あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

ロマンティック・ラブ・イデオロギー中毒

2021-09-23 | from:sachiaki
今更ながら「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」こと
通称「ダンまち」を斜め見してながら
そういやヲタクは主人公のベル君をやけに嫌がっていたな
なんてことを思い出して、パンダ氏に

私:ベル君ってどう思う?
パ:いや、とくにないよ
私:ヲタクたちはヘスティア様(ベル君の相棒となる神様)を
  大事にしないから嫌いらしいよ〜
パ:なるほど。ハーレム展開だし、ヘスティアのことは神様として扱っているけれど
 恋人とかそういった見方はしてないから、それなのかな…

だそうで。

それでふと思い出したのが、ガンダムの歴代悪女って言われている
カテジナさん、ニナ・パープルトン、クェス・パラヤを見ても
別に普通の女性なんだよなぁ……って思うって話を別の人とした時も
「わざわざ現実を見たくないのに見せつけられるのが嫌なんじゃない?」
って返ってきたことを思い出したりして、
創作物へのロマンティック・ラブ・イデオロギーは
夢見る女子のものというよりも、
むしろヲタク的な気質を持っている人の方が
強く持っているんじゃないか?なんてことを思ったsachiakiです。

長い前置きな上にガンダムわからない人にはさっぱりわからん話ですね。
私もガンダムは詳しくないけれど、
それでもカテジナさんの序盤でのヒロインっぷりから
後半の戦争に巻き込まれたゆえの発狂で
今もなお悪女の殿堂入りをしているらしい、
ニナについて元彼が出てきて未練がましさが出てきたり
今カレに対して元カレをかばうために銃口を向けたりするので
こちらの方が嫌いっていう人もいるみたい、
って情報は知っている。正直どうでもいい。
そして逆襲のシャアで出てきたクェスに関しては
あまりに子供(13歳)だったのと、ともかく立派なご家庭出身であることとか鑑みると
彼女の動きには「おいおいおい」ってなるわがままさも感じるものの
多感な時期であることや、ピリッとしている大人の冷戦事情なんて知る由もなく
彼女が「モビルスーツに乗ってみたい」と言い出したり
勝手に父親の保護から抜け出してシャアにくっついていったりなんて行動は
(父親が愛人と会ってるところを目撃しちゃった後の行動だったりなのよね)
かわいそうですらあるので悪女っていうのもなぁ…って感じ。
私が逆襲のシャアを初めて見たのが12歳で似たような年齢だったけれど
それでもクェスに関してあまり感想がなかったのは
シャアやアムロの動きの方が大人気なかったからかもしれない。
実際いまこの年齢になって逆襲のシャアを見ても
シャアの大人気のなさに「おま、そういうとこやぞ」って気持ちになって
子供の頃はまだシャアに対してそこそこ同情していたのに
今はその同情心すらなく呆れる対象になりつつあったりします。

と、話が逆襲のシャアでズレてしまった。

ともかくこういった悪女となる対象たちというのは
男性に対して「敵」となる行動をしているという共通点があるのかな、なんて。
つまり自分が「今カレ」である時に「元カレ」を守るために危機に合わせる女、
戦争という極限状態で脆さを見せる精神性により自分の命の危機に合わせる女、
身勝手な行動で立場を危うくさせてくる女。
たしかにそれだけ見ると悪女的な動きなんだろうけれど
そんな単純なもんじゃないだろう?って思うのです。
恐ろしさでいうても現実に存在していた西太后の方がよっぽど恐ろしい……。
(改めて調べてみたらライバルである麗妃の手足を切断して
 甕の中で飼ったというのは創作だったのね…初めて知ったわ。
 そのエピソードがなくても恐ろしい史実はボロボロとあるけれど…)

まぁ西太后やら現実にいた悪女たちのエピソードを見て縮み上がるのも良いけれど
それは横に置いておいて。
ヲタクたち(とくに男性かな?)の中にある
「①運命の人と出会い ②結婚する ③その人の子供を育てるのが正しい」
というロマンティック・ラブ・イデオロギー(価値観)
が、かなり絶対のポジションを持っているので
それから逸れる行動をする女性は全て悪女と捉えられるのではないか?
って感じたのです。

なので、自分の運命の相手であろう相手(ヘスティア神)が
自分に対してアプローチをしているのに、
それには気付かずに別の女性を追いかけているという行動が
このロマンティック・ラブ・イデオロギーの行動規範からズレているので
運命の相手に気づけないダメ男。というレッテルが貼られたのかな?
なんて思ったりしてました。
古くは諸星あたる(@うる星やつら)というキャラクターもいたけれど
あれは単に素直になれない人で運命の相手となる
ラムのことを思っていることには違いなかったから
あまり嫌なキャラにならなかったのだろうか。
その時代では嫌われていたのだろうか。気になる。

そもそも論があまり良いことではないことも分かっているけれど、
ロマンティック・ラブ・イデオロギーが日本に概念輸入されたのは
明治時代のことで結婚を前提とする純愛なんてものはなかったのよね。
当時欧米で普及していた特殊な性愛の形態で、
欧米でも19世紀になって出てきた概念なので比較的新しいものなのさ。
人類が増えていく時に、この純潔な思想があるおかげで
ある程度理性のある都市型では人口が減退する理由ともなっている
ロマンティック・ラブ・イデオロギーですが
いまだにこの価値観は根強く、
夫婦間で生まれた以外の子についての法整備などが甘く
正直このまま人口は減り続けるんだろうなって予想していたりします。
私個人の考えでいえば、地球規模で考えた時の人口は相変わらず右肩上がりなので
抑制する意味でもいいんじゃないの?って思うし
必ずしも自分の遺伝子を残さなくては!という気持ちも
産めない年齢になってから余計に加速して
いいじゃん、日本人は1億以上いるんだし、民族としてのアイデンティティは残るだろ?
って気持ちの方が強い。
強いて言うなら、「国」という概念で区切られているものがかなりあるので
日本人という人口が減れば減るほど「日本」って国を守るための
施策はしずらくなるだろうなって思うので、
人口を増やす法を整備するか、日本人という枠組みを広げる法を整備するかの
どちらかになるんじゃないかなーって気持ち。

ともかく美しく見えるものというのは魅了されるけれど
「魅」には「鬼」が潜んでいるので
あまりそればかりを追いかけていると殺されちゃうんじゃないかな。
なんてね。

と。
地球規模で考えた時の話をすると「?」って顔をされることも多いので
今日もこの辺にて。

あ、術後の経過として出ていた微熱ですが
今朝も37.2℃と微妙なラインでしたが
そろそろ仕事をしないとガチでやばいので気合い入れて
パツコン前にいます。
目がかすみやすいけれど、ほどほどに頑張る。
いよいよ年末進行だなってことを感じながら。

そんじゃまた!モイモイ。

参考記事:ロマンティック・ラブに悩む日本 変貌する恋愛観とは
コメント
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