたイスラム教の観光客が礼拝しており、少々驚きましたね(日本じゃ見ないですから)。
   

シドニーの市内観光ツアーはオペラハウスとハーバーブリッジだけでした。海はフリーで行ったボンダイビーチです。マクドナルドに入ったら、皆に奇異のの目でガン見されました。まだ日本人は少なかった頃かも。
  

翌日は終日フリー。シドニーから船で渡るマンリービーチへ泳ぎに行きました。コルソ・ストリートには土産屋も並びます。




ザ・ロックスはシドニーの旧市街です。土産屋はゴールドコーストの方は店数も多かったな。
 

シドニータワーからと、夜の万博へ


3つのビーチとも、"泳ぐ人"が少ないので不思議に思いましたね、当時は。また、"凄く遠くへ来た"と感じました。私はこの旅行で「海外って面白いな」と思い、その後30回以上も渡航することになりました。

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2009年 ポルトガルの旅(1)

2014年07月25日 | 海外旅行(内訳&その他)

2009年10月9日~8日間 スペインと同じ「ミカミトラベル」です。この会社のコンダクターとツアーの内容は良かったですね。

まずはリスボンの市内観光です。エドゥアルド7世公園は、緑が綺麗でした。




ジェロニモス修道院(1502年)です。私の今回のメイン目的物です。見てのとおりで規模が大きいのです。回廊は1511年のものです。






造形も見事です。




このタイルを、「アズレージョ」と呼びます。ポルトガルでは頻繁に見るし、独特なものですね。




このツアーでは、本修道院を充分に堪能できました。自由時間もありましたしね。再度、フリータイムに見学しなくても満足できました。国内のツアー会社が引率すると短時間になってしまいがちなのです。








ベレンの塔(1519年)です。塔や下のモニュメントは撮影タイムのみでした。塔には入りませんが、修道院に時間を割り振ったのは正解かと思います。


「発見のモニュメント」は1960年に作ったものです。


日本地図のところには、1541年と書かれていました。日本では1543年に種子島に漂流したのが最初と云われています。"鉄砲伝来"です。


バスでロカ岬へ。ユーラシア大陸最西端の岬です。青い海が綺麗でした。有料ですが「ユーラシア大陸最西端到達証明書」を売ってます。名前も入れてくれます。






次にシントラの王宮(15-16世紀完成)へ。尖っているのは調理場の煙突です。確か。








王宮だけあって手が込んでいます。涼しげ。






  

シントラは観光地化しています。




リスボンに戻って、食後に展望台へ行ったら行列です。諦めました。右は昼間に撮影した展望台です。


エレストラ大聖堂(1790年)のライトアップをトラム28番線で見に行きました。ついでに終点のプラゼレス駅前(右画像)まで行ったのが失敗でした。墓地の入り口かな。アフリカ系がたむろしており危険な雰囲気。他は白人ファミリーが1組だけ。トラムから降ろされて20分くらい待たされました。


翌日は城塞都市オビドスへ。入り口のポルタ・タ・ヴィラ門もアズレージョです。






ほとんどフリータイムなので城砦へ登ってみました。


サンタマリア教会は14世紀頃。








水道橋は16世紀のもので全長約3km。よく残っていますよね。


ポルトです。ポルトガル第二の都市です。ポートワインも有名ですね。






サンデマン社のワイン工場を見学して試飲しました。どれもこれも甘口過ぎました。




サン・フランシスコ教会(14世紀)は、内部が見事でした(撮影禁止)。金ぴかでした♪ 祭壇の人型彫刻(20体くらい)が、天然色で綺麗でした。どの位置に立っても必ずどれか1体の目線と合うように設計されていました。近くに寄れるのも魅力です。お勧めです。
画像はHPからです(Link) 
 

ポルトガルが石畳が多いのです。結構疲れます。
  

カルモ教会(17世紀)はアズレージョが壁面です。タイルだけ1912年に貼りました。




市庁舎のあるリベルダーデ広場です。そういえば19時過ぎているのに病院は、大混雑でした。翌日に現地ガイドに聞いたら、総合病院は平気で5-6時間待ちだそうです。同じ循環器の病気持ちなので私の薬をあげたら物凄く喜ばれました。
 

