■銀塩写真、面倒です。ちょっと前のフィルムの時代、私はその時代の人間です。カメラは箱に過ぎません。大事なのは「レンズ」 そのレンスを通った光がカメラ本体の空洞部分を抜けてフィルムを感光させるわけです。
カール・ツァイスのレンズとCONTAX「ボディ」の組み合わせも
同じカール・ツアイスと「ヤシカ」も同じなわけです。
ニコンのレンズはニコンのボディしか装着出来ませんから、ショボイ話なんですが、安いから世界中に売れました。これはSEIKOもTOYOTAも、TOSHIBAも同じです。
価格で負けたら、全て負けなので、今や勝負時です。
過去の遺産が莫大なのはドイツと日本のレンズです。「が」
今や、撮影したしたデータも、そこそこ加工出来るようなのです。それを今は「現像」というそうです。
「源三」の方が合ってる感じですが、兎に角、出来る
出来るなら、もう「どうでもいいや」が私の現在地です。
ライカの商品郡も今や充実してますが、最初のマーケティングが間違ってたから今も全然興味なしです。デジカメの焦点距離の数字と以前の35mm版の感覚が違うので換算する以前に。もう「換算する」行為そのものが「オイ」ジジイです。だから「止め」です。時代について行けない。(行かなくなった)
「が」がない。
申し訳ないです。
だってさ、「インスタ映え」だけしても仕方ないじゃないですか?
反対に「インスタ」なんて関係ない店しかいかないし
「抹茶パフェ」なんて映えようが、映えまいが注文しねえ。
「戦争反対とか」
「愛とか」
「アフリカから貧困をなくせ」
「クジラを救え」も
ここまでは誰でも叫ぶことが出来る・
「が」という堤防を乗り越えることは出来ない。
「が」から議論すべきところを誰もしない。
憲法9条ある。
「が」