あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

未来のことを考えている

2019-03-05 | from:sachiaki
いや、正確には将来のことを考えている。
齢40にもなると初老と呼ばれ老後について想いを馳せる頃だと思いますが
それは昔の生活サイクルから考えてみてのことで
20歳前後で子供産んで、40歳頃には子供は成人。
孫もそろそろ迎える頃か、なんていう時代には
自分の将来というよりも孫たちの未来について考えたりしてたんだろうな〜
なんてことを思っていたsachiakiです。

そんなですけれど、そもそも子供がいないというのもあるからか
自分の年齢と中身とのギャップは一般的な家庭人よりもギャップがあり
「これからの人のための未来」というより
自分のまだまだまだまだ恐ろしく長く続いていく未来について
そちらの方に頭が回ってしまう昨今です。

まぁ最近のお年寄りの政治に関する考えからみても
後人のためにというより、自分達の生活って考えているから
お金が回らないとか、そういった問題があるのでしょうなぁ。。

馬車馬のように働いて、いよいよ隠居だって思っていたら
「あと20年は税とか取りたてるんでよろしく☆」
なんて容赦なく言われたら、そりゃ吐血もんだし
働ける体でもなくなってきているだろうから
ますます思考も固くもなるわなぁ。。

とはいえ、私が後人たちのためにまったく譲る気がないというとそうではなく
むしろ、さっさと若い人たちで世界を回せる仕組みを作ってもらって
自分達年寄りには、でんでら野のような世界を用意してもらいたい
ってことを思っているだけです。

いわゆる「姥捨山」的なものに近いんだけど
年寄りの年寄りによる年寄りための土地を用意して
(どうせアホみたいに過疎化していって土地は余るはずだし)
昼間は若い世界にゆるく農作業の手伝いとかに出て
夕方になると「あがっていく」。
若い人で回す世界で活性化したものを享受するのとは違い
あくまでゆるやかに繋がってはいても、別の世界であることで
経済に干渉をしない自律的な動きになるんじゃないかな?
なんてことを考えたりするんです。

ジジババだけの世界なんて嫌じゃぁ
わしゃぁ若い子が好きだし、
不活性な世界で暮らすなんて嫌じゃぁ
って人が大半なのかもしれないけれど
高齢者を養うほどの力はもうないというなら
そのくらいの思い切ったことは必要なんじゃないかしら?
ってことを思ってみたり。

なんて書いたものの、私自身はどういう未来を思い描いているかといえば
何人かにはお話をしていたけれど
でんでら野に発想は近いものの、もう少し都心的に
アパート一棟を買い付け、友人たちと暮らすという夢を見ています。
家族なんてあてにならないし、
田舎に帰ったところで困る人も多いだろう現代で
自分達で自分達の面倒をみるなら
こういったものがよかろう?と思ったからです。

ほんでもこの間ボーッと考えていたのは
もっとミニマムな庵を構え、
人が訪ねてくることで少量の物資のやり取りをし、
そこで句会とかをしながら細々と暮らすのも良いかもなぁと。
息が詰まりそうになったら歩いて旅に出て
どこで野たれ死ぬかは分からないけれど
そのくらいの最小点で世間と関わるくらいでいいんじゃないか?
なんてことを思っていたりしました。

できればどこかで野たれ死ぬよりは
日本各地にある庵と庵を訪ね歩き、
自分の庵に戻ってきてホッとしたところで息を引き取りたいものですけれど。

ともかく派手に生きるつもりはあまりないので
これからも細々と世界の片隅で生きていくつもりです。

自分の裁量の部をわきまえるくらいには大人になったものです。
チャレンジはし続けるけれど、無茶はしない。

慎ましさとは遠いような遊びばかりしてますが
少しは考えているんですよ、と
ちょっと背伸びしてみました。
背伸びは疲れるので、そろそろいつも通りに。

イエーイ☆これからも生きていくぞー!
今日も1日がんばるぞい☆モイ
コメント
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