サン・ベント駅です。このアズレージョは1930年製です。タイルというより"絵画"です。








翌日は観光都市アヴェイロへ。海沿いに北上しているのです。これは駅舎です。この会社のツアーは基本的に現地に到着すると自由行動になるのでお勧めです。


アヴェイロ大聖堂(16世紀)。といってもこじんまり。






ヴェラ・クルス礼拝堂はアズレージョが綺麗、とガイドブックに書いてあったので。






コインブラへ。学校都市です。サンタ・クルーズ修道院(16世紀改修)。アズレージョも見慣れてきました。




コインブラ大学。ここの図書館(18世紀 撮影禁止)は凄かったです。wikiに少し画像がありました。天井は10m以上で2階構造。梯子で本を取ります。映画に出てきそうな図書館でした。


旧カテドラルは1175年。古いだけあって渋いです。中庭と彫刻が見事。






サンタ・クララ修道院(18世紀)


メインストリートです。やはり石畳です。




後編へ続く

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2008年 スペインの旅(2)

2014年07月20日 | 海外旅行(内訳&その他)

バルセロナの市内観光から。サグラダファミリアです。向かって左より右のエレベーターの方が空いていました。


  







教会としては変わった音色です。


グエル公園。これもガウディの作品です。ベンチは延々と繋がっています。会話をはずませる為かな。










この道化との記念撮影は1ユーロでした。


午後はフリーに。カタルーニャ音楽堂は閉まっていました。綺麗な天井は有名です。




ランブラス通りをブラブラと。下の画像はカタルーニャ広場です。この周辺が最も人が多いところです。




カサパトリョ。これもガウディ。内部は各フロアから屋上まで見れます。1時間以上掛かりましたがお勧めです。内部も変わってます。




       

 



カサミラは人が住んでいるので外見だけです。もちガウディ。




グラシア通りをプラプラとカテドラル(1298-1448年完)へ。セビージャに比べると規模が小さいのですが、予想以上に立派。見る価値あります。
  





ランブラス通りの終点です。
 

グエル邸。これもガウディです。


レイアール広場です。この街灯もガウディです。ここは夜になるとヤクの売人とかが徘徊するらしいです。
 

市役所前のサン・ミケル広場にはクルスマス飾りが。キリストの物語です。今日は12/25です。


王の広場に近いこの一角は、よくTVに出る場所です。


 

サンタマリア・デル・マル教会(1384年)。とにかく真っ暗でした。夕食だけはツアーに付いてました。大型テントの店が連なる、海沿いのシーフードレストランでしたね。
 



  

私にとってのお勧めポイントは、パラドールへの宿泊、セビージャのカテドラル、アルハンブラ宮殿、フラメンコ でした。

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2008年 スペインの旅(1)

2014年07月20日 | 海外旅行(内訳&その他)

2008年12月20日~8日間 現地ツアー会社「ミカミトラベル」で、パラドール宿泊を選びました。今でも同じツアーがありますね。この会社のコンダクターとツアーの内容は良かったです。ポルトガルでもお世話になりました。

マドリードへ入って、プラド美術館を鑑賞しました。ルーベンス・ゴヤ・エルグレコとかが多かったです。ゴヤの「マハ」は裸版と着衣版があるのですが、着衣版のほうが色っぽいです。


スペイン広場やカスティーリョ広場へ。マドリード市内です。

 





そそくさとトレドへ移動。


街中を観光しつつ、カテドラル(1227-1493年完)へ。内部にはエル・グレコの絵があります。大聖堂自体の規模はセビージャ(セビリア)よりちょっと小さいですね。




 

サント・トメ教会でエル・グレコの絵画を鑑賞します。トレドは、ほとんどが撮影禁止でした。


彫金を強制見学です。今回のツアーは明らかに旅慣れている方が多かったですね。誰も買いませんでした。


再びマドリードに戻って、夜は近所のみ散歩。翌朝はAVEでコルドバへ。2等じゃなくて良い席でしたよ。景色は乾燥した大地とオリーブ畑が多かったです。






コルドバは、いかにもスペインって感じの街です。いいですね。イスラム建築のメスキータ(780年~)も見所です。
 





メスキータです。










 



バスでグラナダを目指します。街が塊としてポツポツ存在します。イタリアの田舎とかと同じです。一応、グラナダも夜に徘徊しましたが誰一人とも会いませんでした。


宿は、オプションのパラドールを選びました。昔の修道院跡です。雰囲気最高でドイツの宮殿ホテルより気に入りました。妻も大喜びでした。夕食も美味しかったです。ツアーのは酷いですからね。確かフレンチでした。






