あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

秋は収穫の季節

2021-09-19 | from:sachiaki
台風一過となった本日は抜けるような青空が広がり
気温もそこそこ高くなったものの風は涼やかで
歩くのに最適な、THE 秋って感じで気持ちがよかったですね。
おかげで行楽というものの素晴らしさ……というよりも
天高く馬肥ゆる秋的な喜びを感じてきたsachiakiです。

本日は気になっていた『果実園』ってところに行ってきたですよ。
おかげさまで美味しいフルーツをこれでもか!ってぐらい食べることができ
あたいのお肌も内臓も喜んでるぅ!!ってなってきました。
やはりフルーツは良い。
お野菜も好きだけど、フルーツは代えがたいものがありますね。
夏は桃が美味しいし、果物の中でも桃が一番好きだけど
秋に入ってからのリンゴやベリー類、
パパイヤやイチジクなんてものは
なにかと食べ過ぎたりしがちな人にとっても
優しくお腹を刺激してくれて
「はぁ幸せ♥」ってなりますね。

もともと胃腸が弱くて大食いできないっていうのもあるけれど
それでも自分の身体に関して、ちょっと鈍感なところがあるので
気づくとキャパオーバーな分量を食べたりして
小一時間動けなくなるってことがよくあるんですけれど
果物に関しては甘さがあるおかげで「食べ過ぎ」ってならずに済むのが
本当に良いなって思います。
もういいやって思うぐらい食べても
カロリーオーバーとかはしているんだろうけれど
それほど胃に負担がかかっていないようで
かなり食べたな〜って思った後でもすぐに動けるところなんか最の高だと思います。

さて、食べることについ夢中になってしまう昨今ですが
秋といえば「芸術の秋」ちゅうこともあって
昨日は「メイドインアビス」を見ていたけれど
一昨日は「バタリオン ロシア婦人決死隊VSドイツ軍」を見ていたんですよ。
第一次世界大戦のロシアでは祖国を蹂躙するドイツ軍との交戦に
女性たちが立ち上がって決起したって話を聞いたので
どんなものだったのだろう?と資料的に見ていたんですけれど
厭戦ムードで前線でも戦うことをせずにドイツ軍と仲良く酒盛りをし
まったく上官の言うことを聞かず堕落しているロシアの軍人さんの言う
「もう戦うのにうんざりなんだ。俺たちは家族のもとに帰りたいだけなんだ」
っていうのには、そうだよねって同情心が芽生え
戦うなんてことよりも友好を築けばいいのにねぇ
なんて気持ちになっていたものの
この戦わない腑抜けおじさんたちを「腰抜け」呼ばわりした
婦人決死隊「バタリオン」の隊長の勇ましさといったら
言葉にできないぐらい気迫に満ちていて
今の強いロシア女性を作り上げていった先人なのだなぁと感じ入ったものです。
で、堕落おじさんたちがドイツ軍にすっかりほだされていたのとは別に
しっかり戦闘モードだった婦人決死隊の方が先に
ドイツ軍が実は毒ガス弾やら機銃を大量に持ち込んでいて
完全勝利を目指していたことに気づいて
まさに決死の戦いをするんです。
まだ十代の女の子もいるし、貴族のお嬢さんもいたりして
想像していたよりもずっと混成した隊だったのだなぁと
そこにも驚きを隠せなかったりしてました。
ロシア文学とか読んでいると、ロシアって女性や子供をすぐに殴るので
完全に男性至上主義なのかな〜って思ってたのですけれど
社会主義が浸透する土壌があったのもうなづけるぐらい
男女の意識の差がないというか、
すごく強い意志を持っている人たちなんだな〜って思いながら鑑賞していました。
日本の古い小説なんかを読んでても女性がかなり強いので
女性が弱いものっていう意識を植え付けられたのは
割と最近のことなのかもしれないな〜なんて思ったり。
実際はどうなのか知らんけど。
もしかしたら「戦争に女性を投じない」って国の方が少ないのかもね。
どちらが良いのかって話は置いておいて。

そして心が沈んでしまう映画を2本も見てしまったので
次に私がまったく知らなかった
「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」をいくつか鑑賞してみたり。
シティボーイズって名前や、俳優さんとしての名前だったりは知っていても
彼らのコントは見たことがないって気づかせてもらったので。
空気感が違うせいか「?」って思うところもあったけれど
一時代を築いてきた人たちだけあって
マジメにふざけるというバカバカしさには
こういった大人がいたっていうのはいいなぁってなったり。
スチャダラパー(SDP)のグループ名の由来だったってことも初めて知り
凄まじい影響を与えたのだなぁと驚いてしまいました。
たしかにSDPもマジメにふざけるって感じだもんね。
私は先に「ラーメンズ」を知ってしまっていたので
刷り込みによってどうしてもそこを越えることはできないけれど
ラーメンズにもおそらく影響を与えたであろう人たちの演劇には
もっとよく観察しなくちゃな!って気持ちにさせられました。

