あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

花に嵐のたとえもあるさ

2021-09-24 | from:sachiaki
さよならだけが人生だ。
って井伏鱒二の訳で有名なこの詩は
もともと唐代の詩人の詩で「勧酒」といわれているものらしいです。

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

直訳では
君にこの金色の大きな杯(金屈巵:取っ手が付いた黄金の杯)を勧める
みっちり注いだこのお酒 遠慮はしないでくれ(不須辞:辞退する必要はない)
花が咲くと雨が降ったり風が吹いたりするものだ
人生に別離はつきものだよ

この詩には一期一会として捉える人と
別れを惜しむものとして捉える人と
大きく二つに分かれるそうだけれど、
私はどちらでもあるなぁって気持ちだったりする。
友人の数はそんなに多くないはずなのに
今年に入って2人もなくして「別れ」にはちょっとした思いがあるsachiakiです。

どちらも私より若く、これからが希望に満ちていただろう人だったってこともあって
ひどく落ち込んだものだけど、
別にそういった希望に満ちている人だから寂しいのではなく
お酒を出す側にいる身としては
たった一度カウンターに座った人であっても
物理的にもう2度と会えないってことを知ると
なんともいえない切なさに胸を締め付けられるものです。

なので別れを惜しむために飲む酒でもあり
一期一会的に飲み交わす酒でも、どちらでも。
同じ時間に同じ場所でお酒を酌み交わせる奇跡と
明日は会えないかもしれない未来に対して
さようならだけが人生だというのは
なんとなくしっくりくるものであったりします。
あと何回「さようなら」「また今度」そういった言葉を交わせるのか。

あの人が座った席で、披露してくれたピアノの指さばきや
あの人が座った席で、撮り溜めた写真をカメラのプレビューで見せてもらったこと
あの人が座った席で、自分で作った服を照れながら自慢してくれたこと
あの人が座った席で、これから始めようとしていた企画を細々と話してくれたこと

他にもたくさんあるけれど、
どれもこれも忘れることのできない記憶の片鱗として
いつまでも胸の奥に残っていて
ただ会えないだけで、本当はどこかで元気にしているんじゃないか
なんて妄想もしたり。

とはいえ、お墓の案内などももらっていたので
お参りなんぞもしたりして、もういないということを実感したりするのです。
そういえば今年は彼岸花が咲くのも早かったですね。
金木犀も咲き始めたかな?ってニコニコしていたのもつかの間
あっという間に散ってしまい、
なんなら彼岸花もすでに枯れ始めてて
あれ?秋ってこんなにフルスピードで駆けていくものだったっけ?
なんて不思議に感じているところです。

そういえばここ数日は晴れているからか
30℃近くを叩き出している気温だけど
広葉樹は色をつけ始め、色をつけているだけならまだしも
すでに落葉しているものもチラホラと見受けられ
季節が一ヶ月ぐらい早送りしているような気持ちにさせられています。
そんなに急いで冬にならなくてもいいんだよ〜。
今年は春の訪れも遅く感じたぐらいだから
冬が長くなるのはゴメンなんだよ〜。

出会いと別れ。
生物の生き死に。
巡る命のサイクルなど。
嵐のように過ぎ去っていく日々に
せめて今だけはお酒を酌み交わし、
笑って過ごそうじゃないか。

そういう気持ちになる時もあります。
別に今日がそういう気持ちになったってわけじゃないけれど。

さて、今日は母親に早い時間から電話で叩き起こされてしまったので
眠たみの極みだったりするんだけど
ちょっと気合を入れてお仕事もしないとね!
ってことで作業に戻ります。
夕方からは声出しのお稽古もあるのでな。
そんじゃまた!モイモイ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする