最近実家に呼び出される回数が増していて
仕事が後ろ倒しになってヒィヒィ言っているsachiakiです。
なんで実家に呼び出されているかといえば
母が身の回りのことができなくなっているので
一人で努力はしてみても、どうにもならない時は
一番家が近い私にヘルプを出してくるってわけです。
去年あたりから要支援から要介護になり
現在はたしか要介護2という認定を受けていて
”身の回りのこと全般に見守りや手助けが必要”という状態になっていて
本来なら誰かがそばにずっといないといけないんだけど、
私のところは同居するのは難しいけれど
家の近くに住居を選ぶのでヘルプ時に駆けつけるってことにして
弟(上)は同居も視野に入れているが、
母が嫌がっているので同居ができないっていうのと
弟(下)はマスオさんに近い状況で
実家にはなるべく助けに来るけれど、同居は無理ってなってる状態です。
弟(上)は正論をブチかまして感情的に人に寄り添うのが難しいタイプなせいか
母にキツめに当たってしまうので、母が怯えちゃっているんですわ。
ぶっちゃけこれから書こうとしている父に似たタイプだから
母が遠慮しているのが実情なんじゃないかと思います。
で、本来同居して家にいなくちゃいけない伴侶となる父がどうしてるかといえば
平日は独身寮にいて、週末だけ帰ってくるって生活をしています。
要支援になったあたりから母のそばにいてあげられないのか?
という問いは何度も出しているけれど、
都営から区営となったアパートの家賃が上がってしまい
それを払うにはそれなりに高給な仕事につかないとならないし
自分の技能(土木建築何級だったかな…けっこういいやつ)を生かすなら
現場に近いところを選ぶしかないっていうて
10年前は福島の原発現場にもいたりしてました。
アパートの料金についてはちゃんと経済状況を申告していれば
料金体系が変わるので介護人がいることを鑑みても
あんなに高く取られているのがよくわからんって感じなのです。
何度か区役所にいってやりとりしたけれど、
父の給与が高過ぎるので家賃は相当となっているという言い分でしたが
それが言葉通りであるなら、
父は別のところにお金を使っているってことになるんだと思います。
実際、弟の高校資金などに苦労していた時に
あの時は父の独立した事業が失敗に終わり、
夫妻が大変だったからと思い込んでいたけれど、
あとで聞いた話では田舎の家の事情などでお金を工面したり
色々していたそうなので、なんで家のことができてないのに
そっちに手を出す余裕があるんだ?と疑問に思ったものです。マジクソ。
現在も週末に帰ってくると書いたけれど、
父が独立した時と同時に始めた車椅子スポーツのボランティアにのめり込み
週末はそちらにずっといて、ひどい時は世界中を回っていたりしてました。
子供の頃から父は家にいないものだと思っていたので
よその家に行ったりして、父親らしき人が家にいるのを見て
そういう家もあるのか〜って思っていたけれど
うちが特殊だといのに気づいたのは後の話。
公共的には善人で、かなりの人がうちの父に救われた
すごい人だと言ってくれるけれど、
私人としては最低な人だと私は今になって思います。
ずっと「お父ちゃんすげー!」だったんだけど
母が変わり果ててから、もしかしてうちの父はダメなのでは?
