ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

シナイ山~その見分け

2012年11月15日 | 派遣

  今回のイスラエルで、直前から示されていたことがあった。それは「見分け」だった。イスラエルなど聖地の舞台に実際行くとなると、それが特に重要である。
 今回ではないが良い先例がある。シナイ半島にあるシナイ山とその近くにある「聖カタリナ修道院」である。この場所は映画で有名な「十戒」の場所である。下記に詳しく述べているが、特に真贋、その「見分け」をどうやったのか?ということを述べます。こんなことに興味をお持ちでない方には申し訳ありません(-_-;)。でも、もし「へぇー面白い」と思っていただければたいへん嬉しいです。ポイントはただ、聖書と祈りだけが、すべての見分けの土台だということだけです。

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 はじめに・・・・今はイスラエルと周辺諸国が再び緊張状態に陥り、困難になって来ましたが、3年前に念願のシナイ山に登ることができた。しかし、どうも変でした。「モーセが神と会ったのはこの山と違う」という気がして落ち着かない。大勢の人と一緒に「シナイ山」に登って、それなりに達成感は相当あったのですが、この違和感は消えることはありません。

 そこで日本に帰る前、イスラエルの空港で一冊の本を買ってみると、1枚の絵に目が点になった。それがこの絵だった。そして「あっ」と思ったのは、この山が登った山(ジェベル・ムーサ―)では_mini_2なく、日が昇り、明るくなって下山しようとした時見かけたあの山、ものすごい急峻で、まるで巨大な岩石が逆立ちしたような絶対人が登れないようなあの山、調べてみて分かったラス・サフサファ(私の携帯で撮った写真が右)だったのです。それは想像を絶する全体が断崖絶壁の異様な山でした。この絵は決して極端な絵では無く、まさしくこの通りの山でした。

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 聖カタリナ修道院(写真)のこの院内には「燃える柴」(出エ3:2)とその目と鼻の先に「モーセがチッポラたちを助けた井戸」(出エ2:15~Photo_4がある。手回しのよいことに修道院から数百メートル横の山腹は、モーセが幕屋を張った聖なる所であると言う。そしてこの修道院を経由してモーセが十戒を授かったシナイ山頂へのルートがあり、とある山頂がその聖書で有名な箇所であるという。誰が聞いても「そんなに都合よく集中してあるかな?」と思うし、胡散臭く感じるのは当然である。

 しかし、堂々とこのように言われても、これを否定する証拠もない。聖書での記事は、井戸は「ミデヤンの地」、と記されているだけで、シナイ山のふもとであることも、ないことも分からない。しかし「燃える柴」と「幕屋を張った」場所は神の山シナイ(ホレブ)山の近辺であることは確かだ。そのように出エジプト記3章.19章に記されている。問題は近辺はわかっても、そこがどこか特定できないことだ。

 シナイ山は富士山のような単独の山でなく連山である。そして聖書以外に「十戒をモーセが授かった所」「幕屋を張った場所」「燃える柴」等などが、この箇所だと地形を書いてないので特定できないことだ。しかし特定できないにも関わらず、現地のイスラムガイドによって私たちは「ここだ」「そこだ」と案内される。しかしおかしいことだらけで、まさに「見分け」というチェックせざるを得ない。以下はケパの独断と偏見での意見なので、ご参考までに。

1:シナイ山・・・・ジェベル・ムーサー(写真:普通に連れてPhoto_5行かれるその山頂)はモーセの山ではない。

 理由:出エ19:11「三日目には、【主】が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られる」と記されているように、山のふもとには二百万前後の民が宿営しているはずである。幕屋も当然その中心部にあったはず。しかしジェベル・ムーサーにはそのような広さを持ったふもとが見当たらない。ここではないと感じさせる。その北側のラス・サフサファ(下写真・ケパ撮影)は、この写真だけでは分からないが、ふもとには広い台地があって、まさに聖書さながらの地形がある。しかし山は・・・・恐ろしく急峻であって、ロッククライミングの達人でもなければ到底登れない山だ。人を拒むこの山に、おそらくモーセは、神の助けを得て登ることができた。私は山も幕屋もこっちだ、と思う。

2:聖カタリナ修道院の「燃える柴」(写真・ケパ撮影)と「井戸」・・・・もともとは「燃える柴」からの聖地だが、両方ともに根拠がなく、二つとも疑わしいし、少なくとも一つは違う。Img_0914

 理由:まず修道院の存在が設立された、6世紀もしくは聖地巡礼の記録がある4世紀は、モーセの時代から二千年近く経ている。「柴の木」がそこまで生きているはずも、痕跡もあるはずもなく、まず実際的な根拠はない。またモーセに率いられたイスラエルの民が、その足跡を残し記録するようにした証拠もない。

 ただし聖書の記述は真実なので、そこかも知れないし、そこでないかも知れない。数パーセントの可能性はあるだろう。しかし大事なのは聖書の内容が真実であり、神の僕モーセを信じることであって、場所を信じるのでは無いことだ。すべては(場所の根拠としては非常に弱い)伝承であって「柴の木」や「井戸」がこれだと思う必要はない。だから「ここなんだ」と納得してはいけない。ただ、想像の一助にはなる。

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 ※蛇足 : 単に経験的な見方での見分けの一助にしていただきたいが、アラブ(イスラム)側のガイドが聖 地とか旧跡とする所は、おおむね厳密な根拠が少ないようだ。彼らにとっては観光的な価値がすべてである。観光には「だいたいここらあたり」ではあり がたみ(価値)が乏しい。だから聖書の記述が曖昧なところを突いて「ここです」と、人間的にその場所(急峻で観光客が登れないような山は外して・・・・)を特定しているように私には感じられた。その点、ユダヤ人にとっては利得より聖書の正しさ、正確が実証できることが重要で、考古学的な発掘などを至る所でやっている。ただし、すべては神の御心で、確かなことは神さましかわからないことだ。  ケパ

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クルージング

2012年11月15日 | 感謝
クルージング
今東京湾のクルージングを楽しんでいます。美味しいケーキとコーヒーを船内で頂き、甲板にでて秋の東京湾でのんびり50分の旅です。 こんな恵みも感謝。
甥っ子の結婚祝いのお返しをこのクルージング券に選びました。

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