なんてことを書いていたらSDPや電気グルーヴが聴きたくなってきたので聞いてきます。
常に時代を読んで新しいことをするという大人たちに敬意を表して。

追記:シティボーイズで検索をかけてみたらsinra.netさんの記事が引っかかってきて、
   私が好きなコメディアンの一人としてイッセー尾形さんがいるぶん
   人によって考え方っていうのは本当に様々ななんだなぁ
   なんて思っていたところです。
   おそらくだけど同じコントというものでも
   作っているものが別だと表現の引き際とか
   そういったものもだいぶ心構えが違うんだろうな。

それじゃまたモイモイ。
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メイドインアビス劇場版を見て心が決壊中

2021-09-18 | from:sachiaki
よくもまぁあんな人でなしな物語が紡げるもんだと唸りながら
でもきっとあと2回は観るんだろうな、
なんてことを思っているsachiakiです。

メイドインアビスは絵柄こそほんわかとしたファンタジー絵本風で
主人公たちも12歳程度という可愛らしいキャラクターですが
大地にポッカリと穴を開けた「アビス」と呼ばれるものの深層部へと
冒険する物語で、この「アビス」が呪いをもたらすために
恐ろしい話がうじゃうじゃと出てくる心臓に悪いコミックス&アニメなのです。

心臓に悪いってどういうこと?というと
この「アビス」という世界は7層+深層部という
層ごとに分かれた生態系を持っており、
これがまた地上にいる生き物とは別の進化をしているので
見た目とは違って凶暴であったり、
また「アビスの呪い」っていうやつがあるので
怪我をしたりするとエグイ治療法しかなく
子供がそんなひどい目に遭うなんて……と吐きそうになるんです。
そもそも「アビスの呪い」っていうやつは
怪我をしなくてもちょっとしたことで発動して
吐いたりオシッコを漏らしてしまうほど痛い目にあったりと
(心理的な)残酷描写が多いのです。

そんな中でも今回の映画へと繋がった話をアニメで見た時も
「アビスの謎」を解くために研究熱心な探窟家が
子供を使って「アビスの呪い」についての実験をするんですけれど
よくもまぁ、こんな胸くそ設定が思いつくものだと
目から血涙を流しそうになるほどシンドイ話があり
今回見た劇場版はその話の続きだったのですけれど、
劇場公開時から観た人たちの阿鼻叫喚や
廃人になったような感想を読んでいたので
心が元気な時じゃないと見られないなぁってずっと避けていたんです。

なんだけど、そろそろ見てもいいかなぁって覚悟もできたので
いざ!って挑んでみたんですけどね……。
まぁ惨敗ですよね。
ほとんどずっと泣いてましたわ。
アニメの時に出てきた実験好きの探窟家との対決だったので
それなりにキツイとは思って覚悟をしていたんですけれど。。
ネタバレ的なことも含むので下の方で。
とはいえ、公開されてだいぶ経っているのでネタバレもなにも…って気もするけれど。





















実験大好きボンドルド卿(略称 ボ卿)のなした悪行っていうのは
温厚な話口調や、孤児たちを引き取っているという表向きとは裏腹に
「アビスの呪い」を受けないようにするためにはどうしたら良いのかを実験するために、
引き取った孤児たちを鳥かごのようなものに閉じ込めて
今いる階層よりも低いところに落とし、それからいっきに上昇させるということをします。
「アビスの呪い」は低いところに行く分には引っかからないけれど
上に行こうとする時に薄い地場のベールのようなものがあり、
それにひっかると呪いが発動するという類のものなのです。
その呪い避けをするためにはどうしたら良いのか?
ボ卿は二つの鳥かごに一人ずつ子供を入れて実験をすることにしました。
一人の呪いを一人が受けるのではなく、二人分の呪いを受ける側と
その代わりに免れる側には「祝福」がつくと予想したからのようです。
そして彼の予想は大きく外れることがなく、
一人の呪いを受けた子(ミーティ)と
一人の祝福を受けた子(ナナチ)を作ることとなりました。
人間の姿ではなくなり、モフモフの獣人となってしまいましたけれど。
アニメ版では二人分の呪いを受けた子は人の姿ではなく
「なれはて」と呼ばれた異形のものにされただけでなく
”死ぬことができない”という呪いにかかり
実験大好きっ子なボ卿にありとあらゆるひどいことをされます。
これだけでも胸くそなんですけどね……。