グラナダといえばアルハンブラ宮殿です。広い広い。入場には少し並びました。


 

 







天井も細かい装飾でいっぱいです。




この先端からの展望です。水は山からの高低差で引いています。ローマの遺跡なんかと同じです。




海沿いの観光地ミハスへ。土産物屋ばかりで人が少なかったな。でも家屋は多いのですよね。青い海と空。白い街。絵に描いたような観光地でした。私的には"できすぎ"な感じも。






 

夜にセビージャ(セビリア)到着。フラメンコ最高です♪この手のショーは散々見物しましたが、最もノリノリでした。スカートからの風も届くしステップの振動も伝わります。迫力あるし絶対にお勧めします。オーレ!年配のベテランは手の動きが繊細でしたねー。






市内観光です。市内を徘徊しつつスペイン広場へ。建造は1929年と新し目です。万博の会場なのです。


妻はこの絵を買いました。






70万都市です。立派な観光地でもあります。コルドバに似た画像ですが、もう少し整然とした街並みです。オレンジは酸っぱくて食べられないそうです。




 



カテドラル(1402-15世紀末)は、世界三大聖堂の一つであり、非常に大規模な建造物です。(サン・ピエトロ大聖堂・セビリア大聖堂・セント・ポール大聖堂orウェストミンスター寺院)








 

内部は豪華絢爛です。南米から持ち帰ったGOLDです。柵があって近寄れないのが残念です。双眼鏡を持参しましょう。トレドと違って撮影可能でした。


コロンブスのお墓です。


セビリア大聖堂











バルセロナには夜に到着。サンツ駅前のホテルなので夕食にも便利でした。駅中で食べました。


後編へ続く

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がん検診と、がん知識の収集

2014年07月19日 | 病気
この数日、体調が悪くて参りましたが、まあ、何とか復活です。

昨年の人間ドックで記載しましたが、食道の腫瘍(良性)が消えました。神風が吹いた感じです。17日に胃カメラを予約してあったので、具合が悪いけど実施。食道は問題無し。胃の粘膜下腫瘍だけです。食道を守りたいので「ネキシウム20」カプセルは飲み続けています。

胃の粘膜下腫瘍は、以下の書物でも、大きくならなければ悪性ではないようです。

肝臓には4-5年前から腫瘍(良性)があります。大きさは変わりません。18日にCT検査しました。大学病院の大きなディスプレイで見ると、嫌になりますね。3cm以上ある奴なので。肝臓~胆嚢も駄目なんで、こんな便が出たりします。

循環器と高脂血症はお友達ですから。私は毎年大学病院で経過観察中です。

さて、ここからが本題ですが、「これでもCEA腫瘍マーカーは陰性(PSAは陽性)」です。最近は、通販でも簡単に検査できます。「俺は良性腫瘍があるから意味なし」と云わずに1回/年くらいは実施しましょう。陽性が出たら検査しましょう。「転移する癌は、どうせ駄目」と聞くこともありますが、それは違います。別な意味で。

先日、死に掛けましたが「死ぬ前に片付けること」があります。不動産とかなら時間も掛かりますよね。親戚やらとの協議とかもあるやも知れません。家族が居るなら先に知っておく必要があるのです。

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あまり動けないので、医療本も30冊程読みました。主にkindle(電子図書)ですが、本として購入もしました。いんちき臭いのも含めてです。まあ、心臓関係はほとんど読みました。心臓や血管って良くも悪くもハッキリしているのです。読んで憂鬱になりましたよ。マジで。

がん関連は、別な意味で奥が深いです。非常にグレーゾーンが多いのです。優劣の判別が全く付きません。これじゃ混乱するよな。省庁は製薬業界と繋がっているから薬を使わせる方向でしょうね。


近藤氏は、抗がん剤の縮命について、データや臨床とともに解説されています。これに反する勝俣氏(国立がんセンター)は、以下に記載されています。

<抗がん剤単独で使用した場合の効果>・・・手術や放射線を除くってことです
治癒が期待できる・・・急性骨髄性白血病・急性リンパ性白血病・ホジキンリンパ種・非ホジキンリンパ種(中・高悪性度)・胚細胞腫瘍・絨毛がん
延命が期待できる・・・乳がん・卵巣がん・小細胞肺がん・大腸がん・多発性骨髄腫・慢性骨髄性白血病・非ホジキンリンパ種(低悪性度)・骨肉種・悪性黒色腫

「残り」は、「症状緩和」と「期待が小さい」です。

近藤氏の見解では、多少は異なりますが病名は上記に近いです(大腸・肺がんとかは含まれていない)。しかし抗がん剤の副作用の縮命が大きいので、「残り」については、放射線を主体に場合よっては内視鏡や胸腔鏡などの低負荷オペが推奨されています。

要するに抗がん剤って・・・なのか? 胃がん・すい臓がん・食道がん・肝臓がん・脳腫瘍は??

