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ブラック塾業界シリーズ10 コマ給の落とし穴&最後に

2016年01月08日 09時41分28秒 | 塾について
毎日、たくさんのアクセスをありがとうございます。


ブラック塾業界シリーズ10です。

今回をもって、このシリーズは、終了です。
長らくありがとうございました。


前回、塾長との対立とむなしさ、「この塾長から学べるものはない」で、塾を辞めたお話をしました。


今回は、その塾の勤務条件についてお話します。


正社員として進学塾に勤めているときは、とんでもない量の時間外勤務(無料奉仕)で大変でしたが、時間給だったので、とりあえず、出勤さえすれば、交通費も書類上の勤務時間八時間分給料の給料はもらえました。


でも、最後にバイトとして勤めていた学習塾はどうか?というと、時間給でなくコマ給でした。つまり、一つの授業でその分の給料をもらう、形。
そのため、授業さえすれば、ぱっと報告書書いて帰れる、という利点はありますが、そこには大きな落とし穴が。
その塾が、常時10人以上の集団指導塾だったら、別にコマ給でも良いかもしれません。


でも、私の授業は、集団指導のクラスもあれば、個人指導のクラスもあるんです。
個人指導は、担当生徒さんが決まっていて、毎回担当生徒が違う、ということがないのは、わたしも気に入ってました。

しかし、塾長が私に任せてくれた個人指導の生徒さんは、私が担当する以前から、塾を休みがちの生徒さんがほとんど。

しかも、その日の授業が、その休みがちの生徒さんだけの授業のみであるうえ、毎回、授業時間になってもこないので、電話をかけると、気分によって、その生徒さんが来てくれたり、そうでなかったり。

私自身の努力が足りない、といえば、足りないとも言えますが、実際に働いてみると、努力だけでは、どうにもならないことを実感することもたくさんあります。



それで、もし、授業が突然休みになると、授業はしていないことで、コマ給は支払われません。もちろん、交通費も。


結局、一週間のうち、3日、その授業に行っても、支払われるのは、集団指導があった1日のみ、とか、でした。

毎回、「今回も、お金がもらえるかわからないために塾に行って、帰るだけ?」と思いながら、行くむなしさ。
また、別に家庭教師もしていて、その生徒さんが、この日に特別授業をしてほしい、と頼んでくれても、その塾のために断るんです。
お金にならないかもしれない塾のために、お金をもらえる機会を断る。

なにか、理不尽!と感じました。

確かに、お金のためだけに働いているわけじゃない。

でも、何千人の生徒さんを指導し、入試知識もかなり苦労して手に入れて、問題集もつくれるレベルの構成力を持っていて、それで、お金を稼げるかもしれないのに、ただただ、塾長の低い評価で、ほぼお金ナシの勤務は、努力する楽しみがなくなります。



それで、一度、「休んだとしても、突然の休みだったら、私達の給料は払えませんか?全額でなくてもかまわないので。」と言ったら、「いや、昔、授業をした、と偽って、お金をもらっていた人がいたので。」と塾長は返答。

「私が、そういう不正をする人に見えますか?」と聞いたら、「そうは思いませんが、昔…」と、またいつもの堂々巡り。
「塾長は、たった一人の不正をはたらいた人にばかりとらわれて、ほかの大勢のまじめな人を台無しにシているんですよ。」と言っても、「でも、昔…」と、また同じ事しか言わず。  

色々話し合った結果、生徒さん宅からの事前連絡ナシの突然のお休みになった場合、コマ給はナシですが、超少額の手当て金は出ることになりました。

 
この塾長は、前回お話した保護者さんとのお話同様、他人に一度も心を開いたことがなく、他人が怖くてしょうがない人なんだな、と思います。
それで、一度でも、自分に怖い思いをさせた相手、や、なにか、トラブルをおこした相手がいたら、他の人もみんなそうではないか?とこわくなっちゃうんでしょうね。 
確かに一定数、そういう相手はいます。
でも、大半は、特に、大人なら、そこまで相手を困らせないドライなお付き合いはできる人たちです。
そのような人たちと仲良くするにつれて、だんだんと、お互いの心を開くことになるのだから。
今回の塾長だけでなく、私が今まで出会ってきた三人の塾長は、みんな、「他人が怖くてしょうがない人」だと思います。
そのときの対処法が、数学至上主義上司は、年下にはに圧力を加え、上の人にはひたすら従うようになり、ナルシスト上司は言い訳をして常に自分を守り、今回の塾長は怖い相手の意見ばかりに従う、という態度になってしまったのでしょう。


根本にあるのは、みんな同じ、「他人への不信感、恐怖感」。

彼らは、一度も「無条件に自分を愛してもらった経験がない人」なのでは?もしくは、「たとえ愛してもらっても他人の愛情を感じ取れないタイプ、」のどちらかではないか?と思います。
親に愛してもらえると良いですが、そうでなくても、友達でも、先生でも、上司でも先輩でも後輩でも、恋人でも、ペットでも、誰でもいいから、「この人は、どんな状態の自分でも愛してくれる」と一瞬で感じられたら、人は人を信じることができます。


これって、とても難しいことです。
私も、娘を無条件で愛しているのは間違いないんですが、それをうまく娘に感じ取ってもらえているか?は、甚だ謎です。
でも、だからって、諦めたりしず、常にそれは心がけてがんばりたいなぁ、と思います。
娘が、「お母さんに愛してもらえるために、勉強がんばらなくちゃ」と、勉強を愛してもらう手段でなく、勉強そのものを楽しんでもらえる、そういう教育をしたいです。

もし、塾をひらいたときには、生徒さんにも、「この先生は、どんな自分でも存在を認めてくれる」、そういう安心感を感じてもらえるような先生になるようがんばりたいです。


ではでは、10回にわたり、ご覧頂き、ありがとうございました。



今回をもって、こちらのシリーズは終了させていただきます。


しばらくは、同人活動を再開するにあたり、途中経過を報告したり、単発的に、教育、受験についての記事を書きたいと思います。

ではでは、これからもよろしくお願いいたします。





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