唐突ですが苦しいと感じることを世に問いただすのは大事だと思うし、
その苦しさからの脱却のためにはどうしたら良いのか?
そういったことを考えるのはもっと大事だと思う。
そんなことをここ数日もにゃもにゃ考えているsachiakiです。
昨晩はそんなもにゃもにゃを解消すべく
少なくとも幾人かのお話を聞きたいな〜
なんて思いながら、
ちょっとした知り合いとなった舞台女優の女の子に会いに
高円寺にお出かけしていました。
お目当となっていた女優さんとは
「お久しぶりです」なんて無難なことしか挨拶できなかったし、
結局その場でみつけた友人たちの輪に入って
ひたすらゲームの話をしていたので
結局もにゃもにゃしていたことの話はできなかったのだけど、
それはそれでリフレッシュの時間となったので
楽しい時間となりました。
帰宅してからしばらくは元気だったのだけど
さっきまたここ数日考えるきっかけとなっている人の文字列を見て
私たち世代となるロスジェネで結婚(交際)もできなかった層、
というよりも忘れ去られつつある層、
見捨てられてしまっている層、
あるいは「希望は戦争」な層に対して、
苦しいのは感じられるし、
そこに対してもっと支援なり、
世間の目が変わることは必須だと思うけれど、
我らが一番かわいそう!と
叩かなくても良い人たちを叩こうとしているのは
ちょっと悲しいというか、
なんとも辛いものがあるなぁという気持ちでいたりします。
自分たちが益するには、誰かの犠牲がある。
ってことは、そりゃ生きるってことがそういうことだからね。
って気持ちもあるんだけど
どうしても負の連鎖のように感じてしまって
どうにもならないほど悲しい気持ちで溢れかえってしまうわけです。
上記にも上げた「希望は戦争」を掲げた赤木さんは
ポストバブル世代とされ、私たちロスジェネ層よりは
ちょっとだけ上だけど持っている苦しみは近いはずなのに
彼の方が多少なりとも落ち着いているように見えるのは
持っている悩みの質が違うからなのかもしれないなぁとかなんとか。
赤木さんが訴えていることは
非正規の人間を食いつぶし、豊かな人間だけが生き延びられるような
そんな仕組みを維持していこうとするなら
それはもうひっくり返すための手段は戦争しかないぞ。
という生活に根ざしたものにあるのに対して、
どうにもここのところもにょるお相手さんの場合
女性が自分たちより上にいるのが気に入らない、
もしくは、女性が自分たちにあてがわれないのはおかしい、
というトロフィー的な扱いをしてくる感じがもにょもにょするのかもしれない。
この手の人の話をもっと深掘りしていくと、
”相手に選ばれない自分”、
というみじめさに根ざしているようで
”選ばれない”ことに対する不満に関しては
きっと訴え方が違うのだろうなぁ、
とか、そんなことを考えたりしています。
まぁ結婚制度というものと
それを維持するための仕組みとして
世間がしていたことが上司のお勧めによるお見合いだったり、
おじおばたちからもらう縁談だったりしたわけで
結婚制度について自由恋愛からの延長としていまったあたりに
だいぶ無理があったのだろうし、
そんなロマンティックイデオロギーの
ボロが出ているところでもあるのかもしれない。
結婚制度を色々と調べていた時に
裕福な人だけが持ちたる家という制度を採用している国というのは
比較的裕福な国であって、そこでは一夫多妻なども認められていたりする。
女性があぶれる心配がないことと、
それを養える能力の誇示が男性にとってもメリットであり、
国自体の裕福さの証みたいなものなのかもしれないなーとかなんとか。
しかし、そうなると富が一極集中しやすいので
溢れる人たちには不満が生じやすい。
だからこそ、一夫一婦制にして、富の一極集中を避ける
という制度を採用しているところが多いとあり、
基本的にフェアを主軸としているところは
この制度を歓迎しているものと思われます。
そして本題となる、この一夫一婦制にしても溢れてしまった層。
ここの不満がとても大きなものとなっている、
ってことなのでしょうね。
まぁ一見フェアなように見えて、全然フェアでないものっていうのは
そりゃ不満も高まりますわな。
昔の村社会の時代では、子孫が繁栄の証であり、
子孫が途絶えてしまうことが
すなわち村の滅亡にも通じるというので
掟だの慣習だので維持してきたのだろうけれど、
今はそういったものは古いし
まず自由を阻害するものとして嫌悪の対象ともなっておりますわな。
こうなってくると、自由をどこまで制限すれば
誰もが満足できるのか?って話になってきそうです。
と、ここまで書いてきて指も疲れてきたので
今日はこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ
その苦しさからの脱却のためにはどうしたら良いのか?
そういったことを考えるのはもっと大事だと思う。
そんなことをここ数日もにゃもにゃ考えているsachiakiです。
昨晩はそんなもにゃもにゃを解消すべく
少なくとも幾人かのお話を聞きたいな〜
なんて思いながら、
ちょっとした知り合いとなった舞台女優の女の子に会いに
高円寺にお出かけしていました。
お目当となっていた女優さんとは
「お久しぶりです」なんて無難なことしか挨拶できなかったし、
結局その場でみつけた友人たちの輪に入って
ひたすらゲームの話をしていたので
結局もにゃもにゃしていたことの話はできなかったのだけど、
それはそれでリフレッシュの時間となったので
楽しい時間となりました。
帰宅してからしばらくは元気だったのだけど
さっきまたここ数日考えるきっかけとなっている人の文字列を見て
私たち世代となるロスジェネで結婚(交際)もできなかった層、
というよりも忘れ去られつつある層、
見捨てられてしまっている層、
あるいは「希望は戦争」な層に対して、
苦しいのは感じられるし、
そこに対してもっと支援なり、
世間の目が変わることは必須だと思うけれど、
我らが一番かわいそう!と
叩かなくても良い人たちを叩こうとしているのは
ちょっと悲しいというか、
なんとも辛いものがあるなぁという気持ちでいたりします。
自分たちが益するには、誰かの犠牲がある。
ってことは、そりゃ生きるってことがそういうことだからね。
って気持ちもあるんだけど
どうしても負の連鎖のように感じてしまって
どうにもならないほど悲しい気持ちで溢れかえってしまうわけです。
上記にも上げた「希望は戦争」を掲げた赤木さんは
ポストバブル世代とされ、私たちロスジェネ層よりは
ちょっとだけ上だけど持っている苦しみは近いはずなのに
彼の方が多少なりとも落ち着いているように見えるのは
持っている悩みの質が違うからなのかもしれないなぁとかなんとか。
赤木さんが訴えていることは
非正規の人間を食いつぶし、豊かな人間だけが生き延びられるような
そんな仕組みを維持していこうとするなら
それはもうひっくり返すための手段は戦争しかないぞ。
という生活に根ざしたものにあるのに対して、
どうにもここのところもにょるお相手さんの場合
女性が自分たちより上にいるのが気に入らない、
もしくは、女性が自分たちにあてがわれないのはおかしい、
というトロフィー的な扱いをしてくる感じがもにょもにょするのかもしれない。
この手の人の話をもっと深掘りしていくと、
”相手に選ばれない自分”、
というみじめさに根ざしているようで
”選ばれない”ことに対する不満に関しては
きっと訴え方が違うのだろうなぁ、
とか、そんなことを考えたりしています。
まぁ結婚制度というものと
それを維持するための仕組みとして
世間がしていたことが上司のお勧めによるお見合いだったり、
おじおばたちからもらう縁談だったりしたわけで
結婚制度について自由恋愛からの延長としていまったあたりに
だいぶ無理があったのだろうし、
そんなロマンティックイデオロギーの
ボロが出ているところでもあるのかもしれない。
結婚制度を色々と調べていた時に
裕福な人だけが持ちたる家という制度を採用している国というのは
比較的裕福な国であって、そこでは一夫多妻なども認められていたりする。
女性があぶれる心配がないことと、
それを養える能力の誇示が男性にとってもメリットであり、
国自体の裕福さの証みたいなものなのかもしれないなーとかなんとか。
しかし、そうなると富が一極集中しやすいので
溢れる人たちには不満が生じやすい。
だからこそ、一夫一婦制にして、富の一極集中を避ける
という制度を採用しているところが多いとあり、
基本的にフェアを主軸としているところは
この制度を歓迎しているものと思われます。
そして本題となる、この一夫一婦制にしても溢れてしまった層。
ここの不満がとても大きなものとなっている、
ってことなのでしょうね。
まぁ一見フェアなように見えて、全然フェアでないものっていうのは
そりゃ不満も高まりますわな。
昔の村社会の時代では、子孫が繁栄の証であり、
子孫が途絶えてしまうことが
すなわち村の滅亡にも通じるというので
掟だの慣習だので維持してきたのだろうけれど、
今はそういったものは古いし
まず自由を阻害するものとして嫌悪の対象ともなっておりますわな。
こうなってくると、自由をどこまで制限すれば
誰もが満足できるのか?って話になってきそうです。
と、ここまで書いてきて指も疲れてきたので
今日はこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