私の周囲では、食道1、胃4(祖父・父も)、睾丸1、脳1、肝臓1、白血2 です(原発)。生き残れたのは胃2(父も)、白血1 だけです。抗がん剤の副作用は凄まじいものがありました(本人から聞いた話と、私の見た目です。爪とかも酷い。)。病院・医師や病種によって異なるのかも知れませんが。

50歳を過ぎたら、目を通しておくと良いと思いますね。病院の標準メニューは、抗がん剤主体ですから。事故自殺老衰肺炎を除けば2人に1人はガンですものね。
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2009年 ポルトガルの旅(2)

2014年07月16日 | 海外旅行(内訳&その他)

コインブラに宿泊し、翌日はバターリャへ。バターリャ修道院(1517年完)です。当時ポルトガルは、スペインや英・蘭と並ぶ強国でしたから建造物も立派です。










細かいです。マヌエル様式はポルトガル独特なものでもあります。










ナザレへ。ポルトガルのリゾート地です。予想以上に景色が良くて驚きました。








ケーブルカーで上へ。


絶景です♪




ミニ教会です


 

宿はエヴォラで。ここは学芸都市です。グラサ教会(16世紀)


街の中心、ジラルド広場 


聖アンタオン教会は、内部が白かったです。ポルトガルでは珍しい。






ディアナ神殿は2世紀末のもの。ローマ時代から栄えていました。神殿の横はオープンビアホールみたいになっていました。


夕日が最高に綺麗でした。


イベントが終わった後?の公園です。こんなところもポルトガル。


翌日は市内観光へ。エヴォラ在住の現地ガイドが説明してくれました。神殿は夜の方が綺麗かな。


エヴォラ大聖堂は12世紀と古いです。






サン・フランシスコ教会は16世紀


カタコンペ。人骨堂のことです。全部で約5000体とか。


右端の骸骨が不気味でした。


そして再びリスボンに戻ってきました。終日フリーです。


サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台からです。


展望台の横は、サン・ロケ教会(16世紀末 18世紀再建)1584年には「天正遣欧少年使節」も泊りました。




市内の移動は市電です。カテドラル(12世紀)は回廊が大きいですね。未だ発掘中みたいでした。








市電は狭いところも走ります。


アウグスタ通りがメインストリートかな。




妻の"買い物要望"で、コロンボ・ショッピングセンターへ。肉の脂身が凄かったです。


メトロのコレジオ・ミリタール駅。こんな所にもアズレージョです。


スペインやポルトガルには、独特の文化も多いので結構楽しめますね。ただ、見てのとおりでツアー内容も"教会"が非常に多くなります。建造物に興味が無いと今一かも知れません。

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2007年 ロシアの旅(2)

2014年07月14日 | 海外旅行(内訳&その他)

サンクトペテルブルクの市内観光です。「ニコライ1世の馬上像」。ここで3人組の追剥が出ました。取り囲んでバッグから金目の物を盗るのです。

現地ガイドが気が付いて警告しましたが広範囲に散って声が届きません。私は周囲の6名を集めました。ガイドは女性なので怖がって私ら8名から離れません。結局、見捨てられた2名が財布とカメラを盗られました。


エルミタージュ美術館です。大クレムリン宮殿の次の目玉でした。思ったとおりデカイな。1762年完のロココ調建築です。


 

エントランスからして豪華。




「紋章の間」


「バウリン」からくり時計です。高そう~


「ピョートル大帝の間」。赤いのは「ゲオルギーの間」
 

ロシアにはウラル山脈で採れる孔雀石(マラカイト)の置物や柱がよく見られます。
 













「ラファエル回廊」といいます。


絵画も有名所が沢山です。2枚目はモネです。


左からダヴィンチ、ラファエロ、ダヴィンチ、ルノアール
 

 