ナナチは生き延びるためにボ卿の手伝いをするはめになるのですが
その手伝いというのが「カートリッジ」と呼ばれるものを作るためのもので
この「カートリッジ」がまた書くのもおぞましいものなのです……。
上昇負荷と呼ばれる呪い避けのために子供たちを石油タンクみたいな
もしくはジュラルミンケースの中に詰め込むんですけれど
もちろんそんな箱に詰め込めるには人間は大きすぎるので
外見を全て削ぎ、脊髄と臓物だけを残しそれを箱に詰めるわけです。
で、それって死んでるんじゃないの?って思いたいところですけれど
残酷なのはそういうことではなく
そんな人間の「皮」を失ってなお人間らしい思考が残っていることと
痛覚が残っていることなんです。。
呪いを受けた時の痛みが加護となり、ボ卿を守ってくれるというわけ。
数日間だけ生きられる最低限の肉と化し
さらに胸くそなのは「祝福」は情が深ければ深いほどよく機能するということで
映画版に出てきたボ卿の娘(実の子ではない)に最上の愛情を与えた上で
彼女をカートリッジとして使用したってことなんです……。
彼女は父となるボ卿が残忍な人間(ではないんだけど)を信じ
ボ卿が主人公たちを捉え、胸くそ実験をしているところを目撃しても
それでもボ卿についたほど情が深い子だったので
カートリッジとなった娘を使い捨てしているシーンには
心の防壁が決壊したのかと思うほど胸が苦しくなり
本当の本当に”筋金入りのろくでなし”だと思ったものです。

なんですけどね……。
この憎むべきボ卿なんですけれど、彼のことを憎むことはできないんです。
彼の行ったことは信じられないし、
7回生まれ変わってもヒドイ死に方をすれば良い
って思うぐらいクソofクソだと思うんですけれど、
彼の行動原理が「未知への探求」であり
その純粋な欲望のための最適解が人でなしだったのであって
やはり物語の冒頭に出てきたキャラクターの言葉を借りるなら
「誰も成し得なかった事を次々とやってのけた」人だし
この人もこの人で最初から子供たちを犠牲にする予定だったのではなく
そもそも自分の身を捧げて肉体がない人だし
自分の意識をコピーして増殖しているものたちは精神性がないために
どうも実験に使えないことがわかって「心外ですよねぇ」と言ったぐらい
自分の生き死にも頓着していない実験第一の人なんですよね。
その「憧れ」への想いの強さは惹きつけられるものがあり
どうにも憎むことができません。

憎むことはできないけれど、
だからといって許すことは無理ってことには変わりないんだけど……。

なので願わくば、憧れや夢を持っている人が革命的なことを起こす時に、
その災厄ができるだけ小さくありますように。
と、それだけしか祈ることができません。
災厄の後に実りが豊かになることも人類の歴史にはいっぱいあるのでな。。

そして自分が憧れを実現したい時に
どんな犠牲を払うのかってことをちゃんと認知しておかないとな
なんてことを思ったりしていました。

なんにしてもヒドイ話だったけれど面白かったです。
この日記の最初の方でも書いた通り、また何回か見ると思います。

それにしても昨日は戦争映画を見て、これも泣きっぱなしだったというのに
私も元気だなぁと変な感心をしてしまいましたw

とはいえ心の揺れを最大限に楽しんだので疲れました。
なので今日はこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
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割り切れないのが人間だよねぇ

2021-09-17 | from:sachiaki
なんて涼しい空気のなかでセンチメンタルになるのか
最近は考え事が増えているような気がしているsachiakiです。

手を動かせよ。
そう思う。
思考に乗っ取られそうな時に一番効くのは
なんでもいいから手を動かすことだ。
足を動かすでもいい。
とにかく五体満足であることを感じて
今に集中することだ。

っていうのは禅の思想らしいけれど
よくわかる。
電気消してキャンドルだけのあかりの中
お風呂に入ってブクブク沈みながら
ボケーっとしているだけでも
割と頭の中のものがあふれ出てくるけれど
それがデトックスみたいな効果になるのか
お風呂上りにはせっかく考えていたことがまとまった気がして
書かなくちゃ!って思いとは裏腹に
全部とけて流れていってしまっていたりして
あぁ〜〜〜〜〜って思うものの
頭の中がスッキリしているので「よし、次」って切り替えられる。

散歩もいいね。
今は金木犀が芳しく、肺いっぱいに吸い込むだけで
あぁ幸せだなぁ〜って気持ちになる。
色づき始めた広葉樹や実をつけている木々を見て
秋は寂しさも感じるけれど、収穫の時期でもあって
この喜びを誰かと分かち合いたくなるのだな
なんてことを思ったり。

人間は一つのことをしている時に
他のことには集中しずらいのだそうで
だからこそ頭ばかりが重たい時には体を動かすことで分散させるんだろう
なんてことを考えてみたり。

