あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

写実と写真

2021-11-15 | from:sachiaki
さっさと寝たいって思っているけれど
まさかの素材データが足りなくって
素材待ちとなって眠れないsachiakiです。

素材待ちしている間も別の作業が詰まっているので
それをやれよって思っているんだけど
ふと思い出したことがあるので
それだけ書きなぐってから作業に戻ります。

先日写真を趣味としている……というか
アマチュアに甘んじつつお仕事も時折しているらしい友人が
「なぜ、写真で撮れるものをスーパーリアルで描こうとするのかしら」
「写真でいいじゃない。絵が描けるなら写真で撮れるもの以外を描けばいいのに」
って書いていたのを見てたまげてしまったんですよね。
そこに直接コメントを残しても良いけれど、
アホほど長くなってしまいそうなのと
思い込み同士の投稿とコメントでは悲しみしか生まないこともあるので
いいやって思って何も残さなかったんですよね。

で、そのことをずっと忘れていたんですけれど
今日「視覚」についての授業ビデオを見ていたので
また「視る」ということに注目したので
先日の「写真と写実」についてのことを思い出したってわけです。

結論を先に言ってしまうと
「写真で表現できるものは絵で表現しなくていい」
っていうのはさすがに傲慢不遜な考え方ではないでしょうかね。
私たちがなにかを表現するのに絵で表現するものは
現実にないものでないといけないのでしょうか?
そんなことはないでしょう。
ポートレートの絵だってたくさんあります。
それらはただ写真のようにリアルに描くことを目的にしているのではなく
「自分の見た」ものを再現するために描かれているんです。
今でこそ写真の解像度もグンと上がり、さらに機材側で
人間が「見ている」ものに近付けるような補正もかけてくれるので
写真家たちは自分の見た素晴らしいものを切り取ったように
表現することに血眼になっているのだと思います。
まぁそういった人はフィルムの時代から、
「見たものをそのまま保存」ってことに躍起になっていたと思いますけれど。
でもだからといって、絵の役割がなくなったことにはならないんです。
もともと写真では表現しきれない「見た」ものの細部
受け取った別のものなどをそこに描きこむことにより
「写真よりもリアル」といったものを追求されてきたわけです。
今だって医療系の本などを開ければキリがないほど
スーパーリアルのイラストに溢れているでしょう?

仕事になるものは表現してヨシで、それ以外は必要ないって?
そんなバカなことがありますかっての。
写真家たちが自分の見た色や空気を再現するのに
カメラというツールを使っただけに過ぎないのであって
絵を描く人は筆と絵の具を選んでいるだけに過ぎないんですよ。

自分が「見た」「感じた」それらをアウトプットしたい。
そういった思いに対してツールを選んだというのに
現実を切り取れる道具が発達したなら
それ以外は認めないっていうのは
さすがに信じられない暴言だと思ってしまいました。
ビデオや仮想現実を実現できる人たちに
カメラで撮る必要ってあるんですか?
って言われることを想定していないのかしら……。

「写実の良さも分からない」で批判したのならまだ仕方ないなぁだけど、
「写実は写真を超えられない」という傲慢さで発言したのなら
さすがにお怒りになる方も枚挙にいとまがないと思います。

いや、超えられなくても良い。
誰かが選んだ表現ツールに対してとやかく言うのは
表現を選んでいる人間がするべきではないとすら思います。

自分の描ける限界が知りたいっていう動機でも、
内在する絵がないから近所を描くって動機でも、
どんなものでも描こうとした人のアウトプットしたものは偉大でしょう。
その人はカメラを扱えば別の表現をするかもしれないし、
カメラで表現できないから筆をとっているのかもしれないし
様々な理由があると思うんです。
それらに思い至るわけでもなく、
ただ「カメラの方が空気を切り取れるから偉い」という理由で
写実の絵画を貶めているのなら、それは絶対に許されるものじゃないと思います。

私たちの中にある「表現したい」「外に出したい」という欲望に
そこにどんな差異があるというのでしょうか。

そんなことを思いました。

と、書いていたら素材メールが届いたのでこの辺にて。
とりあえず私はどんなものであっても
描こうとしたこと、撮影しようとしたこと
感じたことを誰かに伝えようとしたこと
それはどれもこれもかけがえのない美しいものだと思います。

そんじゃまた。モイモイ。
コメント
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