ここ数年の国の不安定さみたいなのが露見してるのか
2015年の東海道新幹線の火災事件から
少しずつアカン感じのニュースが駆け回るようになってきたけれど
この数ヶ月はトント〜ンと連続してしまって
バカはバカの真似をするからよくないよな……
なんてことを思ったりしてしまうsachiakiです。
辛辣に「バカ」って書いたけれど、
本当は追い詰められる人が出ないように
社会の仕組みが必要なんだと思うので
そういったセーフティネットが限界を超えていることを踏まえると
政治家さんや社会を動かしている私たちが
支えきれていないことこそバカなのであって、
ヤレヤレとなってしまうところなのですよね。
私も自分ごととして考えないとイカンなとなっているところです。
ていうか、サロンde夜間学校を作ったきっかけが
まさに家庭内暴力が頻発した時で
どうにかそういったものが減るようにならないだろうか?
と考えた結果が引きこもってしまいがちな人に
人との接点を持ってもらいたいってもので
どうか自分一人で抱えることなどないようになって欲しいというものと
居場所というものの確保とともに、学びが増える事で
世界が開けていって欲しいという願いを込めたものだったのですよね。
今は知人たちのおかげで勉強するものが増えてきて
累犯をしてしまう人の話なども聞くようになってきているけれど
社会と個人の断切について、胸を痛めるばかりだったりして。
私が懸念しているのは、
子供や女性に対する保護やネットワークは増えつつあるけれど
一人で生きていくには難しいような男性が孤立点となって
その点が増えつつあるというもので、
この孤立点を減らしていくことこそ社会にとってのセーフティになるんじゃないか?
って思うんですよね。
「貧しいものが貧しくても生きていける世界も考えるべきだ」
という話はとてもうなずけるものであるけれど、
そうなると社会全体が貧しくなることでもあって
どうしても競争社会である海外とは比べものにならないほど
劣化していってしまう未来も見えなくもない。
貧しくとも幸せな社会というものの良いけれど、
様々なサービスを行き渡らせるためには
それぞれがそこそこ働き、そこそこに稼ぎ
微力ずつながらの余裕を持ち合わせて
弱い時を支えるネットワークが必要なのだと思う。
常に弱くあることを前提にするわけでなく
「弱い時」という限定的なものにして
そうでない時にはそれなりに働ける仕組みというものが必要なのではないだろうか。
「働ける」っていうのは「稼げる」ってことでもあるけれど
この「稼げる」仕組みが今は弱いものから搾取する仕組みになっているので
そこがどうにかならんのかね?って頭が痛くなったりもする。
とにもかくにも。
もう「捨てるものがない」と思うようなことは減らしていかないと
「無敵の人」が増え続け、公共機関を使うという事がハイリスクになる
っていうことになりかねないよね〜って思うし
それは是が非でも避けていきたいと思う。
車やバイクなどを全員が持っているわけでもないし、
公共機関を使う人間が「被害にあってもいい」というようなことなど
あってはならないと思う。
なにかいいことを連鎖させていきたいよね。
そんなことを思ったりしてました。
さて、私ができることってなんだろう。
たくさんのことを考えて、人への無関心さがなくせるように
(興味本位で他人をエンタメ消費するのとは別よ)
少しでも手を動かしていきたいな〜って思いました。
とりあえずあれかな。
お店に行く日は街のお掃除をする、とかでも良いのかもしれない。
知らない同士であることを減らすために。
お仕事を頑張ってやっつけたら明日の夜学の時間についても考えてみようと思います。
そんじゃまた。モイモイ。
2015年の東海道新幹線の火災事件から
少しずつアカン感じのニュースが駆け回るようになってきたけれど
この数ヶ月はトント〜ンと連続してしまって
バカはバカの真似をするからよくないよな……
なんてことを思ったりしてしまうsachiakiです。
辛辣に「バカ」って書いたけれど、
本当は追い詰められる人が出ないように
社会の仕組みが必要なんだと思うので
そういったセーフティネットが限界を超えていることを踏まえると
政治家さんや社会を動かしている私たちが
支えきれていないことこそバカなのであって、
ヤレヤレとなってしまうところなのですよね。
私も自分ごととして考えないとイカンなとなっているところです。
ていうか、サロンde夜間学校を作ったきっかけが
まさに家庭内暴力が頻発した時で
どうにかそういったものが減るようにならないだろうか?
と考えた結果が引きこもってしまいがちな人に
人との接点を持ってもらいたいってもので
どうか自分一人で抱えることなどないようになって欲しいというものと
居場所というものの確保とともに、学びが増える事で
世界が開けていって欲しいという願いを込めたものだったのですよね。
今は知人たちのおかげで勉強するものが増えてきて
累犯をしてしまう人の話なども聞くようになってきているけれど
社会と個人の断切について、胸を痛めるばかりだったりして。
私が懸念しているのは、
子供や女性に対する保護やネットワークは増えつつあるけれど
一人で生きていくには難しいような男性が孤立点となって
その点が増えつつあるというもので、
この孤立点を減らしていくことこそ社会にとってのセーフティになるんじゃないか?
って思うんですよね。
「貧しいものが貧しくても生きていける世界も考えるべきだ」
という話はとてもうなずけるものであるけれど、
そうなると社会全体が貧しくなることでもあって
どうしても競争社会である海外とは比べものにならないほど
劣化していってしまう未来も見えなくもない。
貧しくとも幸せな社会というものの良いけれど、
様々なサービスを行き渡らせるためには
それぞれがそこそこ働き、そこそこに稼ぎ
微力ずつながらの余裕を持ち合わせて
弱い時を支えるネットワークが必要なのだと思う。
常に弱くあることを前提にするわけでなく
「弱い時」という限定的なものにして
そうでない時にはそれなりに働ける仕組みというものが必要なのではないだろうか。
「働ける」っていうのは「稼げる」ってことでもあるけれど
この「稼げる」仕組みが今は弱いものから搾取する仕組みになっているので
そこがどうにかならんのかね?って頭が痛くなったりもする。
とにもかくにも。
もう「捨てるものがない」と思うようなことは減らしていかないと
「無敵の人」が増え続け、公共機関を使うという事がハイリスクになる
っていうことになりかねないよね〜って思うし
それは是が非でも避けていきたいと思う。
車やバイクなどを全員が持っているわけでもないし、
公共機関を使う人間が「被害にあってもいい」というようなことなど
あってはならないと思う。
なにかいいことを連鎖させていきたいよね。
そんなことを思ったりしてました。
さて、私ができることってなんだろう。
たくさんのことを考えて、人への無関心さがなくせるように
(興味本位で他人をエンタメ消費するのとは別よ)
少しでも手を動かしていきたいな〜って思いました。
とりあえずあれかな。
お店に行く日は街のお掃除をする、とかでも良いのかもしれない。
知らない同士であることを減らすために。
お仕事を頑張ってやっつけたら明日の夜学の時間についても考えてみようと思います。
そんじゃまた。モイモイ。