そんな時に絵を描けばいいんだと思うし、
描きたいものもあるんだけれど
なぜか躊躇してしまうのは、
自分がそれなりに大事にしている得意分野なだけに
上がいることを知り過ぎているほど知っていて
そういった人たちと自分を知らぬうちに比べてしまって
苦しい思いをするのを避けているからなんだろうな
なんてこともわかっていたり。
せっかく買ってきたメディウムが固まる前に
せめてスケッチブックに何かを生み出そうな…
って気持ちはある。
下手とか上手とかっていうのは、結局重ねた経験の数だから
数を増やさねばいかんよ、なんてこともわかっている。
あれだけ「パソコンに関わる仕事はしたくない」と固く誓っていたのに
今はパソコンがないとできない仕事に就いているし
Photoshopの難しさに戸惑って
こんなもの理解できるわけがない!って思っていたのに
結局一番お世話になっているツールでもある。
それもこれも仕事にしたからには経験する回数が増え
結果的に一般的な人よりは使えるようになったというだけだ。
上手いか下手かについてはあんまり考えていない。
PhotoshopのメーカーとなるAdobeの提供する
Adobe道場なんかを見ながら時折勉強するぐらいで
自分の能力の低さには呆れながらも
続けていけているのは「仕事にしている」からに他ならないだけ。
でも絵はごまかしがきかない。
「仕事」でもないし、不勉強も重ねなかった時間も
全てが露呈してしまうから怖くて描けない。
そんなことを言ってる暇があるなら一枚でも描け。
堂々巡りだね。

そんなこんな割り切れないのが人間だってもんで、
さっきTwitterで見てきた「メンタルが強い人」という特徴を読んで
大切なことだね、なんて思いながら
でもメンタルが強くなると人のことをバカにしがちになるというか
我が強くなってしまって人との協調性などが下がってしまうのよね
なんてことも思ったり。
人間は「人」と「人」の間にいるからこそ
その全体の中の一人であることを時には思い出した方が良いと思う。
そういやハンナ・アーレントもそんなことを言っていた気がする。
「人」が一人であれば軸なんてずれない。
だけど「人」と「人」の間にいるからこそブレたり惑ったりする。
その惑いを弱いとして切り捨てるだけならば
「人間」ではなくなるんだと私は思う。

ブレやズレを悪いものと切り捨てるのではなく
それさえも「ヒト」の内包する情であると大切にしておきたい。
でなかったら機械人形とさほど変わらなくなってしまうだろうし。
と結論付けてしまうのは論理の飛躍かな?

BGMがNujabesだからしんみりとしてしまっているだけかもしれない。
とりあえずもらっているお仕事を頑張りましょう。
生きてるだけで丸儲け。とはいうけれど
その先にいるからこそ、実態としての儲けも考えないとねw

そんじゃまた。モイモイ。
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自分の意思ははたして理性的であり続けられるのか

2021-09-16 | from:sachiaki
なんか小難しいことをタイトルにしちゃったけれど
旦那氏であるところのパンダ氏を見ていると
理性的であり続けると心を病むのかもしれない
なんてことを思ってしまうsachiakiです。

この世界は理性的であり続けようとすると
あまりに整合性が取れないことが多く
そこに不適合となってしまい
適当にブレを持っていないと社会不適合っていうやつに陥りやすく
本人は至って悪くはないのに「合わせられないお前が悪い」と
なりがちなところが大変だな〜
なんてことを思ったりするのです。
私はそこまで理性的ではないので
そこそこに本能とともに過ごし
そこそこに欲望の赴くままに動いているので
そこがクッションとなって不適合から逸脱できているような気がします。
というよりも、不適合とされる前に
あ、合わないなって思ったら離脱できるというか
無理ができない我の強さを持ってしまっていたというか。
イヤなものはイヤ。
好きなものは好き。
そういった感情べったりなところがあって
その感情に蓋をするのが難しい…というよりできないので
理性的と呼ばれる人たちの我慢強さには尊敬の念しかありません。

でもね。
最近読んでいる本とか通じて考えてみると
はたして本当に自分の意思というものが
理性というものを持っているのだろうか?
なんてことも思ったりしてしまうんです。

いやいや、なんちゅーことを言うんだって自分でも思うんだけど……。

少なくとも我慢をしたり、想像力を働かせて人を傷つけないことや
降りかかるであろう危機を予測して備えるなど
それらは理性と呼ばれるものの一部で
それらは必要だし、社会という構成を担う集団内にいるのであれば
もっとも大きく育てないとならない行動原理だと思うんだけど
それってどのぐらい自分へ向けて動機づけられるように
鍛えられるものなのだろうか。
理性と呼ばれているものでさえ、
条件や行動制限で実はそう選ばされているだけなんじゃないだろうか。
そんなことを感じてしまったりするわけです。

小さな三つ子の魂時代に、ある行為をしたせいで怒られたり
なにかを制限させられる条件付けをされていたのなら
それは理性と呼んで良いのだろうか。
条件付けで我慢をしたり、なにかを抑制したりしているのは
はたして理性なのだろうか。
ー結果的に理性的な振る舞いになっているんだったら
 それはそれでいいじゃないかって思うんだけど。

徒然草でいうところの
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
驥*を学ぶは驥の類ひ、*舜を学ぶは舜の徒なり。
偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。