ってやっと気づいたんですわ。
思い出をたどってみても、ほとんど家に帰ってこない父は頼れないわけで
そこそこ広い一軒家(社宅)に住んでいた時に
子供が三人もいた母はよく発狂しなかったなと思う。
まぁ私が母を怖いと心のどこかで感じてしまいがちなのは
祖母曰く、相当私に当たりがキツかったという話なので
そういうのもあるじゃなかろうか。
早いうちから弟の面倒を見るものという刷り込みと
家の手伝いは絶対であるということで
本来父がしなくてはならない役割を私が担っていたのかもしれない。
男は外仕事で女は家を守るもの。
そういう不文律があった時代背景もあるし
母は家を守ることで必死だったのだと思う。
途中で事業に失敗した後は都営住宅に一人暮らしをしていた
母方の祖母と一緒に暮らすことになり、
2DKの間取りで6人暮らしとなったわけですけれど
ばあちゃんがチャキチャキとした人だったのもあって
母の負担は減ったと思うし、私も母に面倒を見てもらった覚えより
ばあちゃんに面倒を見てもらった思い出の方が多かったりする。
そのばあちゃんも73歳で倒れるまで魚河岸で働いていたので
偶然母の負担が減っていたのだろうけれど
祖母が倒れてからは祖母の介護もしていたので
私の母の胆力たるや……と唸ってしまう。
もちろん父はほとんど(ry
あの人は稼ぐ、公共的に良きことをするっていうものに特化して
父としても伴侶としても役に立たない人だったけれど
(実弟は「父親面するな!」と大喧嘩して一度父と絶縁している)
権威者としてはいたいタイプなのか
実家のことなど勝手に采配したりして
「母はそれを望んでいない」って伝えても
「これが正しいはずだ」って頑なに聞かず、
昔から思っていたけれど頑固にもほどがある…と
ほとほと困っていたりする。
ケアマネさんも父が無茶なことを言い出している時は
(采配の権利として私も担っているので)
私に連絡をくれたりするけれど「おうちのことなので差し出がましいのですが…」
という言葉をくれるあたり、かなり苦労してることが察せられたり。
ともかくいつまで家のことから逃げるつもりか分からないけれど
いつか週一いらしてくれるヘルパーやリハビリセンターのお迎え係さんから
「支援者(私の母)と連絡がつかない」って連絡がくるんじゃないかと
恐怖に変わりつつあります。
とりあえず言いたいことは
女の仕事は家を守ること。
っていうなら、それは仕事なんだから
キャパオーバーした時に追加の部下を入れたり、
外部発注したりシステムの見直しをするのが経営でしょ。
資金投入して、ちゃんと家事代行サービスをつけたり
使用人さんを雇ったり、良い家電を取り入れるなど
そういったものができなくてどうするんだ?って思う。
少なくとも「家」という経営の主がきちんと家計を見られてなくてどうするよ。
社長がいなくても仕事がまわるのは、
そういった資本があるからで、
資本がないまま人材を使い潰すなら、
それは虐待と同じだろって思う。ちょっとキツイ言い方だけど。
とりあえず今日は土曜日だからケア包括センターに連絡できないけれど
月曜日なったら連絡を入れて、今後について相談してみようと思います。
本来の父性というものは保護対象に対して慈しみ
しっかりと構えて頼り甲斐があることをいうので
保護対象を潰してしまう方向の厳しさはいらないのです。
必要な言葉を拾い、必要なケアをしていく。
それが一番大切なことで
「これがいいはずだ」では、なんの解決にもならんのです。
昨今は介護だけに限らず「ケアとは何か」と語られるようになってきたので
いい時代になってきているのだと信じたいです。
母は今年70歳になったけれど、すでに80歳ぐらいに感じます。
翻って父は自由に(本人は自由とは思ってないだろうけれど)過ごしているので
未だに60代のように若々しく、人間は自分の裁量で動けるか否かで
だいぶ時間の経ち方も違うのかもしれない
なんてことを考えたりしています。
とりあえず父方の祖母が危篤になったという知らせが飛んできた時でさえ
一番可愛がっていた父に会いたいと祖母が言い続けていたにも関わらず
亡くなるまで会いに行かなかったことも考えると
人の願いを聞くつもりがないのかもしれない。
帰省して怒られるのが嫌だとかそういうのがあったのかもだけど……。
なんてことを書いていたら消防署からの緊急連絡きたよ……。
倒れたみたいなので、ちょっとどうなるかわからん。
心臓に悪いけれど冷静でいようと思います。
そんじゃまた。モイモイ。
仕事が後ろ倒しになってヒィヒィ言っているsachiakiです。
なんで実家に呼び出されているかといえば
母が身の回りのことができなくなっているので
一人で努力はしてみても、どうにもならない時は
一番家が近い私にヘルプを出してくるってわけです。
去年あたりから要支援から要介護になり
現在はたしか要介護2という認定を受けていて
”身の回りのこと全般に見守りや手助けが必要”という状態になっていて
本来なら誰かがそばにずっといないといけないんだけど、
私のところは同居するのは難しいけれど
家の近くに住居を選ぶのでヘルプ時に駆けつけるってことにして
弟(上)は同居も視野に入れているが、
母が嫌がっているので同居ができないっていうのと
弟(下)はマスオさんに近い状況で
実家にはなるべく助けに来るけれど、同居は無理ってなってる状態です。
弟(上)は正論をブチかまして感情的に人に寄り添うのが難しいタイプなせいか
母にキツめに当たってしまうので、母が怯えちゃっているんですわ。
ぶっちゃけこれから書こうとしている父に似たタイプだから
母が遠慮しているのが実情なんじゃないかと思います。
で、本来同居して家にいなくちゃいけない伴侶となる父がどうしてるかといえば
平日は独身寮にいて、週末だけ帰ってくるって生活をしています。
要支援になったあたりから母のそばにいてあげられないのか?
という問いは何度も出しているけれど、
都営から区営となったアパートの家賃が上がってしまい
それを払うにはそれなりに高給な仕事につかないとならないし
自分の技能(土木建築何級だったかな…けっこういいやつ)を生かすなら
現場に近いところを選ぶしかないっていうて
10年前は福島の原発現場にもいたりしてました。
アパートの料金についてはちゃんと経済状況を申告していれば
料金体系が変わるので介護人がいることを鑑みても
あんなに高く取られているのがよくわからんって感じなのです。
何度か区役所にいってやりとりしたけれど、
父の給与が高過ぎるので家賃は相当となっているという言い分でしたが
それが言葉通りであるなら、
父は別のところにお金を使っているってことになるんだと思います。
実際、弟の高校資金などに苦労していた時に
あの時は父の独立した事業が失敗に終わり、
夫妻が大変だったからと思い込んでいたけれど、
あとで聞いた話では田舎の家の事情などでお金を工面したり
色々していたそうなので、なんで家のことができてないのに
そっちに手を出す余裕があるんだ?と疑問に思ったものです。マジクソ。
現在も週末に帰ってくると書いたけれど、
父が独立した時と同時に始めた車椅子スポーツのボランティアにのめり込み
週末はそちらにずっといて、ひどい時は世界中を回っていたりしてました。
子供の頃から父は家にいないものだと思っていたので
よその家に行ったりして、父親らしき人が家にいるのを見て
そういう家もあるのか〜って思っていたけれど
うちが特殊だといのに気づいたのは後の話。
公共的には善人で、かなりの人がうちの父に救われた
すごい人だと言ってくれるけれど、
私人としては最低な人だと私は今になって思います。
ずっと「お父ちゃんすげー!」だったんだけど
母が変わり果ててから、もしかしてうちの父はダメなのでは?
