あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

暴力シーンがエグい小説読んで心のダメージがヤバみの極み

2021-11-07 | from:sachiaki
なんちゅかな。
昔はそれほど暴力シーンがダメってわけじゃなかったんだけど、
今はまったく受け付けないんだな〜ってことを実感していたsachiakiです。

今風にいうと「エンパス」と呼ばれる種類のものになるようですが
そういった謎科学的な話とは別のアプローチでいうところの
「共感力が高い」という部類に入るそうで
子供の頃から弟が怒られていると自分が怒られているように感じるので
常に庇いに行くとか、
(でも弟に自分が怒りをぶつけたりするのは普通にしてた)
他の人が悲しかったり苦しかったりすると
同じようにシンドくなるという癖がありまして
暴力シーンは極力控えてきた方だと思います。
いわゆる「暴力全般嫌い!」っていうお嬢さんよりは
それなりに見ている方だと思いますが
とにかく人の怒声や険悪な空気がストレスになるので
極力そういったところには居合わせないという処世術をみにつけまして
今でこそヘッドフォンをしていないけれど
前はヘッドフォンと本がないと電車などに乗れない
っていう時がありました。

と、そういうなんか繊細っぽい話は置いておいて。(私は別に繊細じゃないので)

他人が受けた痛みを受け取る「共感的神経反応」というのは
どうも人によってだいぶ違うらしいということと
その「共感」を持つことには条件があるということを
知ったのですけれど

1.相手と同じ経験をしたことがあること。
2.相手と自分が似ていること。
3.相手をよく知っていること。
4.自分自身の気持ちに敏感になること。

とあるのですが、たぶん「共感能力が高い」と言われるタイプは
相手と自分の距離感が近いというか、
どんな人間に対してもそれなりの親しみを持っているってことなんじゃないかしらね?
なんてこを思ったりしていました。
どんなに憎たらしい相手でも、その人が苦しんでいるのを見るのは
私にとっては苦痛だけど、他の人にとってはそうでなかったりするのを見ると
どうも情動の部分でだいぶ差があるのかもしれないな、
なんてことを感じる今日この頃です。

で、共感能力が高いとどうなるか、というと
その痛みを受けた人と同じように痛がったり苦しんだりするので
(fMRIで見ると、同じ部位の痛みを感じる神経が活性化するらしいです)
暴力シーンを見たあとは暴力を受けている人と同じとは言わないまでも
そうとう心拍数が上がったり、立ちくらみ程度の頭痛と吐き気
手足のしびれと止まらない涙が出たりと
かなりシンドイ感じになります。
で、そういった共感能力が発揮されるのって
ビジュアルのある漫画や映画だけだと思うかもですが
小説の方がダメージがでかかったりもします。(想像するからなんでしょうね〜。)
「玩具修理者/小林泰三 著」を読むのに
人の皮を剥いだりするシーンでは1行読んだら一休み
って感じで読んでいたので、短編小説だというのに
かなりの時間を労したものです。

というわけで、そういう暴力シーンが苦手なくせに
本の装丁イラストが大好きな作家さんだったから
ってだけで買った暴力満載のホラー短編小説集ですが
最初こそけっこうグロくはあっても、
サイコスリラーな気配の方が強く
これは面白いって読んでいたのですけれど、
私が一番苦手な「意味のない暴力」と「人体破壊」描写があって
すっかり気持ちが萎えてしまったというか、
想像以上に心身ともにダメージを受けてしまい
これはアカンとなっているところなのです。

なんかね。
私が好む漫画などはよく「説教くさい」と
言われるものが含まれていることが多いのだけど
道徳を説いたりするものって「否定されることを許容できるか?」
みたいなところがあって、
まず自分自身に対しての絶対の肯定力のようなものがないと
人は道徳的なもの、倫理的なものというものは受け付けないらしいのです。
それで、道徳的なものを好まない人が好むものがなにか?といえば
刺激的なものであること…なんですよね。
心が掻き乱されるようなことというのはエンタメなんです。
だから暴力とエロは低次元に置かれがちなんですよね。
心が揺れるだけを求めて受け入れる暴力とエロは
それを否定するのではなく受け入れた場合の
高次元な精神性を求めない場合、
大抵ロクデモナイことになりがちです。
ドラッグ&セックス&ロケンローなのも
まぁ人間の営みの一つではあると思うけどね。。
「バカなヤツらは皆殺し/ヴィルジニ・デパント 著」とか私も好きだし。

と、なんかしゃらくさいこと書いてますけれど、
別に私自慢をしたいわけじゃなくて、
人は人を愛することができるはずだと
そんなことを純粋に信じている、って感じで
「意味のない暴力」を肯定する気にはなれないし、
そういったものを好む場合、
その人は自分肯定力が低いってことなのではないか?
ってことが言いたかったのです。

自分自身の肯定力は低い割に
人に献身的な人っていうのもいるけれど
あれは人に貢献することで自分の生存圏を担保したいという
怯えの一つなので、それもまたシンドイだろうな〜と思います。
そんなに奉仕しなくても、
人は無条件に自分を受け入れてくれるっていう体験をしていないと、
自分を認めてあげるっていうのは難しいのですよね。

ともかく、グダグダと書いてきましたが
あまりに読後のダメージがひどくて抜けきれなかったので
今日一日あった楽しかったことが全部飛びました……。
また明日改めて書き出そうと思います。

寝て脳内メモリーリセットする……。

そんじゃまた!モイモイ。

追記:とはいえジェットコースターが好きなのと同じで
   自分に被害の及ばない怖いもの見たさが好きだったり、
   他人と自分の境界線をちゃんと切り分けて
   たしなむ程度に刺激物が好きな人もいるので
   ホラーやスプラッターが好きだからといって
   人格者ではない、ってことは絶対にないと思います。
   その辺は「カレーが好き」っていうのに近いんじゃないかしらん。
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怒りは二次感情というけれど

2021-11-07 | from:sachiaki
その二次感情がなかったら防衛できないっていう
自然な感情でもあるので、
怒りそのものを否定する物言いには
ちょっとだけ違うなぁって気持ちと
かといって、怒りを推進力にして
物事を進めていくのもなんか違うなぁ
なんてことを思ったりする深夜2時。

既に今日という日になっている
明日の朝が早いんだから寝ろって思うんですよね。

とか書いてる暇があるなら寝よう。
うん。

おやすみなさい。

sachiakiでした。
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