あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

社交場に書くと角が立つ話なのでこちらに

2021-09-14 | from:sachiaki
毎週一度の読書会で
「無責任の新体系」を読んでいると
アナトール・フランシス著『エピクソスの園』に
流言飛語の怪物としてピュトアという実在しない人物が出てくるんだけど、
無責任な言葉の膨れ上がっていく過程が描かれていくんですよ。
実在しない人間があたかもいるかのように
全てがそのピュトアの終結する様は
「今日マックで女子高生が〜」の
女子高生に相当する擬人化でもあり
全ての責任をその擬人化された者に押し付けられるため
なんでも言える(できる)ようになる
なんて話は今でも通用するし
むしろ今がまさにピュトアが何人も創造=想像されては
人々を惑わせているようにも思う。

おっと、久しぶりの真面目モードなsachiakiです。

ピュトアの話をするよりも
ちょっと前に本格ミステリ大賞をとった
『虚構推理』に出てくる想像の化け物
鋼人七瀬のようなものが
今では作りやすくなっているというべきか。

私も虚像作りが好きだけど
(岩井俊二の「リリイ・シュシュのすべて』にはかなり影響を受けました)
できるだけ惑わす方向でも
あぁ良い夢を見たなぁ!って思うものが良いな
なんてことを思ったりしているのです。

そして、月一で読んでいる『自由意志の向こう側』木島泰三 著では
ストア派とエピクロス派が出てきて、
目的論的自然観とは決別しながらも
しかしこの宇宙に意思はあるのか?という壮大なテーマに近づいてきて
頭がこんがらがっているところです。

因果的決定論に基づいて考えれば
一の原因に対して、一の結果がつくのは当然で
それは覆しようもないという点で因果論的決定論に「うん」と思うし
計算が可能であるならば(そんなものはないだろうけれど)
たぶんずっとずっと先のことも決定しているんだと思うけれど
そこに「目的(つまり神の意志)」があるか?
と問われたら、んなもんあってたまるか
っていう気持ち。

で、なんでこの二つの話を出したかといえば
人間は未確定な事変が起こった時に
「信じたいものしか信じない」っていうことがあるね、
ってことと、それを避けるためにはファクトチェック
つまり、内在的チェックと外在的チェックが必要で
「その事実はどこ発祥か」をよくチェックし
噂を鵜呑みにしてはいかんよって
そういう話につなげたかったのです。

「火星人からの侵入」でパニックになった当時のアメリカの人々を笑う前に
自分が持っている情報の出所と透明性をキチンと照らし合わせないとねって話。
そんなことを思いました。

『マーズアタック』はおバカ映画だったと思うけれど
けっこう面白かったし、実はちゃんと見ると……
っていうのもないかw

さて、今夜はりんご祭り!
眠れないのでしょうな。

とりあえず今やっている作業をひと段落すべく
ちょいと頑張ってきます!
そんじゃーね。モイモイ。
コメント
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