ってやっと気づいたんですわ。
思い出をたどってみても、ほとんど家に帰ってこない父は頼れないわけで
そこそこ広い一軒家(社宅)に住んでいた時に
子供が三人もいた母はよく発狂しなかったなと思う。
まぁ私が母を怖いと心のどこかで感じてしまいがちなのは
祖母曰く、相当私に当たりがキツかったという話なので
そういうのもあるじゃなかろうか。
早いうちから弟の面倒を見るものという刷り込みと
家の手伝いは絶対であるということで
本来父がしなくてはならない役割を私が担っていたのかもしれない。
男は外仕事で女は家を守るもの。
そういう不文律があった時代背景もあるし
母は家を守ることで必死だったのだと思う。
途中で事業に失敗した後は都営住宅に一人暮らしをしていた
母方の祖母と一緒に暮らすことになり、
2DKの間取りで6人暮らしとなったわけですけれど
ばあちゃんがチャキチャキとした人だったのもあって
母の負担は減ったと思うし、私も母に面倒を見てもらった覚えより
ばあちゃんに面倒を見てもらった思い出の方が多かったりする。
そのばあちゃんも73歳で倒れるまで魚河岸で働いていたので
偶然母の負担が減っていたのだろうけれど
祖母が倒れてからは祖母の介護もしていたので
私の母の胆力たるや……と唸ってしまう。
もちろん父はほとんど(ry
あの人は稼ぐ、公共的に良きことをするっていうものに特化して
父としても伴侶としても役に立たない人だったけれど
(実弟は「父親面するな!」と大喧嘩して一度父と絶縁している)
権威者としてはいたいタイプなのか
実家のことなど勝手に采配したりして
「母はそれを望んでいない」って伝えても
「これが正しいはずだ」って頑なに聞かず、
昔から思っていたけれど頑固にもほどがある…と
ほとほと困っていたりする。
ケアマネさんも父が無茶なことを言い出している時は
(采配の権利として私も担っているので)
私に連絡をくれたりするけれど「おうちのことなので差し出がましいのですが…」
という言葉をくれるあたり、かなり苦労してることが察せられたり。
ともかくいつまで家のことから逃げるつもりか分からないけれど
いつか週一いらしてくれるヘルパーやリハビリセンターのお迎え係さんから
「支援者(私の母)と連絡がつかない」って連絡がくるんじゃないかと
恐怖に変わりつつあります。
とりあえず言いたいことは
女の仕事は家を守ること。
っていうなら、それは仕事なんだから
キャパオーバーした時に追加の部下を入れたり、
外部発注したりシステムの見直しをするのが経営でしょ。
資金投入して、ちゃんと家事代行サービスをつけたり
使用人さんを雇ったり、良い家電を取り入れるなど
そういったものができなくてどうするんだ?って思う。
少なくとも「家」という経営の主がきちんと家計を見られてなくてどうするよ。
社長がいなくても仕事がまわるのは、
そういった資本があるからで、
資本がないまま人材を使い潰すなら、
それは虐待と同じだろって思う。ちょっとキツイ言い方だけど。
とりあえず今日は土曜日だからケア包括センターに連絡できないけれど
月曜日なったら連絡を入れて、今後について相談してみようと思います。
本来の父性というものは保護対象に対して慈しみ
しっかりと構えて頼り甲斐があることをいうので
保護対象を潰してしまう方向の厳しさはいらないのです。
必要な言葉を拾い、必要なケアをしていく。
それが一番大切なことで
「これがいいはずだ」では、なんの解決にもならんのです。
昨今は介護だけに限らず「ケアとは何か」と語られるようになってきたので
いい時代になってきているのだと信じたいです。
母は今年70歳になったけれど、すでに80歳ぐらいに感じます。
翻って父は自由に(本人は自由とは思ってないだろうけれど)過ごしているので
未だに60代のように若々しく、人間は自分の裁量で動けるか否かで
だいぶ時間の経ち方も違うのかもしれない
なんてことを考えたりしています。
とりあえず父方の祖母が危篤になったという知らせが飛んできた時でさえ
一番可愛がっていた父に会いたいと祖母が言い続けていたにも関わらず
亡くなるまで会いに行かなかったことも考えると
人の願いを聞くつもりがないのかもしれない。
帰省して怒られるのが嫌だとかそういうのがあったのかもだけど……。
なんてことを書いていたら消防署からの緊急連絡きたよ……。
倒れたみたいなので、ちょっとどうなるかわからん。
心臓に悪いけれど冷静でいようと思います。
そんじゃまた。モイモイ。