妻は売店で「エッグ」のペンダントを買いました。そう云えばエッグを撮り忘れました。とても緻密な作りで見事でした。モスクワの武器庫にもあったように覚えています。


こういったものも展示されています。引率&フリータイム合わせて4時間でしたがギリギリでした。ツアーを選ぶ際のご参考に。




「血の教会」は外見だけです。ツアーは自由が無いのです。


「ロストラの灯台柱」 川の右岸にエルミタージュが見えます。
 



宿に着いて時間が余ったので、メインストリートを散歩しました。カザン聖堂、イサク聖堂、既に夕刻で入場できませんでした。イサク聖堂は有名なので残念です。




エカテリーナ宮殿 1756年完 


 



現在と、第二次大戦後の写真です。
 

「舞踏の間」




「白の食堂」


「緑の食堂」他にも「赤柱の間」「緑柱の間」とかありました。赤や緑の壁飾りでした。「琥珀の間」は前年に修復が完了したばかりでラッキーでした。これまた撮影禁止でした。Wikipediaに「琥珀の間」の画像があります。



 



「ピョートル夏の宮殿」です。1723年完。水の宮殿って感じです。












水が噴出す仕掛けがあったりで、若者は大はしゃぎです。


ここはフィンランド湾に面しています。



夕食は「フォークショー」見物でした。コサックダンスとか。テトリスの音楽で(笑)。ノリは良いですね。

最終日はAMだけフリーなので散歩しました。ニコライ聖堂です。内部は信者で一杯でした。





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2007年 ロシアの旅(1)

2014年07月13日 | 海外旅行(内訳&その他)

2007年5月20日~8日間 目的は、クレムリン大宮殿(大クレムリン宮殿)の見学でした。当時、エリツィン大統領の開放政策を継続していたプーチンは7年目、50%の確率でイベントが無く見学も可能でした。我々の前のツアーでは見れなかったそうです。

片言英語も通じるとは思えないし国土も広いので、全食事付ツアーです(空港外)。まずモスクワ空港でスーツケースの鍵をこじ開けられました。中身は紛失していませんでしたが。

モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港です。バスで赤の広場へ向かいます。市内には、結構広い道路も多いです。


聖ワシリー教会(1560年)です。赤の広場の端ですね。とてもカラフルです。


ツアーでは外見見学だけなので、フリータイムに入場しました。


  

 

赤の広場です。広いです~。










フリータイムは、皆さんレーニン廟へ行かれましたが、我々はワシリー教会と隣接するショッピングアーケードを散策しました。


トロイツカヤ塔~アルハンゲリスキー聖堂(大きな写真の左側)




左の写真がウスペンスキー大聖堂、3枚目がブラゴヴェシェンスキー聖堂、次がテレムナヤ教会。一番右がクレムリン教会。ウスペンスキー大聖堂だけ入場しましたが、撮影禁止なので内部は忘れました。






大クレムリン宮殿は、幸運なことに見学できました。すげー高い天井でした。バチカンのサンピエトロ寺院に次いで衝撃を受けました。そのくらい豪華でした。1849年完なのに古さや歴史は全く感じませんでした。大声出しちゃイカンと云われ、静かに見学しました。撮影禁止なのですが街中でポスターを見つけてパチリ。
 

 

武器庫(中身は宝物殿です。撮影禁止でした)を見学、"大砲の皇帝"へ。これは撃ったことがないそうです。破裂するか、砲座が後に飛んでいきそうです。




大統領執務室です。といっても外から狙える部屋ではないでしょう。


城外からバスでノヴォデヴィッチ修道院へ。ここは外見見学だけでした。トロリーバスが走ってました(赤いバスもトロリーです)。これで1日が終了しました。確か、大クレムリン宮殿に入れない場合は修道院見物だったような覚えがあります。






翌日はウラジーミルへ移動です。


お花畑を見学しました。気持ち良かったです。遠くに見えるのはポクロフナネルニ教会です。入場見学予定でしたがカットされました。日曜だったのかな?