*驥は駿馬のこと
*舜は中国の理想的な伝説の帝王で指導者の理想像のこと

っていうので、その理性的な振る舞いの理性の真正を問う暇があるなら
少しでも理性的な振る舞いを学んで理性的に振る舞うことができるなら
それは理性的ってことでいいんじゃないかって感じ。

そうそう、私は今でこそ論語がわりと好きだけど
もともとは徒然草が好きなんですよ。
好きっていうほど全段暗記したりはしてないけどね(ノ∀`)アチャー

その昔、いまでいうところのEテレこと教育テレビ内で
徒然草を吉田兼好の声役で立川志の輔さんがされていて
妙に印象づいていて、今も好きなんですよね。
そういやその当時同じ枠で放送されていた
更級日記の方は全然印象に残ってない。なぜだろうw
NHK まんがで読む古典

まんがで読む古典・徒然草 19段前半


しかし吉田兼好って人の俗っぽさはいいよなぁ。
吉田神社なんていう高貴な神社の神職を出す超エリートの出自なのに
なんだかんだで随筆家になっちゃうんだもんね。
この人のひねくれた目線は今も大好き。
現代語訳のbotも秀逸で好きなのでフォローしてるぐらい。
→@tsuredure_bot1

と、話がずれてしまったけれど
自分の意思が理性的でないと思うなら
理性的に振る舞う人の真似をした方がよかろうし、
自分が理性的だと思うなら、
なるべくそうであり続けられるように
律していくと良いですよねって感じ。

とはいえその理性的であろうとし続けた結果
心が病んでしまったりするのはシンドイですけどね。。

それなりに、ほどほどに。

どうでも良いけれど、まんがで読む古典の中に
雨月物語の蛇性の淫があったんだけど
子供時代に出会って性癖がっつりやられた人もいるんじゃないだろうかw
まぁ文学少女なんてものはだいたい性癖歪んでそうですけどね(偏見w

と、これ以上うっかり失言してしまう前に
今日はこれにて。モイモイ。
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自分の中にもう一人いるって感覚について

2021-09-15 | from:sachiaki
前も書いた気がするけれど
何度だって整頓したい時はしたいんだって気持ちのsachiakiです。

先日とある友人とこれからについての話をしていた時に
自分の中にあるもう一人の自分という感覚が
あまり伝わっていなかったように感じたので
まぁそれもそうだよなぁ…なんて思いつつも
帰宅してからモヤモヤしていたのです。

たぶん、どんな人にも自分の心の中の本音と建前みたいな
そういった人格があって、それぞれにスイッチしていると思うんだけど
私のはスイッチできるような分人的なものではなくて
心の中のもう一人が常にニコニコしながら
あるいはドロドロしながらそばにいて
それがどうも性別的なものも含めてばらけているので
すごく自分のしている行為が気持ち悪くなったり
感覚器官で受け取った全てが嫌悪でいっぱいになったりする時があって
そんな時にーあぁ、もう自分の中の感覚神経が気持ち悪い
なんでこんなに他人の感覚を共有しなくちゃならないんだろう
なんて気持ちになったりするわけです。

友人からは「ジキルとハイドみたいなのなんじゃない」って言われたけれど
あれは人格が二つあって感覚は受け継いでないというか
一人の中で人格がスイッチしているから
なんていうか整合性がある感じがするのね。
だけどこっち的には「したくないのにさせられている」みたいな時があったりして
なんともしっくりいかない、みたいなことがあるのです。

子供時代ーとくに反抗期の時は
天邪鬼がひどくって、親が手を焼いていたのはもちろん
私自身も自分に対して手を焼いていたので
よく自分に対して腹を立てたり泣いたりしたものです。

情緒が不安定すぎる?
いや、ほんとそれですよ。
バランスが悪すぎるので、ずっと自分の外身を持て余していたのですけれど
ようやく色々と自分の中の揺れ幅が小さくなったというか
否定され続けていたもう一人をしっかりと受け止めたことで安定したというか、
ともかく情緒も揺れにくくなったって感じです。

とはいえ、揺れにくくなっただけで
やっぱり時々「俺にその体返せよ」みたいに
ふと自分の体に違和感を持つようなことはあるけれど。

とはいえ女性らしい格好をする時には
自分自身に「今日は女装をするからいいかい?」って感じで許可を取るような
そういったワンクッションは入っているんですけれどw
その割には心の底から女の子の格好をしたい時は
許可を取らずともそういった格好をしてもOKになってきてて
自分の中の複雑さを相変わらず持て余したりする時もあります。

写真を撮られる側にいない頃、撮られるのが怖かったのも
自分の中の女の子が「こんな可愛くないガワで撮られたくない!」っていう
荒れ狂っていたものの、他の人が着飾っているのを羨んだりもしていたので
着飾ることを許可してあげたことでだいぶ落ち着いたし
撮られたくないって言ってたあの子はどこへ行ったの?ってぐらい
今は撮られるのが嫌でないし、多少は見てもらおうという意識に変わり
ずいぶんと自分の中で和解する時間がかかったものの
けっこう納得している今日この頃です。

持てる力を存分に生かしつつ、楽しんでいく所存。
とりあえず「見られる側」への意識もできてきたのだから
夜おやつにグミなんて食べていないで
運動ちゃんとしなさいよって思ったり。
最近ウエストが増えたんだからちゃんと頑張らないと
どんどん崩れていってしまうわよ!?

