あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

コンプレックスと憎しみと

2019-03-10 | from:sachiaki
あなたにはコンプレックスはありますか?

と聞いて、「まったくありません」と答える人はまれなんじゃないかしら。
私もコンプレックスまみれなので、
思わずCOMPLEXのBE MY BABYをしてしまうsachiakiです。
(わからない人はお母さんに聞いてみようね)

それはさておいて、
なんでコンプレックスの話を書こうと思ってのかというと
コンプレックスの裏側というか、
そいつにベッタリとくっついている感情が
すごく厄介だって話をしたかったのですわ。

しかも表に言えるようなコンプレックスは
そこまで深刻ではなく、磨き方などもあるし
自分でもある程度あきらめられるものだったりするけれど
誰にも言えないようなコンプレックスは相当に厄介です。
なぜなら表に出せないから、そいつは自分の中でスクスクと育っていき
手遅れになるほどドロドロとしていて
手で触れそうなほど実体感を持つものになるからです。
実態を伴うほど気持ちの悪いそいつを自分で育てたことも
自分から生まれてきたことも認められなくて
自分のものであるのに拒否してしまい
ますますドツボにハマってしまうってことなのです。

う〜ん、具体性がないな。

私は足が太いことが本当に本当に本当にコンプレックスだったので
それよりはさほど気にしていないけど
(程度の問題で、それなりに気にしてはいる)
ちっぱいの方のことを表コンプレックスとしておしゃべりしていた気がします。
まぁ足が太いこともそれなりに言っていた気がするけれど
それでも胸が小さいっていう方が面白く話せたのもあったから
そちらをスケープゴートみたいにしていたことはあるかも!?
おっぱいの話は滑らない。
これ世界の理の一つだと思うw

それにひきかえ足が太い話は本気度が高いから
共感してくれる人も少ないし、
相手もかける言葉がないからかシーンとしてしまうので
言わない方が良いんだろうなってなっちゃうのですよね。

だから自分でひっそりと努力をし続けるんだけど
それでも結果はでにくい部分だけに
こんだけやって結果が出ないって世界は残酷だって思うわけです。

生まれた時に綺麗な骨格で生まれていたら良かった。
せめて足のコンプレックスを埋める胸の大きさがあれば良かった。
足が綺麗な子は自分の足を自慢するためにさらしてるんだろうな。
そんなに見せつけて、さぞかし鼻が高いのでしょう。
ドロドロリ……






あぁ、あの子の足綺麗だなぁ折ってやったらどう思うんだろう?

そこで我に帰るわけです。
あれ?私の思考ヤバくなかった!!?

そしてそんな時に振り返ると、
見なくても良いはずの自分に見下げるような情報ばかり集めていたり、
(例:可愛くても足が太いとガッカリ…とか)
なにか調子の悪いループに陥っていたりするわけです。
仕事がうまくいってなかったり、友達との連絡がうまくいってなかったりね。

そんな時に自分を下げるような情報を集めてはいけません。

ついやっちゃうけどね。
そして、その悪いループを考えたくないから
目につく憎しみと仲良くしてしまうの。

本当に目を向けなくちゃいけない問題はそこじゃない。

足が太いことなんか、そんなの嗜好の一つなんだから
他の人は対して気にしてない。
どうどうと出していれば好きな人が寄ってくる。

他のコンプレックスもそう。
弱点と思っているところが長所になり得る。
そもそも他の人と違うから目立つのであって、
目立つっていうのはそれだけで個性たり得るのです。

そんなことを思えるようになったのは
本当につい最近だけどさw

たまたま今あげた話は身体的な話だったけれど
騙されやすいマヌケな頭だとか
友達が作れないとか、そういうのもあると思います。
ステータスが問題にされやすい日本では
恋人のいる・いない、既婚・未婚、子供のいる・いない。
そういうこともコンプレックスになるんだと思います。

だけど、人がどう言おうと
そんなことは知ったことではないんです。
大事なのはあなたが幸せであることです。
幸せであるために恋人も学歴も身体的魅力も関係ないんです。
努力してきたことがあなたを肯定してくれるんです。
そして肯定することができたら自信が生まれる。
その自信は人間的魅力となって
順調に進んできた人よりもより深い幸福感を伴ってくれる…はずなのよ。

ここまで来て最後を濁してしまったけれど
順調に進んできたことがないから比べられないんよなぁってことと、
そもそも比べる必要がないんだよなってことですわ。

自分が幸せであるかないかは自分が一番知ってるわけで
それを感じられるかどうかはまた別の話ってやつですわ。
いつだって隣の芝生は青く見えるしな。

ともかく憎しみという恐ろしい分身が生まれてしまった時、
それは自分が我に帰るチャンスでもあるってことですよ。
これ以上その分身を育ててしまうと
もう戻ることができなくなってしまう。
※戻るとは正常な判断・幸福感を感じる場所のことです。

あなたの素晴らしい人生を自分で台無しにしてはもったいないでしょ。
だから憎しみが育って自分で放り出してしまう前に
憎しみを抱きしめて、認めて、自分を許してあげてください。
どんな自分も自分だって。

これはとある人へ向けて書いていますが、
他の人にもなにか感じるところがありましたら幸いですよ。

さて、私も私のコンプレックスと対峙するために
そろそろスクワットしてきますわ。
そんじゃまたねー!モイモイ
コメント
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