お花畑の近くのシベリア鉄道の駅です。こんな田舎なのに酔っ払いの浮浪者も居ましたね。




「黄金の門(ゴールデンゲート)」です。1164年完ですがモンゴルに壊されて1795年に再建されたものです。キエフにある「黄金の門」にちなんだそうです。そのキエフのはビザンチンのコンスタンティノーブルの門からとか。これも世界遺産です。


ウスペンスキー教会(1189年)。内部は綺麗でした。右はドミトリエフスキー聖堂。閉まっていました。壁の彫刻が細かかったな。
 



スーズダリへ移動しました。ウラジーミルの小都市です。というか町ですね。まずは木造建築博物館へ。色々な建物がありました。


いたるところに教会があり、露店も出ていたりと観光地そのものです。世界遺産ですしね。
 



スパソ・エフフィミエフ修道院。16世紀です。


隣接のスパソ・プレオベラゼンスキー教会。
 

カリヨンです。初めてのデジカメ動画です。59秒で終わっちゃうんですよね。演奏が終わったら奏者は上から皆に手を振ってました。




修道院の城砦ですね。


遠くに女子修道院が見えます。玉葱だらけです。


宿に早く着いてフリータイムに。左はクレムリン(世界遺産)ですが閉まっていました。右のロジェスト・ヴェンスキー聖堂も。ロシアって閉まっている教会が多いです。
 

宿は、「THE SOKOL」かわいらしい外見ですが、蚊の猛攻に参りました。黒い奴でした。

翌日はセルギエフポサードへ。トロイツェセルギエフ大修道院です。ロシア正教会において最も重要な修道院のひとつであり、教会の集合体です。ここは自由に撮影できました。ロシアでは珍しいです。写真が残っていると思い出しますね。内部画像は青玉葱のウスペンスキー大聖堂(16世紀)です。

一枚目の写真に写る方々が、同じツアーの皆さんです。高齢者が目立ちました。あと、2-3回目の海外旅行がロシアという方も多かったですね。
 

 





聖セルギイ教会(17世紀)



トロイツキー聖堂(15世紀)は内部改修中でした。右は博物館ですが見学の余裕はありませんでした。お任せツアーですから仕方ありません。
 

ちょっと田舎へ行くと古い車が増えます。ラーダのFIATコピーや4駆とか。都市から郊外の"ダーチャ"なる菜園も持つ方も多いそうです(2枚目画像)。週末はここで農業しながらノンビリするとか。本当の贅沢ってこういうのかも知れませんね。


サンクトペテルブルクへ移動します。


後編へ続く

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2004年 パリ・ロンドンの旅

2014年07月12日 | 海外旅行(内訳&その他)

2004年2月25日~6日間 初めてのロンドンです。パリは3回目ですのでポイントを絞って観光しました。フリーツアーとなります。

ホテルはベルシー駅近くの「SOFITEL BERCY」に。治安の良い場所で今風の小奇麗なホテルでした。

現地ツアー「フォンテーヌブロー城とバルビゾン」に申し込みました。バルビゾンです。別荘地で芸術家も多く住んでいました。




フォンテーヌブロー城は16世紀の宮殿です。木造部分の多い宮殿でした。






  





マリー・アントワネットの寝室です。


大きな池がありました。この城は狩猟場用だったそうです。


ツアーを終えて、パリ市内を散策です。

セーヌ川のノートルダム橋です。


シテ島のサント・シャペル教会(1248年完 19世紀改修)へ。裁判所に隣接しているので、手荷物検査があります。ステンドグラスが傑作です。









結構な人出です。


次はノートルダム寺院(1345年完)です。写真が下手糞で恐縮ですが、とても荘厳なゴシック教会です。内部はゆっくり見学して欲しいですね。
  
実物のステンドグラスは、写真より遥かに綺麗です。






裏手は公園です。


シテ島を散歩します。小さいお店が並んでいました。
 

オペラ座です。昼間も内部を鑑賞できます。豪華です。
   





パリの北駅からユーロスターでロンドンへ。ホテル到着後にタワーブリッジを見に行きました。冬のロンドン、終始どんよりしたお天気でした。




ロンドン・アイ(観覧車)は完成して4年も経つのに"長蛇の列"とのことで断念しました。余談ですが2011年の際も"かなり並ぶ"とのことでした。セントポール大聖堂の上部展望台は空いているので代替にいかがでしょうか(高さは20-30m低いだけです)。


ウエストミンスター宮殿は、入場できませんでした。開放日や国会の傍聴券もあるらしいのですが。
 

ウエストミンスター寺院は、内部撮影禁止です。墓の彫刻、内部彫刻、回廊が見事な大きな教会です。1時間半は掛かりましたね。wikipediaにちょっと画像があります。お勧めポイントです。