ひとまず次の撮影までにもう少し維持できるように頑張ります。
それではまた。モイモイ!
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社交場に書くと角が立つ話なのでこちらに

2021-09-14 | from:sachiaki
毎週一度の読書会で
「無責任の新体系」を読んでいると
アナトール・フランシス著『エピクソスの園』に
流言飛語の怪物としてピュトアという実在しない人物が出てくるんだけど、
無責任な言葉の膨れ上がっていく過程が描かれていくんですよ。
実在しない人間があたかもいるかのように
全てがそのピュトアの終結する様は
「今日マックで女子高生が〜」の
女子高生に相当する擬人化でもあり
全ての責任をその擬人化された者に押し付けられるため
なんでも言える(できる)ようになる
なんて話は今でも通用するし
むしろ今がまさにピュトアが何人も創造=想像されては
人々を惑わせているようにも思う。

おっと、久しぶりの真面目モードなsachiakiです。

ピュトアの話をするよりも
ちょっと前に本格ミステリ大賞をとった
『虚構推理』に出てくる想像の化け物
鋼人七瀬のようなものが
今では作りやすくなっているというべきか。

私も虚像作りが好きだけど
(岩井俊二の「リリイ・シュシュのすべて』にはかなり影響を受けました)
できるだけ惑わす方向でも
あぁ良い夢を見たなぁ!って思うものが良いな
なんてことを思ったりしているのです。

そして、月一で読んでいる『自由意志の向こう側』木島泰三 著では
ストア派とエピクロス派が出てきて、
目的論的自然観とは決別しながらも
しかしこの宇宙に意思はあるのか?という壮大なテーマに近づいてきて
頭がこんがらがっているところです。

因果的決定論に基づいて考えれば
一の原因に対して、一の結果がつくのは当然で
それは覆しようもないという点で因果論的決定論に「うん」と思うし
計算が可能であるならば(そんなものはないだろうけれど)
たぶんずっとずっと先のことも決定しているんだと思うけれど
そこに「目的(つまり神の意志)」があるか?
と問われたら、んなもんあってたまるか
っていう気持ち。

で、なんでこの二つの話を出したかといえば
人間は未確定な事変が起こった時に
「信じたいものしか信じない」っていうことがあるね、
ってことと、それを避けるためにはファクトチェック
つまり、内在的チェックと外在的チェックが必要で
「その事実はどこ発祥か」をよくチェックし
噂を鵜呑みにしてはいかんよって
そういう話につなげたかったのです。

「火星人からの侵入」でパニックになった当時のアメリカの人々を笑う前に
自分が持っている情報の出所と透明性をキチンと照らし合わせないとねって話。
そんなことを思いました。

『マーズアタック』はおバカ映画だったと思うけれど
けっこう面白かったし、実はちゃんと見ると……
っていうのもないかw

さて、今夜はりんご祭り!
眠れないのでしょうな。

とりあえず今やっている作業をひと段落すべく
ちょいと頑張ってきます!
そんじゃーね。モイモイ。
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来月ちょっと忙しそうですよ

2021-09-13 | from:sachiaki
あれ?どうしてこうなった??
っていう感じで来月のスケジュールがどうかしてるっぽいsachiakiです。

来月の月末は音楽同人イベントM3があって
その前の週にはお手伝いすることになった
杉並区の障害者支援団体さんのアート作品イベントがあって
バッティングする形で同じ週にお芝居の端役を担うことになりましたん。
といっても、お芝居に出るわけではなく
その中の舞台装置としてお手伝いをするって形なんだけどね。
だからお芝居当日に出演しているわけじゃないので
イベントが重なっていても大丈夫って思ったわけなのです。

プラスアルファでいうと来月末といえばハロウィンなわけで
あたいが毎年一番力を入れている日となり
ハロウィン用の写真撮影をして、合成作品を作り上げるまで
おやおやおや?って忙しくなりそうな予感なのです。

う〜ん、どうしてこうなった。

あ、ちなみにワクチンの副反応はけっこう長めに出ていて
打ってから 三日目も夜に薄く熱が出て
打った側の腕が赤く腫れるって反応もありました。
赤く腫れたのは一日程度だったけれど。
たぶんちゃんと打ったその日から湿布をしていたので
筋肉に負担をかけていなかったのも功を奏したのかも。

