イスラエルに行く前に、実はいくつか示されていたことがあった。その中でも<「ペテロとケパの違い」と「ドルカス」の、いわばクリスチャンネーム由来の使命を確認し、全うするように。>というものがあった。
これははて?どういうことなのだろうか・・・・と思いながらイスラエルに行って、「ナルホド・・・・・こういうことだろうか」と言うことがあった。それは最後に寄ったヨッパでのことだった。
実は私たち
は、最終日(木曜)のこの日のツアーは、(ドルカスが疲れていたので)ホテルでゆっくり休むつもりで参加を断っていた。しかし前日の夜遅く、ツアーのミッション側随行員になったA姉妹から、参加者のバランス事情により、私たちに参加の要請が入った。「う~ん、要請とあらば行かずにはおれまい」と私たちはヨッパのツアーに加わることになった。
ヨッパはテルアビブと隣接していて(上写真はヨッパからテル・アビブを見た景色)、感覚としてはテルアビブの下町、旧市街地といった風を呈している(写真2枚目)。さて私たちが到着した時、明らかにヨッパでは異変が起こっていた。と言うのは、ヨッパの公園に向けて、古い町のあちこちから、ウェディングドレス姿の花
嫁とばっちり決めた花婿がぞろぞろ、数えただけで6、7カップルいたのである。「な、なんだコレ!」、「ひょっとして撮影用の偽カップル集団?」と思いきや、明らかに二人は仲睦まじく、ホンモノ
のカップルであった。別に日本のように、大量生産方式の結婚式場があるわけではない。ほんとうに町のあちこちから、カップルが湧き出て、丘のあちこちでは二人の撮影をはじめていた。どうやらプレ結婚写真撮影らしきと想像したが、理由は最後まで分からなかった。
それで思い出したのだが、ヨッパは聖書ではなんと、ドルカスが住んでいた町(使徒9:36)で、生前人々に女性的な多くの施しをし、惜しまれながら死んでしまった町だ。ヨッパの弟子たちは、ちょうど近くの町ルダにペテロが来ていたので、人を送って呼んできて、ドルカスのよみがえりを頼んだ。ヨッパはドルカスがペテロによって「よみがえさせられた」町なのだった。 こんな奇跡中の奇跡を見て、多くの人々が神を信じることになった。それでこのヨッパでは、ペテロは皮なめしのシモン宅に滞在することになったのだが、今回はその2個所あると言われるシモン宅に行くことはなかった。
ヨッパでの結婚式、ドルカスが住んで、ペテロによって生き返らされ、救いのわざが多く起こされた町。そしてそのシモンの家の近くに来ながら、行けなかった今回。
謎解きのようだが、実は私はペテロの名の時、ドルカスと結婚した。その時は二人とも完全に忘れていたが、前もってドルカスには「あなたがほんとうに感謝できるように、生きれるようになるには、あなたのこの地を出て・・・・献身し・・・・」と示しが与えられていた。そしてそれは、なんとドルカスが山奥から東京に、牧師と結婚して暮らすという形で成就することとなった。強弁すると、「ドルカスはペテロによって生き返った」と言えるかも知れない。しかも、私たちは当初このヨッパに行く気はなかったのに、この結果である。これがヨッパ・結婚・ペテロ・ドルカスの謎解きである。
私たちの群れでは「使命婚」という言葉ある。それは神からの使命を果たすべく、神が男女を一体として召していく、その導きに肉的な自分の思いを捨て、神の導きに全面的に従い切った、いわばみこころの結婚という意味である。私はドルカスを自分で選んでのではない。神が「この人だ」とされた使命婚だった。だから「ドルカスへのあらかじめの示しも、だいぶん経って、後から思い出した」のだ。神は不思議をなしてくださる。そしてその召しに従い、応えて行く時、神に委ねた人生の、真の幸せを知る。 ケパ
ps:なぜ「皮なめしのシモン」の家に行けなかったのか?は、まだわかってはおりません。