ウエストミンスター大聖堂です。間違ってタクシーて連れて行かれました。1903年完なので新らし目の教会です。イギリス国教会じゃなくてカトリックなのです。特徴は、この変わった外見ですね。こんなハプニングもフリー旅行ならでは。
 

午後は、現地ツアーの「ガイド付大英博物館見学」を申し込みました。入場は無料ですが目玉展示物の説明が欲しかったのです。昼食もSETです。「The Albert」なる軽食レストランでした。普通に美味しかったです。


説明員はポイントだけ案内&説明して、現地解散です。参加は我々だけでした。

 

ミイラ類も沢山ございます。
 

 

 

これだけ極彩色な物は本国にも少ないです。


  



翌日は散歩に。早朝のリージェント・ストリートです。


ケンジントン・ガーデンズ(公園)です。英国の公園って広々していて解放的です。
  



ケンジントン宮殿です。女王のドレスとかが展示されていました。ダイアナ妃のドレスのウエストの細さに吃驚。身長178cmには見えないです。wikipediaによると「過食した後に吐き出すという独自の「ダイエット法」を行うようになったという」とか。皇室ってのは独裁国家でない限りは、色々と大変なのでしょうね。私は、平民で良かった。


セント・ジェームズパークからバッキンガム宮殿へ。





ピカデリーサーカス駅です。この後は妻の買い物へ。




ホテルは、老舗のウエストベリーを選んでみました。朝食場所が昔の英国っぽかったです。調度品がレトロで。ボンドストーリト沿いでロケーションも最高でした。5★なのでちょっと高かったです。


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2004年 イタリア(ミラノ・ヴェローナ・ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマ)の旅

2014年07月09日 | 海外旅行(内訳&その他)

2004年11月11日~7日間 都市間移動が多いので、ツアーにしました。

マイナーな旅行会社でした(社名を忘却)。「観光30分でお土産屋が1時間」とかの無茶苦茶な時間配分な反面、市内観光や食事のキャンセルは自由でした。これが本ツアーを選択した理由です。

ミラノの市内観光です。スフォルツェスコ城の中庭を散歩しました。
 

 

街を徒歩でヴィットリオ・エマヌエレ2世のガレリアへ。1877年に完成したアーケードです。








ドゥオモ(ミラノ大聖堂 1813年)は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次いで2番目の広さです。とても大規模なゴシック建築です。大きな絵画が印象的です。フリータイム無しで上へは登る時間がありませんでした。











この後、フリータイムとなりましたが、妻の要望でミラノ市内のショッピングとなりました。


その足で古都ベローナ(ヴェローナ)へ。到着後、フリータイムです。何も案内がありませんでした。この手のツアーは、事前にガイドブックなどで予習しないといけません。


パフォーマンスしている方です。


「ジュリエッタの家」。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台で、バルコニーは観光名所です。狭いながらも内部に入場できます。家具とか置いてありましたね。


エルベ広場。ランベルティの塔に登ります。
 



 

紀元前のローマ時代の円形闘技場です。大勢が血を流したところですね。暗くなってきて通路とか不気味です。
 

スカリジェロ橋から。この後、ベネチア(ヴェネツィア)附近のホテルへ向かいました。日本ではベニスとも呼んでいましたね。
 

ベネチア島内のホテルではないので、まず船で渡ります。
 

ちょっと高潮ぎみです。アックア・アルタと呼ぶそうです。


「ため息橋」です。独房に入れられる前に窓の外を見られるのは最後で囚人はがため息をついた、とか。実際は短期刑用だったそうです。


ドゥカーレ宮殿(16世紀)です。天井が綺麗でした。上の「ため息橋」にも繋がっていて歩けます。


サン・マルコ寺院です。内部は撮影禁止です。とにかく金ぴかです。
 

公式サイトで3Dで内部が鑑賞できます。 矢印をクリックしてください。
 

お約束のゴンドラに乗って、ベネチアグラスのお店へ連れて行かれました。勢いで、2万のワイングラスSETを買ってしまいました。
 

 

フリータイムは島内を散策しました。僅か2時間くらいでしたか。最低でも4時間くらいあると良いと思います。サン・マルコ広場は水没していました。ちゃんと木道が用意されているので問題ありません。


鐘楼に登ります。海が見えますねー。良い景色です♪






島内は迷路のようです。お店が沢山あって楽しいところでした。




 




フィレンツェには夜に着きました。物凄い駆け足で、市内観光後にローマまで移動しました。要するに、美術館以外の観光は、ほとんど無しです。これが再訪に繋がりました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)は閉まっていました。残念すぎる!
 