それはそれとして季節の変わり目にて
アレルギーが出ているんだけど
喉が痒くて痒くて仕方がないです。
くしゃみと目のかゆみに加えて喉まで痒いとはなぁ。

と。
こんなとりとめのない日記を書いている場合でもないので
お仕事に戻りますわ〜。

そんじゃまた。モイモイ。
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2回目接種はやっぱり強めに反応が出ました

2021-09-10 | from:sachiaki
個人差がでかいなーとは思っていたんだけど
「微熱出た」って人もいれば「すごい熱で身動きできない」って人もいるし
「なんもなかった」って人もいるので
自分はどんな風になるんだろうか?
なんて思っていたんですけれど、まぁそこそこ強めに副反応が出たみたいで
おめでとうございます、レアではなく比較的よくある反応のうちの一人になりましたね
なんて感じだったsachiakiです。

私より一週早かったパンダ氏も熱は出たんだけど
ブワーって上がったけれど、スヤスヤしているうちに終わったみたいで
ケロリとしていたんですよね。
なので私もそんなもんだろうって思ってたんだけど
熱が上がるので解熱剤を飲む、しかし6時間の空き時間をつくる前に
また熱が上がってくる。
仕方ないので眠りながら残りの空き時間を過ごす、
お薬飲む、しかしまた上がる。
という繰り返しを3回食らって今日のお昼過ぎにやっと
スコンと熱が下がって、あの38度台しかでない熱はなんだったんだろう
なんてことを思ったりしてました。








なんてことを書いてたんですけれど
夜になったらまたダルさが出てきまして
これはちょっとおかしい気がする……と体温を測ってみたら
ファ?なんでまた38℃も出てるんや?
と驚いてしまいました。
まぁもともと3日目までは熱出るやでってアナウンスされてたしな
なんてことを思いながら、明日には治っていますように
と祈る気持ちになってます。

やっぱ熱あるとそれなりにシンドイので。
ちなみに私の熱は最高記録で38.8℃で
(そこからは解熱剤を飲んだので上がったかどうかは不明)
6時間空けないと次に投薬することはできないんだけど
服用してスルスルと解熱はしていくものの
4時間もするとジワジワと熱が上がっていき
6時間も経つ頃にはまた38℃後半っていう感じで
一日を過ごしていました。
で、今朝の早い時間には熱が37℃台に下がっていて
お、これで終わりか…いやいや38℃はやっぱシンドかったから
楽でいいやね〜なんて思いながら寝直していたものの
なんか寝苦しくて目が覚めたのが7時半頃で
体温を測ってみたら38.2℃っていうね…
なんじゃそりゃーってなって、また解熱剤を飲んでスヤリ。
午後イチにはスコンと熱が下がって、いつもどおりの36℃台だったので
よしよし、これで仕事できるわ〜なんて
ぱつこんの前に座っていたものの
日が暮れるにつけだんだんとだるくなっていき
20時頃にはまた38℃を叩き出してヒエェってなってました。
しゃーない。
こればっかりは自分でコントロールできるもんじゃないしねぇと
とりあえず今日締め切りのお仕事だけは終わらせるぞって
意地でも完遂したものの、アップを宣言した時間には終えられず
無念…ってなりました。

とりあえず明日はなんともないといいな。
でないとワクチンの副反応とは別のものを疑ることになるからね。

そんな感じです。
そんじゃ今夜はこの辺にて。
モイモイ。
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2回目接種完了じゃ

2021-09-08 | from:sachiaki
ワクチン2回について「ワクワクチンチン」と
ツイッター内ではちょっとしたトレンドワードとして駆け抜けていったわけですが
2回接種が完了すると「フルチン」というワードまで出てきて
頭悪いなぁって思いながら気にいっていたsachiakiです。

さてこれから副反応がどう出てくるのか…震えて眠りますわ。

体調良くしてから来いよって言われている接種会場ですけれども
先週終わりから月のものも始まって
その前には月経前の高温期になって熱がポンと上がっていましたし
(すごく寒かったのもあって、風邪ひいたのも重なったのでしょうが)
好・不調のどちら?と言われたら不調な体調の中
接種前の問診で色々とお話を聞いて
それでも接種を選んで打ってきましたよ。
なにせここで2回目接種を逃すと予約が非常に困難だと聞いていたのでね。
1回目の予約だって大変だったのに、それ以上にやばいなんて聞いてしまったら
おいそれとチャンスを見過ごすわけにはいきません。

とりあえず1回目と同じく接種後は経過観察が30分のコースでしたが
違ったことといえば、
1回目は「え?打った?本当に?」ってぐらいアッサリしたものだったのが
2回目はググーっと針が射してる感覚があって
打たれた直後から腕がビリビリとした感覚があり、
20分もしたら腕がちょっとイタタって感じになり
1回目の時の体が痒いっていうのとは違うなーっていうのを
すでに味わっている感じです。

接種後12時間あたりまでに熱がピークへと向かうと聞いているので
私の接種後12時間というと朝方になるので
さっさと寝てしまうか、明日は使い物にならないだろうから
さっさとある程度お仕事をしてから寝るか
なかなか難しいものがあるな、なんてことも考えているところです。