ウフィツィ美術館からのヴェッキオ宮殿です。美術館では、有名なボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」「春」を見ました。美術館には十分なの時間が割り振られていました。美術館からのヴェッキオ橋です。


シニョリーア広場を歩いてヴェッキオ橋を通ってツアーの契約土産屋へ。


バスでミケランジェロ広場からフィレンツェを見下ろしてローマに直行です。


街道沿いに、城塞都市オルビエートが見えました。行ってみたかったな。


ローマの市内観光は事前にキャンセルしていました。バチカン美術館は入場に並ぶので、現地ツアー会社に依頼しました。




   

廊下の天井が凄いです。


ラファエロの間です。




システィーナ礼拝堂です。当時でも撮影禁止でしたが、なんかカメラマンみたいのが撮影しまくっています。隣の警備員に「ノーフラッシュで1枚だけ撮っていいですか」と聞いたら逡巡してから頷いたので、1SHOTだけ撮りました。入りきらん・・・結局写真集も買いました(苦笑)








現地ツアー会社のミールクーポンでパスタを食べました。高いだけあってツアーのパスタより美味かった。


サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂です。3度目のイタリアツアー編に動画があります。





10年ぶりのバチカン サン・ピエトロ寺院です。2枚目はミケランジェロのピエタ像です。こいつは見事です。質感とか。
 







この天井の青い丸い所って登れるんですよ。


登るとこんなです。


上部にも売店とかがあります。一望できますのでお勧めです。ツアーの市内観光では時間が無いので無理ですが。




夕食は、カンツォーネ付きなので、レストランに30分前に着いて皆の到着を待って合流しました。ツアーではバチカンの観光時間は15分で、お店は1時間だったとかで不満の嵐でした。安いのには理由があるものですね。


ホテルはローマのより価格的に上でしたが、ボルゲーゼ公園の奥でメトロは遠くタクシーしか使えませんでした。ホテルは駅に近くないと不便ですね。


このツアーは、結果的にフィレンツェ&ローマが不十分に感じました。結局、3度目のイタリア旅行に結びついてしまいました。"帯に短し襷に長し"かな。

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心療内科は早めに

2014年07月09日 | 病気
私は、5/23に救急車で運ばれて、緊急手術しました。術後は大丈夫だったのですが退院してから痛みに苦しめられました。

6/18のブログにも記載しましたが、終始構えるので緊張を強いられます。循環器障害は、自律神経失調症になりやすいそうです。癌とかも似たような症状が表れることがあるそうです。

入院中に、主治医に院内のメンタルクリニックを勧められました。「大きなショックを受けているので、薬を貰った方が良いです」と。私は、無視しました。

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激痛に備えるということは、

☆ 下腹に力を入れます。終始下痢気味です。
☆ 息を吐いた瞬間に痛むと、目の前が真っ暗になります。よって息を吸い込んだ状態でいたい。過呼吸気味になります。
☆ 前屈みになります。猫背とかのレベルではありません。腰の曲がったお年寄りと同じ角度です。
☆ 当然、強烈に肩がこります。
☆ 頭痛・冷や汗・脂汗・耳鳴り・・・・要するにストレスからくる諸症状です。
☆ いつくるか分からんので恐怖感があります。痛みには、右手で左腕を握って我慢したので痣だらけです。


退院後、循環器科で2回調べ、総合診療科で肺・胸郭・肋骨もX線。問題無し。

ついに先週、心療内科へ行ってきました。

☆ 5/23以来、痺れが残っている。皮膚の感覚も鈍い。脳のCTでも異常無し。
☆ 1月半も激痛に備えたために、下腹部・肩等から力が抜けない癖がついた。
☆ 胸部痛の痛みは、激痛から「アイテテ・・・」程度に改善したのに、身構える恐怖感が抜けない。

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心療内科医より

◆ 早めに投薬を開始すれば、そこまで悪化しない可能性もあった。ゆっくり治しましょう。
◆ 処方:デパス0.5mg、サインバルタ20 運転不可。

要するに、無駄に我慢を重ねて「自律神経失調症」に罹ったと云えますね。
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