ちなみに経過観察は15分と30分があって
基礎疾患などない健康体の方は15分、
なにがしか不安を抱えている人は30分という
振り分けをしているんじゃないかなーと。
喘息持ちのパンダも経過観察30分だったけれど
知り合いの健康な男性が15分だったそうなので。

そんなこんなです。
とりあえず眠いしやっぱお布団に沈んでこようかな。
明日熱出てしまっても翌日も仕事できるしな。

あまりキツイ副反応が出ませんように。
そんじゃまた。モイモイ。
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久しぶりに歯医者に行きました

2021-09-07 | from:sachiaki
ちょっと前から歯が痛い気がする…
なんて思いながら放置してたんだけど、
先日食事中にちょっと固めのものを噛んだ時に
激痛が走りまして、そのあとからずっと
ジクジクと痛んでいたので
コロナ禍の中では歯医者は厳しいと聞いていたけれど
このまま我慢してるとロクなことにならないぞ
なんてことを思って一念発起して行ってきたsachiakiです。

パンダ氏のように半年に一回とかの定期検診をしていた方が
結果安く上がるし、維持もできるんだよなぁ
なんてことを思ったりしていたところです。
全般的に言えることだけど、溜め込んでおいていいことなんて
知識と資本ぐらいしかないよなぁ。
あぁ、でも知識・資本だって使わないと意味ないか。
まぁでも損はしないからマシか。

ともかく久しぶりに行った歯医者さんでは
以前よりも新しくなったと思われるレントゲンにて
口の中を撮影され、思っていた以上に治療の後が複数あり
子供の頃から虫歯が多い方なだけに
そろそろインプラントとか入れ歯の資金を貯めといた方が良いか?
なんて先のことを考えてしまいました。
インプラント高ぇんよねぇ。
1本50万とかすんだもん。
すでに奥歯を一本ダメにしてしまっていて
いつインプラントすんの?って歯医者さんに詰め寄られているので
本当に嫌だなぁって思っているところです。
世の中ゼニがものをいう時代ですわ。

噂ではとっくに歯医者が必要でない技術が出来ているけれど
歯医者さんが儲からなくなるから世に広まっていない
なんて話も聞くけれど、
んな技術は出来上がっていないんだろうな
なんてことも思ったりもして。

そもそも歯の治療に関しての技術って
それこそ人類有史上でずっっっっっっと練られ続けてきたものなのに
いまだに虫歯が根絶されていないことを思えば
インフルエンザなどの新しいウィルスなんかより
よっぽど厄介なものなんじゃないだろうか。
生まれてから他人の口の中のものと接触していなければ
虫歯にはならないんだぜ、なんてしたり顔で言われようとも
たしかに最近の子育てなんかでは
親の口元に入ったものを与えない、だったり
愛情表現としてのキスをしないとかで
だいぶ子供たちの歯の事情は変わり、
虫歯は減ってきていると聞いているけれど
じゃぁ思春期を過ぎる頃に人と付き合ってキスしたりしないんか?
なんてことを思ったりもしてしまうんだけど……。
あれね、今の時代感覚で育った人たちが
虫歯のないまま育って人と付き合うようになれば
その時やっと虫歯は根絶されるのかもしれないねぇ。

ともかく私が通っているクリニックは
「痛くない治療」っていうのをうたっているところなので
麻酔とか強めだったりするけれど
本当に痛くないので助かっています。
そしてその技術の進歩にマジありがてぇええぇってなるのです。
だって私が子供頃といえば、あの忌まわしいキィイィンって音とともに
ぎゃーって泣く子供の声がデフォなものでしたからね。
歯医者っていうのは恐ろしいものでありましたよ。
まぁ子供時代は親がけっこうすぐに歯医者に連れていく人だったので
それほどひどいことになる前に通っていたぶん
そんなに痛い思いはしたことないんですけれど。
なので歯医者と聞いてなにが嫌だっていえば
虫歯予防デー生まれなのに虫歯ができやすいってのが
ほんのり皮肉めいたものに感じてイラッとするぐらいです。

とりあえず来週も歯医者です。
あ、そういや明日はコロコロワクチンの2回目接種なんですけれど
麻酔を使った治療をしていることで
接種できないとかそういったことなかったっけ。
大丈夫かな?

問診票を確認した感じでは問題なさそうだけどね。
あとは副反応が強く出ないといいなぁってぐらいかな。
なんとなく喘息が出ているっぽいのと
先日熱が出たので、そもそも注射できるのか?
って疑問もあるけれど……。
これを逃したら、2回目接種の機会がなかなかないらしく
2回目難民になると聞いているのでちょっとピンチ。
ともかく全てがつつがなく済みますように。
こういった時は神頼みになるねぇ。

みなさんもお体にお気をつけて。
モイモイ!
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